ジャーナリズムの現場にAI(人工知能)が浸透した少し先の未来。“AI記者”には何ができるのか。そして、ジャーナリズム周辺の諸問題は技術の進歩によって解決するのだろうか、それとも新たな問題が生まれるのか。
早稲田大学ジャーナリズム大学院設立10周年を記念し、同大学で12月17日に開催されたシンポジウム「AIは記者にとってかわるか?」にはパネリストとして津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)、平和博(朝日新聞IT専門記者、デジタルウオッチャー)、畑仲哲雄(龍谷大学准教授)、久木田水生(名古屋大学大学院情報学研究科准教授)の4氏が登壇。進行は田中幹人氏(早稲田大学ジャーナリズム大学院准教授)。
ジャーナリズムとAIの2つの論点
「AIによるコスト削減はひとつの手段で、それだけだと競争力にならない。空いた時間をクリエイティブなネタ探し、事実の深掘り、調査報道に活かす方へ振り向けないと、うまく回らないだろう」。平氏が冒頭、こう指摘した。
ジャーナリズムへのAI導入には2つの視点がある。ひとつは部数・広告の減少で苦境にある新聞社、装置としての報道機関の合理化策。もうひとつはジャーナリズムの営み、記者・ジャーナリストの支援。音声の書き起こし、決算やスポーツ記録などデータから定型記事を自動生成することはすでに実用段階にある。合理化によって浮いたコストをどこに振り向けるか、両者は表裏の関係だ。
AI導入が進む米AP通信は「記者を反復的で時間のかかる作業から解放し、分析や新たなニュースソースの開拓など、より高度で創造的な業務に時間をさけるようになる。これによって記者の可処分時間を20%ほど増やすことができた」という。(DG Lab Haus「AI(人工知能)導入で変化するAP通信の報道現場」より)
平氏は、記者とAIが協業し「AIの苦手な『問題の設定』『課題発見』を人間が担うことで、うまいチームができるのではないか。AIは記者のスキルをエンハンス(性能アップ)してくれる」という。現段階のAIはデータから定型の記事を生成する程度だ。そのため「『この決算。おかしい』とチェックできる人間の関与の仕方、ジョブフローに人間の判断が入るような設計になる。(過去の)データがない発生ニュースも、人間参加型の設計にならざるをえないのではないか」とみる。
久木田氏も、現段階のAIでは「文脈や意味を理解させることはできないから、意味論的な処理はなかなかできない。(文脈を理解しニュースにすることは)まだ人間にしかできないと思う」と述べた。
良心的ビッグブラザー
シンポでは3段階の近未来①ストレートニュースはAIが書く新聞社の出現②無駄な意見を削除するプラットフォームの出現③世の中の事象をデータ化して集め、正当に利用しうる「良心的ビッグブラザー」社会の到来―を想定して、AIとジャーナリズムに関して意見を交わした。
ストレートニュースについて「何を報じるかにも、規範的判断が必要になる」と田中氏。つまり、出来事をただ伝えるニュースでも、そもそも取り上げるか取り上げないか、どの事実をどう切り取るかは記者の主観に依存する。現在のAIには主観も問題意識も好奇心もない。記者の仕事をAIが完全に代替するのは、まだしばらく未来の話かもしれない。
畑仲氏は、ナチスによるホロコーストの責任者アドルフ・アイヒマンの裁判を例に上げる。「アイヒマン裁判でAIができるのは『判決は死刑』と速報することだけ。では、ハンナ・アーレント(ドイツ系ユダヤ人の哲学者)のように、悪の陳腐さを解釈して書くことができるか。まさに規範の問題だろう」と指摘する。
アーレントはアイヒマン裁判を傍聴し、雑誌『ニューヨーカー』に寄稿した「イエルサレムのアイヒマン」中で、命令に唯々諾々従うだけのアイヒマンの無思想で思考停止の小人物さ、陳腐さこそ、人類史に残る虐殺を引き起こしたと喝破した。これを可能にしたのはデータではなく、優れたジャーナリストによる蓄積と取材の積み重ね、秀でた洞察力だった。
また、規範の問題は「無駄」を判断するプラットフォーム、「道徳の怪物、うるさいポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」(田中氏)である良心的ビッグブラザーの問題にも通じる。そもそも道徳や正しさを一義的に規定できるのか。
畑仲氏は「言論の自由は(1644年の)イギリス市民革命で、ジョン・ミルトン(詩人。「失楽園」などで知られる)が無許可で『アレオパジティカ』(言論の自由)を配ったことが原点。これは掟破りで(当時の)法律違反行為。ジャーナリズムはニュースの流通だけではなく人間の自由、人間の営みの実践でもある。最初に戦うべき相手は良心的ビッグブラザーではないか」と問いかける。
あらゆるデータを駆使する良心的ビッグブラザーができたとしても、時代と場所を超えて普遍であり続けることはできない。「世の中の問題にオンリーワンの解決方法はなく、議論を続けるのがジャーナリズムの実践者と研究者の使命」と畑仲氏は規定した。
身体性。AI時代の記者の存在意義
「世界中がネットに振り回され、みな手に負えない状況。そうすると、グレートファイアウォール(中国語表記で「金盾」。中国政府によるインターネット検閲システム)が1周回って世界の先端のようになっている。では、統制されている中国のインターネットが健全な方向だろうか。突き詰めると技術と倫理の問題になるが、日本ではこの議論が足りない」。津田氏はこの点に危機感を感じているという。
フェイクニュースが引き金となり、実社会でも米シャーロッツビルのような事件が起こっている。一方、「グレートファイアウォール」を持つ中国でそのような問題は報告されていない。フェイクニュースやポストトゥルースの問題にどう立ち向かえばいいのか。答えはないが、中国のような規制ではないだろう。「『事実で対抗する』と古いジャーナリストはよく言う。それはやるべきことだが、それでも解決しないことをどうするか。フィルターバブルを破るための方策と機会を(ユーザーに)どう提供するか考えるべき」と津田氏は訴える。
AIは、人間のように五感あるいは第六感も駆使し感じることができる身体を持っていない。人間は外界とのインターフェースとしての身体を持つゆえに、主観や好奇心、問題意識を持つことができるのかもしれない。津田氏は「ネットでも、経験によってしか得られない価値を提示すると、(記事は)広まる。そこにジャーナリズムの可能性がある」とみる。身体を通じた経験だ。「人間の肌感覚は重要で、その上で多くの人に記事を届かせること。人間くささ、ジャーナリストそれぞれの文体の癖があるけど、『この人の文体じゃないと』と思わせること」に、ジャーナリストの存在意義のひとつがあるのかもしれない。
こうした感覚は、ユーザー、読者にも通じるものがあるようだ。
パネリストの中で唯一、ジャーナリスト経験のバックボーンを持たない久木田氏。「名古屋在住で中日新聞を購読している」という。その理由は「4コマ漫画と、1面の(コラム)中日春秋が好き」だから。「中日春秋には、1960〜70年台の音楽が好きな筆者だなと感じる。聖歌隊にいたキース・リチャーズが声変わりして辞めさせられたというエピソードを、パッと現在の出来事と結びつけたりしていて。(書き手の)人間性や経験、見聞きしたことが滲み出るような文章が好き。それがないと新聞をやめていた。だから、AIがどれだけ発達しても、人間が書くものを読み続けたい」。
久木田氏の言葉は、AI時代のジャーナリズムのあり方の一つを示しているようだ。
【参考】ジャーナリズム大学院設立10周年記念シンポジウム「AIは記者にとってかわるか?」