ビットコインの存在はこの1年で多くの人に知られることになった。しかし、その技術的基盤にはまだまだ多くの課題がある。生まれて間もない技術を社会的インフラに成長させる過程では、どのような意思決定のプロセスが必要なのか。そのヒントをインターネット普及の過程に求めつつ、ブロックチェーンに必要な技術を公開の場で育成するさまざまな試みが始まっている。こうしたプロセスが必要であると判断した理由や、今回新たに開催されるレイヤー2技術に関するコンペティションの運営思想や開催詳細についてMITメディアラボ所長リエゾンで、この分野でのDG Labのアドバイザーもある松尾真一郎氏に寄稿をいただいた。
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ビットコインやブロックチェーンの技術は十分に実用的なものになっているのだろうか。筆者としてはこういった表現は好きではないが「暗号通貨の時価総額」みたいなもの―現在の取引所でのワンショットのフィアット通貨に対する交換レートを、流通済みの暗号通貨の数で掛けた金額―が数十兆円にのぼるところをみると、現実の世界で大きな存在感があるがゆえに実用性を持っているように見えてしまう。
しかし、その一方で多くの課題も存在している。例えばスケーラビリティの問題。すなわち単位時間内に処理できる取引の数は実際には大きく制限されているし、この問題への対応を巡ってビットコインの実装が分裂をしている状況が存在していることは今年繰り返し話題となった。また、本来安価な送金手段であるはずなのに、数十分以内の送金完了のために千円単位の手数料を払わなければならず、手数料を積まないと支払い処理に時間がかかる現状をみると、とてもではないが技術的に実用的だとはいえない。
ブロックチェーンをいかに進化させるのか
スケーラビリティの問題は、非中央集権というパブリックブロックチェーンならではの特徴を重視する限り、簡単に解決できる問題ではない。2015年に始まったScaling Bitcoin Workshopは、このようなスケーラビリティ問題をはじめとして、ビットコインの実用性を強化するためのさまざまな技術を議論するために始まった国際会議だ。この会議からペイメントチャネルと呼ばれる、支払いを一旦別の場所で高速に行う技術であるLightning Networkや、プライバシーを強化するためのTumbleBitなどの技術が生まれた。
現実には、これらの技術だけでもまだまだ実用性は十分とは言えるかどうかの確証はない。Ligntning Networkのアイディアが2015年12月に発表されてから、実際にビットコインのブロックチェーン上で動くようになるまで2年もかかっている。ただ、Scaling Bitcoinのような公開議論の場を通じることで、ブロックチェーン技術の進化が図られていくことは間違いがない。これは、インターネットの技術がオープンな場で、相互互換性(Interoperability)を重視しながら発展してきたことと同じで、ブロックチェーンが経済的活動の基盤として広く使われるためには、必要不可欠なプロセスである。
ブロックチェーン技術を構成する大きな要素技術である暗号技術においてもこの思想は同じで、現代暗号においては「暗号アルゴリズムの詳細が秘密であるから安全」というロジックは通用せず、「暗号アルゴリズムの詳細は公開されていて、多く人の検証を経ていること」が暗号技術の信頼を勝ち得る唯一の方法になっている。これは、バックドアと呼ばれ、一部の人だけが知っている穴を利用して暗号データを解読したり、電子署名を偽造したり、ハッシュ関数の衝突を見つけられないようにするための知恵になっている。
ブロックチェーン技術の開発は当初からオープンソースの流儀で行われているが、一方でオープンな技術議論を、広いバックグラウンドを持った人たちで行う取り組みが始まったのは、ここ数年の話だ。この観点で言えば、ブロックチェーンのデベロッパー・コミュニティーにとっても、ブロックチェーン技術を健全に発展させるための方法は、手探りの状況である。
オープンコンペティションの有効性
ある目的を持った技術を成熟させる方法として技術のオープンコンペティションを行うというのは、有効な手段である。先に述べたように、暗号技術においては、標準技術を決める際にオープンコンペティションを開催するのが当たり前になっている。例えば、かつての米国の標準暗号であるDES(Data Encryption Standard)に、三菱電機の松井充氏によって解読方法が発見された後、DESの適用方法を工夫するTripleDESによって延命が図られたが、並行して米国連邦政府の標準暗号を定めるNIST(National Institute of Standard and Technology)は、次世代ブロック暗号であるAESを定めるコンペティションを開き、世界中から暗号アルゴリズムの提案を受けて、数回にわたる公開の技術評価の学術会議を開き、最終的にベルギーの大学が提案したRijndaelがAESアルゴリズムとして選ばれた。
また、2004年に広く使われていたハッシュ関数MD5と、NIST標準ハッシュ関数SHA1の前バージョンであるSHA0に対する攻撃が発表された後、NISTは同じく次世代のハッシュ関数SHA-3のコンペティションを開催した。これもAESのコンペティションと同様のプロセスを経て、世界中から集まった64件の中から、これもベルギーのkeccakがSHA-3として選ばれた。
オープンコンペティションは、単に優秀な技術を選抜するだけではなく、技術の発展に大きな寄与をもたらす。AESのコンペティションにしても、SHA-3のコンペティションにしても、そのきっかけはそれまでの技術に大きな問題が発見されたことだ。つまり、それまで安全だと信じていた技術と知識に大きな抜け穴があったということを知らされたということであり、新たにコンペティションを行うことで、副産物として暗号技術に関する安全性評価手法や攻撃手法に関する知見を世界的に深めていくことができた。さらに、AES、SHA-3の両コンペにおいては、単に安全性評価を行っただけではなく、OSやマシンなどの評価プラットフォームを事前に定めた上で、実装性能の評価も行った。この過程を経て、誰もが検証可能な共通的な性能評価結果と、その性能をもたらした実装コード(プログラムコード)を手にすることができた。つまり、オープンコンペティションは、目的とする技術の進歩だけではなく、評価技術、実装技術、そして確認済みの実装コードを世界中で共通認識として得ることができる。これが、ある目的を持った技術を共通基盤として発展させるために有効な方法となるのだ。余談だが、NISTはこの両コンペティションを行うにあたり、特許権を放棄することを提案者に求めていた。これも、標準的な暗号技術の普及を大きく推進する原動力になったのは言うまでもない。
レイヤー2コンペティションの概要
筆者が共同設立者を務めるBSafe.network(http://bsafe.network)は、ブロックチェーン技術の進化に資するため、ブロックチェーンにおけるオープンコンペティションを行うことを決めた。
ここで、BSafe.networkについて簡単に紹介すると、ブロックチェーン技術の成熟を金銭的、政治的立場から離れて中立で行うために、中立性をもった大学のみで構成された研究用のテストネットワークだ。この原稿の執筆時点で、世界中から24の大学が参加しており、日本を含むアジア、ヨーロッパ、北米、そしてアフリカに広く分散したネットワークになっている。各大学には、それぞれブロックチェーンのノードとなるコンピュータが配置され、研究成果を実装したソフトウエアを各大学のコンピュータにインストールして実行することで、研究成果の有効性を実際の世界スケールのネットワークで実験できる。この実験は、セキュリティだけでなく、ネットワーク技術、コンセンサスメカニズム、ゲーム理論、経済学、および規制に関わることなど、ブロックチェーンに関わるあらゆる要素が研究と実験の対象になる。単なる技術検証だけであれば、コンピュータシミュレーションだけでも良いのかもしれないが、実際のブロックチェーンのネットワークは、コンピュータやネットワークの性能、そして運用環境などが地域によって大きく異なる。このような必ずしも理論通りに進まない 現実のネットワーク環境を用いて起こる現象を調べることができる。
そして、このBSafe.networkの研究環境を用いて、ブロックチェーン技術の様々な要素のオープンコンペティションを行おうというのが、今回の新しい取り組みだ。そして、その最初のテーマとして取り上げたのがレイヤー2技術だ。レイヤー2技術と呼ばれる技術は、いわゆる既存のブロックチェーン(ビットコインやイーサリアム)をレイヤー1として、それらのブロックチェーンはそのまま使いながら、そこに記録するデータについて別のところで処理を行って、ブロックチェーンを利用したシステム前提の機能や性能を向上させるという技術の総称だ。
既存のブロックチェーンであるレイヤー1に対して、別の処理をするレイヤーということで、レイヤー2と名付けられている。先に書いたLightning Networkや、TumbleBitはレイヤー2技術の例だ。非常に乱暴な例えだが、インターネットにおいてIPアドレスが枯渇するという問題は大昔から課題であり、それをIPアドレスのあり方から改善しようとしたIPv6が開発される一方で、現実的にはNAT(Network Address Translation)やIPマスカレードなどの技術を使ってプライベートアドレスを使い改善した。IPv6を開発しようとするのに近いアプローチが、ブロックチェーンでは、その仕様そのものの変更で、ブロックサイズの議論はこれに当たる。一方でレイヤー2技術の開発は、NATやIPマスカレードに似ていて、おおもとのブロックチェーンはいじらないが、ほかのレイヤーで実質的な改善を図ろうとするものだ。
ただ、レイヤー2技術にも弱点がある。それは、ブロックチェーン技術がもともと持っていたセキュリティの性質を犠牲することで、性能を成り立たせるという側面があるからだ。つまり、ブロックチェーンがもつセキュリティの性質は、あくまでレイヤー1に閉じた話であり、レイヤー1はレイヤー2のセキュリティを保証しない。つまり、そのようなトレードオフが実際にどうなるのかは、さらなる研究と実験が必要である。これが、レイヤー2コンペティションが必要な大きな理由だ。
このコンペティションでは、2つカテゴリーで技術を募集している。ひとつは性能やプライバシーを向上させるレイヤー2技術そのものの提案、もうひとつはレイヤー2技術の評価手法と評価ツールの提案だ。今回、ベースとなるレイヤー1のブロックチェーンは、現行のBitcoinのコードによるもので、これにそれぞれの提案者が行いたい性能向上を行うレイヤー2技術を作り出す。提案者は、技術の詳細を記載するとともに、セキュリティや性能の自己評価を行った技術文書を作成するとともに、提案を実行するためのプログラムコードを提出する。技術文書は、評価委員会の査読に掛けられ、プログラムコードは各大学に配布され、3ヶ月間の実験を行う。これらの査読と実験の結果を経て、優秀な技術を決定し表彰する。現段階では詳細は未定だが、最優秀技術と優秀技術には賞金も授与される予定で、またこれらの技術の提案者は2018年の夏に予定されているBSafe.network主催の学術会議で技術発表を行うとともに、表彰式に招待される。評価委員会のメンバーは、BSafe.networkに参加する大学の教授陣の他に、ビットコインのコアデベロッパーであるJeremy Rubin、TumbleBitの作者であるEthan Heilmanなどから構成されている。このコンペティションには特段の参加資格はなく、誰でも参加可能である。応募の締め切りは2018年3月31日で、ここから3ヶ月間の評価期間をへて、2018年6月30日まで評価を行い、2018年7月15日に最優秀技術と優秀技術を発表、2018年8月に学術会議における技術プレゼンテーションと表彰式を行う。
英語で書かれているが、このコンペティションの技術募集と詳細なルールは以下のURLを参照してほしい。http://bsafe.network/technology-competiton/leyer2competition/index.html
コンペティションの開催で期待されること
ブロックチェーンの技術開発において、オープンコンペティションを行うというアイディアは、Sclaing Bitcoinの第1回から議論されてきたものだ。しかし、NISTの暗号コンペティションにはNISTという権威を持った評価機関があるが、非中央集権的なガバナンスが必要なブロックチェーンにおいては、中央集権的な評価機関の存在は好ましくない。第1回のScaling Bitcoinにおける議論で課題となったのは、その点だった。その後、筆者を中心にBSafe.networkを構築し、世界中に散らばった大学ノードにおいて、ある程度権力の集中を避けた状況の中で、オープンな環境を用いたコンペティションができるようになったことで初めてブロックチェーンの世界でも、技術コンペティションができるようになったのではないかと考えている。だからこそ、この初回のレイヤー2コンペティションで、少しでもいい技術が提案されて、なおかつ信頼性が高く、誰もが検証可能な評価結果を生み出すことが重要になる。
そして、このような取り組みが当たり前になることで、単に金銭的利益や投資のためのプロジェクトではなく、技術開発を競うことでより良い技術の進化が行われる土壌ができることと、そのエコシステムができることが、ブロックチェーン技術の進化に真に必要なことだと考えている。
日本においてもブロックチェーンのプロジェクトは増えている。一方で、世界の視点で見たときに、それらのプロジェクトが技術的に目立っているかというと必ずしもそうではなく、国外から発信される技術の後追いになっているケースも少なくない。今回のコンペティションと参加することで、世界に対して先進性をアピールする大きなチャンスであり、公平な評価環境の中で優位性をアピールする大きな機会になる。また、世界の技術から見たときの位置付けも見えてくるだろう。ぜひ、腕に覚えのある技術者に多くの応募をしてもらえれば、ブロックチェーン技術への進化に大きく寄与できることになる。1つでも多くの優秀な提案に期待したい。