ブロックチェーンは、ビットコインや Ethereum(イーサリアム) などの仮想通貨に使われている技術として知られている。仮想通貨はブロックチェーンの利用例のひとつに過ぎず、他にも保険や物品のトレーサビリティ(流通経路追跡)など、多くの分野で応用が検討され、または実証実験が行われているが、大規模な実用例はまだほとんどない。
中国・深圳ではテンセントが提供するブロックチェーン運用基盤「TBaaS」(Tencent Blockchain as a Service) を利用した適格領収書 (インボイス) の発行システムが去年 (2018年) 8月にリリースされた。このシステムは2019年3月には地下鉄の電子領収書にも採用され、広く一般ユーザが使うことができるようになった。毎月延べ1.4億人もの人が利用する公共交通機関での本番投入は世界でも類を見ないだろう。このシステムについて、導入に至った経緯と採用された技術、また実際の利用方法について詳解していく。
中国の適格領収書(インボイス)、発票 (ファーピャオ) とは?
「発票」とは、経営活動において対価の授受があったことを証明する書類で、日本でいう領収書のように決済が行われたタイミングで発行される。
発票は税金や会計上の根拠となるもので、販売者は発票に記載した取引額に応じて増値税 (日本でいう消費税) の支払が必要となり、購入者は発票に記載された取引額を仕入れ控除とすることができる。また、その際、売上先の名称および法人番号 (販売相手が法人の場合) を記載する必要もある。一般的な領収書と異なり、国税当局が用紙と台帳を管理しており、だれに、いつ、いくらの発票を発行したかは当局に報告する必要がある。
まとめると
• 発票は税額が記載された領収書のこと
• 発行者 (販売者) は国税当局から用紙を買い、発行後は国税当局に税額と売上先を報告する必要がある
• 受領者 (購入者) は受け取った発票を国税当局に提出することで経費として計上できる。
という仕組みである。
従来の発票システムの問題点
中国の発票システムでは取引に付帯する税額や、取引の当事者 (販売者と購入者) の情報が逐一記録されることから徴税プロセスが明確になる。その一方、発票用紙を国税当局から購入する手間、発票用紙を保管する手間、発行に要する手間が事業者の大きな負担になっていた。また発票を受領した側にとっても、発票を会社の経費システムに登録する手間や、発票を会社の支出と突き合わせて会計や税の手続きをする手間があり、ライフサイクル全体で大きな負担が生じている。
日本の領収書でも宛名や金額を書き換えるなどの不正事案は枚挙に暇がないが、中国の発票も紙でつくられているため、偽造や改変など、セキュリティ面での懸念がある。
中国では電子発票や発票プリンタといったソリューションが既に存在している。セキュリティの向上のほか、ペーパーレス化により発票用紙を在庫する必要性が解消し、また発行と同時に税務当局にデータを送信することで事務手続きの手間を軽減している。下の画像はレストランで受け取った発票で、発票通というサービスを通じて電子発行されたものだ。検証コードやそれを確認できる QR コードがあり、発行におけるセキュリティや管理の問題は幾分改善されている。
一方、このシステムだけでは発票を受け取った側が誤って二重に記帳してしまったり、受け取った発票と異なる内容の税申告や会計処理をする可能性については防ぐことができない。例えばこの発票を北京と上海の税当局に同時に提出してしまえば経費を過剰に計上することができてしまう。こういった諸問題に対応するため、税当局では、疑わしい取引を探し出して調査を行ったり、遠隔地の税務署や発行元の法人などと連絡とって整合性を確認するなどの手間がかかっている。
発票の発行システムを拡大し、会計や税申告まで含めて一本化するという解決策も検討されてきた。しかしながら従来のシステムでは開発に時間がかかる上、複雑性が増すことにより今後の改修が困難になりがちだ。そのため各当事者が独自につくったシステムの中で、共通で扱いたいデータのみを互いにやりとりする、疎結合(ゆるやかな状態での結びつき)なシステムを目指す事になった。しかし複数の当事者が開発したシステムを疎結合する場合、「システム間の同意をどうとるか」という問題がある。例えばある発票を北京と上海の税当局に提出した際、どちらか片方の税申告を有効とし、もう片方は無効とし、その判断は全体で統一されていなければいけない。
この課題を解決するためブロックチェーンが着目された。ブロックチェーンの技術を応用すれば各地の税当局、発票発行サービス、会計事務所、銀行など、複数の当事者が台帳を書き換えても矛盾が起きないことが保障される。
従来の電子発票プラットフォームでは発票を発行した法人の所在地の税務局しかデータベースにデータを書き込むことができなかった。ブロックチェーンベースの発票システムではこれに加えて販売者・購入者の会計システム、会計の報告や還付申請に関わる当局などライフサイクル全般にわたる当事者がデータベースにアクセスできるようになったのだ。
ブロックチェーン発票システムの実態
深圳地下鉄では、テンセントが運営するウィーチャットアプリ内で動かせる独自の「ミニプログラム」の1つである「乗車碼(ツェンツェーマー)」に表示されるQRコードをかざして改札を通過できる。この乗車碼で支払った運賃の発票にブロックチェーンベースのシステムが採用されている。
乗車碼は、1日に100万人以上が利用している (2019年2月現在) システムで、この規模のサービスにブロックチェーンのシステムが応用されることは極めて珍しい。
実際の発行手順において、利用者がブロックチェーンのことを意識することはまったくない。乗車碼の画面から乗車記録 (利用履歴) を開き、発行したい取引を選んで「開具発票」を選ぶ。指示に従い発票に記載する宛名、相手方が法人の場合は税ナンバーを入力すると、1秒かからずに PDF の発票が生成された。
生成された発票で目につくのは、右側にある66文字の16進数 (0-9, a-f) の数列と左上の QR コードだが、前述の電子発票とほぼ同様に見える。数列は記載内容のハッシュ値 (データを数学的な処理により要約したもの。元のデータを文字でも書き換えると全く異なる結果になる) というもので、この値をブロックチェーンのデータベースに記録することで、発票の特定と改ざん防止を実現している。
QR コードは発票の検証や利用のために設けられているもので、対応するアプリでスキャンすることで、この発票の内容検証、対応する経理ソフトへのデータ取り込み、さらには税金の還付申請や納付まで行うことができる。
とりわけ目を引くのは税金の還付申請だ。発票が対象としている増値税 (VAT) は仕入れ時に払った税金を控除することができる。(これは日本の消費税でも同じ仕組みである) ただ、還付を受けるには、仕入れ分と販売分での税金の支払い状況を明らかにした書面を作成する必要があり、ハードルが高く時間もかかる。
ブロックチェーン発票システムでは、QRコードを税務アプリに読み取らせるだけで、即座に税金の還付を受けることができるようになった。これは二重トランザクション防止の仕組みを使っており、申請のあった仕入控除分の税金の還付が一度だけ処理されることを保証できる。また対応する販売情報の発票の消し込みも同じくブロックチェーン上で処理することで、経費が二重に計上されることも防いでいる。そのため、還付申請から受理までの速度が大きく向上し、申請から数秒で ウィーチャットペイで還付金を受け取れるようになった。
Hyperledger Fabricによるコンソーシアム型のブロックチェーン実装
ビットコインやEthereumはパブリック型のブロックチェーンと呼ばれ、誰もがそのネットワークに参加することができる。ブロックチェーンの唯一性をネットワーク全体で合意するために主に Proof of Work (マイニングなどの仕事量による証明) アルゴリズムが用いられている。これに対し、今回のブロックチェーン基盤では Hyperledger Fabric というコンソーシアム型のブロックチェーンが使われている。
コンソーシアム型は新しいノード (コンピュータ) が参加するときに、既存のノードからの承認が必要な設計で、お互いに信頼できるメンバーの間で合意形成をしながら唯一の台帳を管理する技術である。
前述の発票ブロックチェーンでは Hyperledger Fabric のブロックチェーンに税務当局や発票管理SaaS など複数の当事者がメンバーとして参加している。今後新しい当事者が参加する場合は既存のノードからの投票により承認が行われる仕組みだ。
テンセントが提供している TBaaS は Hyperledger Fabric ベースのブロックチェーンの運用に必要なシステムをパッケージ化してクラウドで利用できるようにしたものである。管理画面上でコンソーシアムを定義し、chaincode (スマートコントラクト、自動執行される契約のルール) をアップロードするだけでブロックチェーンの運用を始められ、コンソーシアムへのメンバーの招待や承認の投票も管理画面の操作で行うことができる。コンソーシアムのメンバーにとって、ブロックチェーン基盤の構築や運用を TBaaS に任せることができることは大きなメリットだ。また TBaaS はトランザクションの実行や参照に用いるシンプルな HTTP API を提供しており、メンバーによる既存のアプリケーションとの繋ぎ込みを支援している。
進むブロックチェーン技術の社会実装と課題
深圳で運用されているブロックチェーン発票システムはリリースから半年あまり (2018年8月〜2019年3月末) で1,500社に導入され、150万枚の発票が発行された (出典)
同様の仕組みを取り入れている電子処方箋の例を挙げよう。
処方箋は本来高いセキュリティを兼ね備えている必要がある。医療用の麻薬や向精神薬など他人への譲渡に危険性を伴う薬もあれば、生活保護受給者など医療費が免除される患者が処方薬を大量に入手して転売を試みることもある。また過剰投与や副作用などの問題からも患者が受け取った薬を正しく追跡する必要がある。
ところが処方箋を一元管理しようとすれば、複数存在する電子カルテなどの医療システムのすりあわせが必要となり多額の費用と時間がかかる。ここでもブロックチェーン技術の応用による分散型台帳技術が導入された。
現在、複数の電子カルテと電子調剤システムが投薬ブロックチェーンを応用したシステムに参加しており、同システムを導入した病院での処方箋には QR コードが印刷されている。調剤薬局は受け取った処方箋の QR コードを読み取り、処方箋の内容の正当性を検証するとともに、ライフサイクルイベントを確認する。他の薬局で使用されていない処方箋であれば薬剤を処方し、「処方」のイベントを担当薬剤師の氏名や Lot 番号などとともにブロックチェーンに書き込む。
二重発行や過剰投与などの問題があった場合は直ちに警告されるが、普段は医療従事者や患者がブロックチェーンの操作を意識することはなく、既存の電子カルテや調剤管理システムの内部でブロックチェーンの読み書きが静かに行われるのみだ。
また投薬ブロックチェーンシステムは処方薬のオンライン配送にも役立つ。アリババグループで金融サービスを手がける螞蟻金服 (Ant Financial) では、オンライン問診の際に発行した処方箋をオンライン処方薬局とデータを共有するためにブロックチェーンを用いている。ブロックチェーンを用いることで、処方箋が二重に利用されることを防ぎ、また他社のシステムとの相互利用が迅速に進むことが期待できる。
不正な処方箋や領収書などの持ち込み、あるいは証憑書類の二重提出などのヒューマンエラーはそうそう起こるものではない。ただし起きる可能性が少しでもある限りは、エラーを検知するための対策を講じる必要が生じる。エラー検知にかかるコストと時間は世の中全体の負担となっていて、手数料の高騰や処理の遅延に繋がっている。保険の返戻率が低く、支払に時間がかかるのは、診断書などの請求書類の正当性を確認し、二重払いを防ぐためのプロセスにかかるコストと時間が原因だ。
中国におけるブロックチェーンの社会実装は、こうしたエラー検知にかかるコストと時間を削減するための取り組みであると言えよう。
一方、ブロックチェーンの社会実装における最大の課題は「チェーンの外との繋ぎ込み」であるという見解が、「Tencent Blockchain White Paper」 で述べられている。スマートコントラクトはあくまでブロックチェーンの内部で自動執行される契約であり、現実社会で契約が執行されることまでは保証できない。例えば「金銭を払うと商品が発送される」スマートコントラクトが実行されたときに、本当に商品が発送されることを実現するには、今のところコンソーシアムのメンバーが誠実に仕事をすることを期待するほかない。将来、製造や物流など、それぞれの分野がそれぞれのチェーンを使うようになり、チェーン間で協調動作ができるようになれば、より一貫した動作を実現することができるようになる。その第一段階として、様々な業界でブロックチェーンの導入を進めるべく、中国ではブロックチェーンプラットフォームのエコシステムが広がりをみせているのだ。