2019年5月20日、東京国際フォーラムにおいて、「次世代コンピューターが実現する革新的ビジネス 〜量子コンピューター/アニーリングマシンが切り開く未来」と題された経済産業省政策シンポジウムが開催された。
現在、AI(人工知能)やIoT、ビッグデータ解析などにおいて、膨大な情報を瞬時に処理できる次世代コンピューターの実用化への期待が高まっている。特に“夢のコンピューター”と言われる量子コンピューターの一種である量子アニーリングマシンは、実用化されればAIの飛躍的な性能アップが見込まれるため、大きな期待がかかっている。
シンポジウムでは、量子アニーリングマシンの計算原理を発案した西森秀稔氏(東京工業大学 科学技術創生研究員 教授/東北大学 大学院情報科学研究科 教授)をはじめ、カナダのD-Waveや、次世代コンピューターの開発や実証実験などを行う国内の企業や研究機関の関係者が登壇した。
注目するのは良いが、過度な期待には注意が必要
国内の次世代コンピューター開発への大きな期待が語られる中、西森氏の冷静な論調が興味を惹いた。
『量子アニーリングの現状と展望』と題した基調講演では、「量子コンピューターという言葉が世の中に浸透しかけているが、多少なりとも混乱がある」とし、まず量子コンピューターの2つの方式(ゲート方式、アニーリング方式)の違いを解説した。
2つの方式のうち、長い研究開発の歴史を持つのがゲート方式で、通常のコンピューターの上位互換にあたるような汎用型のマシンとなる。原理的にはどのような計算もできるが、「高速に処理できることは限られている」という。主な想定用途は、暗号解読、量子シミュレーション、機械学習。
一方、量子アニーリングは、膨大な選択肢から最適な組み合わせを選び出す組み合わせ最適化問題を解くことを主な用途とするマシンで、金融や創薬、物流など幅広い分野での活用が期待される。
「これらの量子コンピューターを今すぐ企業が導入して来期の収益が改善されるかというと、そうではない。本当に大きなことができるまでには10年、20年のスケールで待たないといけません」と西森氏は述べた。
また、2015年にGoogle とNASAが、D-Waveの量子アニーリングマシンが従来のコンピューターと比べて「1億倍速い」と発表した件については、D-Waveマシンに有利になるよう問題を設定した結果だとし、「いろいろな問題をあっという間に解けるような誤解が蔓延した」と指摘する。
「この分野は盛り上がるのはいいが、やや過熱気味な気がします。ですから私は『(実用化までは)もうちょっと長いんだよ』ということを、いろいろなところで申し上げるようにしています。今日の講演はブレーキとアクセルの具合を微妙に調整しながら話しています」と、量子コンピューター開発への過剰な期待に釘を刺した。
一方で「この分野は毎日のように新しい論文や研究成果が発表されている」と、急速に進む研究開発の成果にも触れた。昨年、南カリフォルニア大学の研究グループが、量子アニーリングマシンが有利になるような設定をしていない最適化問題を作り、従来のコンピューターと量子アニーリングマシンで比較テストをしたところ、量子アニーリングマシンが最大約1000倍速く解いたという。
また最近考案された特殊な回路を量子アニーリングマシンに組み込み、ソフトウェアが巧く走るようになると、アニーリング方式のマシンが、ゲート方式と同じような汎用型マシンとなる可能性も出てきたと期待をにじませた。
「じゃらん」でも活用される量子アニーリングマシン
シンポジウムの後半では、自動車業界で量子アニーリングマシンを活用する取り組み(株式会社デンソー『量子アニーリングで切り開く自動車業界の未来』)や、AIで材料開発を加速するマテリアルズ・インフォマティクス(MI)手法を、量子アニーリングマシンでさらに高速化する取り組み(物質・材料研究機構/東京大学『量子アニーリングを用いたマテリアルズ・インフォマティクス手法』)などさまざまな活動が紹介された。
その中で、こんな身近なところで量子アニーリングマシンが活用されていたのかと関心を集めていたのが、株式会社リクルートコミュニケーションズの棚橋耕太郎氏による『デジタルマーケティングにおけるアニーリングマシンの活用』と題された講演だ。
現在リクルートは、旅行情報サイトの「じゃらんnet」やグルメ情報サイトの「ホットペッパーグルメ」などを運営しているが、これらのサービスに共通するのは、ユーザーとサービスを提供するクライアントをマッチングさせるプラットフォームであることだ。
このマッチングを適切に行うには、サービスの情報を「いつ」「誰に」「何を」伝えるのかが重要だが、これを精密に行おうとすると、膨大な組み合わせの中から解答を探し出す必要が出てくる。そこで棚橋氏らはD-Waveの量子アニーリングマシンを活用したという。
棚橋氏は、具体的な例として、旅行情報サイト「じゃらんnet」における宿泊施設の表示順序の最適化に量子アニーリングマシンを活用した事例を挙げた。
ユーザーが「じゃらんnet」で宿泊施設を検索するときに、必ず通るのが宿泊施設の一覧ページだ。このページで宿泊施設をどのような順番で掲載するかによって、全体の売り上げが変わるという。従来では人気(利用頻度)が高い順に宿泊施設を並べていたが、ビジネスホテルや同じエリアのホテルが上部に固まって表示され、あまり使い勝手が良くない状態だったという。
棚橋氏らはこの問題を解決するため、人気の高さと宿泊施設の多様性を両立するような表示手法を開発し、量子アニーリングマシンで効率よく組み合わせの解答を得られる仕組みを構築。その結果、「従来の表示手法と比較し、全体の売り上げが向上した」と実験の成果に自信をのぞかせた。
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西森氏によると、量子ゲート方式では、暗号解読や量子シミュレーション、機械学習のタスクが、マシンとして成立した際には、劇的に高速化されることが論理的に保証されているが、量子アニーリング方式ではまだ論理的な保証がない。論理的な保証を得るためにも、量子アニーリングマシンが高速に処理できる事例をひとつでも多く見つけることが重要だという。
着実に一歩ずつ進む姿勢が、“夢のコンピューター”実現には求められているようだ。