昨年、このサイトで、ブロックチェーンについての振り返りの記事を書いた時、2019年は「大人の階段を登る」時と表現した。2019年にこの技術に外部から求められていたのは、まさにこの段階であったと思う。そして1年を終えてみると、「大人の階段を登った」というのには不十分だったのではないだろうか。
2008年にビットコインが、「信頼できる第三者の存在なしに、Peer-to-Peerで支払いができる」最初のアイディアを示した時以来、その可能性に多くの人が(時にはその数学が意味する以上の過剰な)期待を寄せている。しかし、この数学とアルゴリズム自体は、実際にはそれ以上のことを保証しない。そのために、技術的な実験にとどまっているうちは好意的に受け止められる。一方で、この数学は、現代の「通貨(Currency)」を構成するには、機能不足であることも事実だ。ビットコインが、その数学の示すところ以上に「通貨」のような性質を持っているかのように「見えた」ため、貨幣論的な議論が先行してしまっていた。しかし、実際に通貨のように使おうとすると、機能として不足していた部分のアラが見えてくる。取引所にまつわる問題や、詐欺の防止などの消費者保護の問題もその一部だ。プログラムによって自動化されるため、現金に比べてマネーロンダリングがしやすくなるという犯罪防止の観点もある。
これらの問題は、ブロックチェーンの技術が、実験から我々の生活上の実用により近づいてきたため、クローズアップされるようになった。昔、インターネットの普及段階で「ラストワンマイル」という言葉が使われた。新しい技術がより多くの利用者を獲得する段階において、利用者への届けかたは重要で、そのデザイン次第では社会的に良い影響をもたらすこともあれば、悪い影響を与えてしまうこともある。これが、ブロックチェーンが登るべき大人の階段であるが、過去の技術への投資の回収を急ぐあまりに、そもそもその階段が何段あるのか、1つの階段がどれくらいの高さなのかさえ手探りのままに、登り始めてしまったのではないかという気がする。
その象徴がFacebook Libraと、それがもたらした騒動だろう。Facebook Libraそのものについては本稿では論じないが、ワシントンDCで行われた2度の議会証言では、ラストワンマイルの部分での検討不足が繰り返し指摘された。そして、残念ながら、民主主義の象徴である選挙によって選ばれた議員の質問に十分な回答を示せず、アメリカ国民の代表との「対話」はうまくいかなかった。数多くの質問が発せられたが、そのひとつはガバナンスに関するものであり、端的に言ってしまえば「20数社のLibra協会のガバナンスが米国の金融政策を決定する源となる民主主義を上回っていいのか」という点だ。それは民主主義を体現する議会の立場で言うと当然の質問であり、その質問に十分な答えがなかったと言うことは、民主主義国家のプロセスとの乖離に対する疑念を増してしまったと言って良い。
この点において、いくらブロックチェーン技術が優れ、Libraのアイディアが優れていたとしても、「通貨」や「経済活動」といった、ひとつ間違えば社会に対する影響が甚大になる応用において、登る必要がある階段に対する認識や準備が不足していたと言わざるを得ない。インターネットとブロックチェーンの時代において、秩序は法律だけでなく、コードや市場や規範などが組み合わさって構成されていくと考えられているが、コードだけで既存の民主主義をオーバーライドできると思っているとすれば、そこには齟齬が生じてしまう。いや、新しい社会や国家を作るのだ、という気概でプロジェクトを進めるのであればそれもひとつの考え方ではあるが、その社会を責任あり、持続的なものにするためにどうすべきか、を考えると、結局、抗っているはずのガバナンスの問題は自分に跳ね返ってくることになる。
Libraが多くの騒動を巻き起こしているのは、その認識が十分でないまま、幅広い議論を熟成させる前に、現実社会にインパクトを起こすプロジェクトを立ち上げてしまったためだろう。金融の世界にシリコンバレー流の”Fail Fast”は適合しないし、SNSですらプライバシー保護上の問題を抱えている上に、さらに多くのハードルがある金融に同じ感覚で挑んでいるのだとすると、寝た子を起こす状態になってしまう。
ここまでネガティブなことを書いてきたが、ブロックチェーン技術のポテンシャルを信じる人にとって、このラストワンマイルの階段をしっかり登る覚悟を持っているかどうか試されていると言う点で大事な局面である。ホワイトペーパーとイベント登壇だけが実績になる時代は、すでに終わったのだ。
2019年は日本でG20が開かれた年だった。G20は日本ではリーマンショックと呼ばれる金融危機への対応が発端で作られた会議体であり、金融に関わる議論が本来の中心である。そして、金融規制当局とサイファーパンク(Cipher punk)であるAdam Back氏がともに議論をしたG20では、通常あり得ない文章が合意文書であるコミュニケに載った。それはマルチステークホルダー間での対話を歓迎するというものだった。通常、マルチステークホルダーの議論を行うと、規制当局はその規制の権限を一部放棄することにも繋がる。G20のコミュニケは、それでも(政府のことが嫌いな)サイファーパンクなどのエンジニアを含め、幅広いステークホルダーとの対話こそ、新たな秩序を作る鍵だと合意した。Libraの発表が、福岡でのG20財務大臣・中央銀行総裁会議と大阪でのサミットの間に発表されたことは皮肉でもあるが、多くのエンジニアがもしかしたら邪魔だと感じている規制当局の側から、ラストワンマイルのための大人の階段を準備したいといっているメッセージには、より気を配るべきだろう。
Libraと、Libraの影響を受けた中央銀行発行デジタル通貨(CBDC)は、引き続き議論の対象になるだろう。それと同時に、2008年以降、さまざまな技術開発は進んでおり、ブロックチェーンもより高度な応用への可能性が広がっている。スケーラビリティ、プライバシー、そしてスマートコントラクトのプラットフォームなどの新しい’アイディアは次々と出ていて、コードのみならず、学術的論文はさらに増えている。この流れも引き続き拡大していくだろう。
一方で、2019年に表面化した「ラストワンマイルに近づいたことによるガバナンス問題」は、さまざまな技術開発が進むにつれて、対応を怠れば問題が拡大する。この解決を始めないと、Libra以上の過剰反応を産むことにも繋がりかねない。
先日、金融庁は3月9日、10日に「Blockchain Global Governance Conference (BG2C))を開催することを発表した。発表資料によると、G20での議論をふまえて、マルチステークホルダー型のガバナンスに向けて、より一歩進んだ議論を目指している。2020年は、ブロックチェーンが社会で歓迎されるための活動の重要性が増していくことは間違いない。逆に、ここをおろそかにするプロジェクトはLibraと同じ困難に直面することになるだろう。
Libraについて、通貨における覇権争いや、通貨の発行が国家なのか別の主体なのか、という議論にどうしてもなりがちだ。しかし、国家間の対立や国家対その他の対立という構図で考えるのは、実態をあらわしておらず、建設的ではない。場合によっては技術の普及を阻害する原因にすらなるだろう。このような議論になると、通貨が国家から解放されることのメリットのようなものだけが喧伝される。しかし、都合の良い時だけ国家を敵視して、問題が発生して都合が悪くなると国家に頼るようなフリーライドは許されないというのが本質だ。いろいろなナイーブな議論の中には、自分たちが誰の肩の上に乗っているのか認識されていないケースも多い。
例えば、暗号資産はインターネットがPermissionlessに動き続けることが前提になっているが、その前提を維持する地道な努力をしている人たちを忘れて、自分たちだけが経済とビジネスを作っているように見える発言もある。インターネットのオペレーションをする人だって、極めて大事なステークホルダーなのだ。仮に暗号資産やブロックチェーンが安心して使えるとすれば、電力、災害や犯罪が起きたときの物理的な身の安全、国家安全保障などを支えている国家的なものの肩の上にすでに乗っている。だからこそ、対立軸のアジェンダ設定は間違っていて、今まで見ないことにしていたステークホルダーを含めた協調が必要なのだ。
ブロックチェーンは、元来「グローバル」な技術なので、国境の壁など関係なしに、急速に議論が行われていく。インターネットの世界では、ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)がリソースの割り当てを議論し、IETF(Internet Engineering Task Force)が技術の標準を、具体的なコードと技術的仕様書のみから作成する。ブロックチェーンで2020年に始まるのは、実体的な作業であり、このようなドキュメントを叩き台にして初めて、マルチステークホルダーは共通の土台で議論が始められる。さまざまなステークホルダーが議論に時間を掛けるに値すると認識できるドキュメントとコードのみが、この世界での武器になるし、それ以外は一顧だにされなくなる。ブロックチェーンに限らず。すでにIETFでは、GitHubを活用して広い参加者でドキュメントを作り始めている。米国標準を作成するNISTでも同様だ。ここに参加していないということは、すでにゲーム作りから取り残され始めているのだ。
G20以降、何度か試験的に行われたマルチステークホルダー議論のためのワークショップで、規制当局者とエンジニアの間で議論された話題は「規制当局がビットコインやイーサリアムのコードにプルリクエストしたらどうするか」ということだった。これは、面白い思考実験で、マルチステークホルダーによるガバナンスの理想像になるだろう。つまり、異なるステークホルダーが、お互いが尊敬しあえる形でインプットすることが重要で、それは業界の人が政治家や重要な人物にロビイングするという従来的な形態とは全く異なり、まさにGitHubなどを利用したオープンイノベーションに慣れたエンジニアの腕の見せ所になる。
つまりは、曖昧なホワイトペーパーや、ショーアップされただけのイベントへの登壇や、そして単なるソーシャルイベントから、戦いの舞台が現実のルールづくりに移る時代になる。そして、議論はもちろん英語だ。そして、一番大事なのは、これらのことをできる単独の人間はいない。いかに、10年とは言わないまでも長年の経験を持った人のチームを構成できるか。この構成力が、ラストワンマイルの勝者を決め、投資回収の姿を決めていく。すでに、外部的な要求も、舞台設定もできつつある。あとは、演者を揃えられるかだ。