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「飛躍への期待」から「生活費の足し」へ 変わる中国の副業観

ショッピングモールの前でレストランのデリバリー注文を待つ「騎士」(ライダー)たち。大半は他の職業を持つかたわら、副業として手がける。

ショッピングモールの前でレストランのデリバリー注文を待つ「騎士」(ライダー)たち。大半は他の職業を持つかたわら、副業として手がける。

 中国では、複数の収入源を持つのは普通のことだ。現在の自分の仕事や収入に満足せず、第二の職業に就き、そこを足がかりに自分のさらなる願望を追いかける。そういう前向きな姿勢が、中国の成長を支えてきた。

 しかし、経済成長のスピードが鈍化し、市場が成熟して競争は激しくなる一方。おまけに家賃や人件費の高騰で、個人が事業を立ち上げるハードルは高くなっている。こうした変化を背景に人々の「副業」に対する意識は最近、大きく変わりつつある。夢の追求はスケールダウンを余儀なくされ、それに代わって、副業は日々上昇する生活コストの補填、不安な老後への備え――といった生活防衛的な色彩を濃くしている。ある意味で、日本の状況に似てきたと言えるかもしれない。

リスクヘッジが副業の基本

家賃高騰の時代、個人の商売で目立つのが、道路に面した住宅の窓を活用した「窓ストア」。商品や代金のやりとりは全て窓越しで、客は店内に入らないのが基本。

 中国ではもともと副業(第二職業)の観念はなじみが深い。それは生き方の根底に常にリスクヘッジの発想があるからである。リスクヘッジの基本は「選択肢を増やす」「常に他のオプションを持っておく」ことにある。社会の大変動がしばしば発生し、権力者の都合で民草が振り回されるのが日常茶飯時の中国社会では、人々は常に自分の人生のポートフォリオを考え、リスクヘッジをしておく行動様式が身についている。

 世の中はすぐに変わるものだ。収入源が一つでは不安である。常に他の選択肢が手許にないと落ち着かない。こういう心理が中国人の中には根強くあって、これが「自分の仕事を一つにしない」「過度に専門化するのはリスクが高い」という発想になり、「副業を持っておくにこしたことはない」という動きになって表れる。

社会の「構造変革」「経済成長」「インターネット普及」の同時到来

 もともと社会にそういう職業観があるところに、中国では2000年代以降、

 など社会の大変革が次々と実行され、そこにインターネット(2010年以降はスマホ)の急激な進化が重なり、爆発的な経済成長の時代がやってきた。これは中国の個人にとってはきわめてラッキーなことであった。

マホ時代の副業の代表格は中国でも配車アプリを活用したドライバーの仕事だ。資格に法的規制はあるものの、車とスマホがあればとりあえず始められる手軽さもあって、副収入の増加に大きく貢献している。

 社会構造を変化させようとしても、雇用が流動化せず、対応が遅れるのが日本社会の弱点だとすれば、中国はまさにその逆で、「流動化こそが生命線」みたいな発想を持っているから、第二の職業を踏み台に、どんどん自分自身の軸足を時流に適合する方向に移していく。特にスマホ時代の到来以降、さまざまなテクノロジーがアイデアに終わらず、社会に続々と実装されていった背景にはこうした状況がある。

 昨今、日本でもよく知られるようになったDiDi(滴滴出行)など(「中国版Uber」的な)配車アプリの急激な成長も、それを可能にしたのは、「職業を一つに固定しない」中国人の働き方であった。現在の仕事を思い切って辞めたり、現職となんとか折り合いを付けたりして、睡眠時間を削ってでも収入源の多様化のために奔走した人々は少なくない。

 また、爆発的な成長を遂げた中国のEコマースを基盤から支えたのも、同様に荷物のデリバリーに果敢に参入した個人の行動様式だった。「Uber Eats」のような個人の「配達パートナー」を活用したフードデリバリーのサービスは、中国ではもう何年も前からごく日常的なサービスになっているが、それはこのような人々の意識と行動に支えられたものだ。

「スラッシュ青年(斜杆青年)」とは何か

 こういう社会の「構造変革+経済+スマホ」の同時並行の成長が進行する中、中国の個人は従来の職業をとりあえずの基盤としつつも、その場所に留まることをせず、若い世代を中心に、積極的に「第二職業」に乗り出した。そういう人たちを「スラッシュ青年(斜杆青年)」と呼ぶ。「スラッシュ」は「/」で、名刺やプロフィールに肩書を書く際に「/」で区切って複数の職業や所属を書くところから、ダブルで職業を持つ若者たちを呼ぶ呼称として流行語になった。

 例えば、最近、世界各地で急成長しているインド生まれのホテル予約チェーン「オヨ・ルームズ(Oyo Rooms)は、中国でも急速に契約宿泊施設を増やし、注目を集めている。その原動力になっているのも、こうした中国の人々の強い「第二職業」志向である。

中国では2年ほど前からテイクアウト&デリバリー中心のティーハウスが大流行。個人が副業として始めた例も多い。

 寧夏回族自治区呉忠市のある青年が、自力で貯めた資金を元手に小さな宿を開業したが、お客が集まらず悩んでいたところ、人づてに「オヨ」の存在を知り、連絡をとったらすぐに担当者がやってきて、契約成立。世界各地からの予約で部屋の稼働率は一気に50%以上、上昇したという話がニュースで伝えられていた。Airbnb(中国語では「愛彼迎」)やその中国版ともいうべき「途家民宿」などのアプリ(サイト)も同様で、多くの人々が自宅や自宅の一室を旅行者のために提供し、収入を得ている。

 また、最近、日本国内でもタピオカミルクティーがブームになっているが、中国でもチーズ風味など多彩な趣向を凝らしたオリジナルティーが人気を呼んでいる。こうしたトレンドが一気に人口14億人、国土が日本の25倍もある中国全土に拡散するのも前向きな個人の存在があるからだ。ごく普通のホワイトカラーが友人と語らって、表通りに間口2mほどの小さなスペースを借り、自作のミルクティーを売ったり、フランチャイズに加盟したりして商売に乗り出す。地方都市なら開業資金は日本円で数十万円あればなんとかなる。こうした人々の前向きな発想が中国という国の成長に大きく貢献している。

「やむにやまれぬ」副業

 しかし、その一方で、ここへ来て変化の兆しも見えつつある。それは冒頭に触れたように、より大きな夢を実現しようとか、新たな世界に羽ばたこうというよりは、「収入が増えない」「生活費が足りない」「老後が不安」といった、いわば「やむにやまれぬ」理由から副業をせざるを得ない人々が増えていることだ。

 「スラッシュ青年」が、いわば前向きな拡大志向の言葉だとすれば、ここ1~2年、にわかにはやり始めた単語が「副業剛需」という表現だ。「剛需」とは「岩盤のような硬い(剛)需要」という意味で、マーケティングの世界でよく使われる。つまり流行や景気などによって上下に変動しやすい贅沢品の需要などと異なり、食品や基礎的な衣料品、子供の学費など削ることが難しい「硬い」支出を「剛需」と呼ぶ。

 つまり「副業剛需」は「削ることのできない、硬い副業」ということで、いわば「生活のために不可欠な副業」「やむにやまれぬ副業」とでも言うべきか。この単語の持つイメージは未来発展志向の、従来の副業観とは大きな開きがある。

「もう一つの」職業か、「副」業か

 実を言うと、この原稿では「副業」という言葉を使ってきたが、中国語では「副業」より「第二職業」という言葉のほうが一般的である。少なくともこれまではそうだった。ところが昨今、メディアでも「副業」という単語の使用頻度がにわかに上がってきている。

 それはなぜかというと、人々の間で、副業はあくまで「副」業である、との意識が強まってきたからだ。つまり従来の「スラッシュ青年」型の発想では、「どちらの職業が主で、どちらが副か」というよりは、あくまで「将来の可能性を意識して、複数の職業を持つ」という意味合いが強かった。まず現状、ご飯が食べられなければ仕方ないので、今の職業で食い扶持を確保する。しかしそれはあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であって、とりあえずそれをこなしつつ、より理想に近い道を探る――というアプローチになる。

 一方、最近になってクローズアップされてきた「やむにやまれぬ副業」の発想に立てば、主業は主業、副業はあくまで「副」である。現職(主業)の維持が基本路線で、その足りない部分を補うために「副」業がある位置づけになる。つまり「スラッシュ青年」と比べると、意識の上ではあくまで「主」業のほうに基本があるのである。

「当たり前の社会」に向かう中国

 こうした意識の変化の最大の要因は、世の中が成熟し、安定してきたことだろう。特にスマホ時代の到来以降、中国でも国内と海外、沿海部と内陸部、都市部と農村部などの情報格差は縮小し、商売に乗り出すハードルは急激に高くなった。ちょっとしたアイデアと手持ちの資金で、にわかに起業したぐらいでは今の中国で生き残っていくのは難しい。それならばむしろ、まずまずの職業に就いたら、それを維持し、機会を見つけて「副」業で少しでも収入を増やすことを考えた方が得策だ――。そういう思考が共感を得つつある。

 中国では一部の大企業や公的機関の勤務者を除けば、年金や医療保険などの制度の普及度は低い。経営者たちの「長期雇用が善」といった意識も薄い。雇用の安定度が低いのに加え、子供の数が少なく、日本をしのぐスピードで高齢化社会に向かうことが明らかな今、将来に向けてなんとか貯蓄をしておかなければという若い世代の危機感は極めて強い。

 「誰でもそこそこの成功が期待できた時代」から、少数の成功者と大多数の普通の人が存在する当たり前の社会へと中国は確実に向かいつつある。

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