近年、MR(Mixed Reality:複合現実)技術が注目を集めている。MRは、マイクロソフトの「HoloLens 2」などではヘッドセットを装着することで、現実世界の中に仮想世界(ホログラム)を3D表示することができる技術だ。立体的なホログラムがあたかもそこに存在するかのように見え、拡大、縮小、回転などの操作もできる。これが設計やデザイン、工場などで機器の補修点検などにも活用されるケースも増えてきた。このMR技術は、航空宇宙の分野においては非常に有効な技術なのだという。
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2020年2月26日から28日に、幕張メッセ(千葉県)で開催された「第28回 3D&バーチャルリアリティ展」において、国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)のセキュリティ・情報化推進部の藤田直行氏が登壇。MRの共同研究を行う株式会社セック(東京都世田谷区)の開発本部第四開発部テクニカルマネージャーの鵜川健太郎氏とともに、「JAXAにおけるMixed Reality技術の活用事例 〜航空宇宙技術の次世代可視化への挑戦〜」と題した講演を行った。
JAXAでは事業の特性上、ロケットの打ち上げなど実機や模型による実験が難しいケースも多く、スーパーコンピューターを用いた「数値シミュレーション」で検証を行うことが多い。
宇宙航空機の研究開発において重要な要素なのは、航空機などの機体周りの空気や熱、圧力などがどのように変化するのかその「流れ」を解くことだ。こうした「流れ」の解析を数値シミュレーションで行う。さらにJAXAにおいてはこの数値シミュレーションを可視化することが求められる。機体や翼の周囲でどのような空気の流れや渦が発生しているのかなどを、ひと目で見て複数人が共有できることが研究を効率的に進める上で必要になる。
JAXAの藤田氏は、この数値シミュレーションの結果を可視化する技術がこれまでどのように変遷してきたのかを解説した。
JAXAの数値シミュレーションの取り組みは1970年代にはスタートしている。80年代と90年代は「技術開発の時代」。さらに2000年代の「検証の時代」を経て2010年代以降の「実用の時代」となる。
1970年代に用いられていたのは、カルコンプ社(米国のCalcomp Technology Inc.)のプロッターだ。プロッターとは線でグラフィックを描く印刷機だ。これを使って、計算した数値を単色の線で表現し、ロール紙にプリントすることで「流れ」が可視化される。これは非常にシンプルな可視化ツールだった。
その後1980年代から90年代にかけては、3次元グラフィック専用端末を利用した。これによって数値シミュレーションの結果が立体的なグラフィックで表現できるようになったが、それを連続的に変化させるには表示されたグラフィックをビデオ撮影していくなどの工夫が必要であり、その作業に膨大な時間がかかった。2000年代に入ると、ビデオ編集ソフトウェア(Media Composerなど)を使ったデジタル編集が導入され始める。そしてスーパーコンピューターで計算した結果を簡単にアニメ動画ファイルに出力できるようになり、編集作業も全てデジタルで行われるようになった。
さらに、3次元ディスプレーなどを用いて、数値シミュレーション結果を立体視する取り組みも開始。2010年代に入ると、3Dプリンターが登場し、物理現象の立体模型を手にとりながら分析できるようになった。しかし3Dプリンターの多用には大きな壁がある。
「3Dプリンターの問題は、模型をひとつ作るのに数万円から十数万円と、非常に高い費用がかかることです。また、3Dプリンターに入力するためのデータづくりにも長い時間がかかってしまう。これが今の最大の懸念事項です」(藤田氏)。
数値シミュレーション可視化にMR
こうした中で、JAXAとセックが共同で2017年から開始したのが、MR技術を用いた次世代可視化の検証だ。
この共同研究では、数値シミュレーション結果(論理世界)や実験データ(物理世界)などの研究成果を、MR技術を用いて「現実世界と重ね合わせて投影する」ことで、研究スタイルの変革や次世代可視化の可能性を探るとしている。
具体的な研究成果のひとつが「マルチレイヤー表示」だ。例えば次世代航空機のひとつであるコンパウンド・ヘリコプターの評価機上に、数値シミュレーションの結果を投影することで、研究プロセスが妥当かどうかを検証する。さらに模型を用いた風洞実験などの結果データを投影することで、実際に最適な設計ができているかなどの検証をすることも可能となる。また、MRのヘッドセットは数値シミュレーション結果などの投影を複数人で同時に共有できるため、「複数人での評価機レビューや研究成果発表などにも活用できる」と鵜川氏は期待をにじませた。
しかし、JAXAが行っている数値シミュレーションの結果データを、現状のMRヘッドセットに投影するのは簡単なことではない。例えば、マイクロソフトのHoloLens 2で表示できる3Dデータの限界は数10万ポリゴンまでだ。ところがスーパーコンピューターを用いて算出したJAXAの数値シミュレーション結果は10億ポリゴン以上にもなる。
鵜川氏は「最初、この数値を聞いたときは無理かもしれないと思った」と当時の状況を振り返る。しかし同社内の研究チームで検討を重ね、基礎技術から開発した結果、高精度3Dデータをリダクション(縮小)せずにHoloLens 2に投影できるようになったという。
今後セックでは、民間企業も利用できるよう、こうした大規模データの表示技術のチューニングを進めていくとのこと。
「例えば橋などの公共インフラや内観も含めた建物データなどは、非常に大量のポリゴンを受かって表現するため、大規模データの表示技術の価値は大いにあると考えています」(鵜川氏)。
今後MR技術がどのように科学研究の分野で活用され、それがどのように産業界にフィードバックされていくのか。共同研究の行方を注視したい。