2019年10月、Googleは同社の量子コンピューター「Sycamore」(量子ゲート方式)が、従来のコンピューターの計算能力を大幅に上回る、いわゆる「量子超越性」を達成したという論文を発表し大きな注目を集めた。これまで量子コンピューターはある条件下で、従来のコンピューターよりも高速に計算できることは理論的にはほぼ確実とされていたが、これが実験で検証された。
こうした発表を受け、量子コンピューターに対する産業界の期待が大きく膨らんでいる。しかし量子コンピューターがどの分野ならその力を発揮する事ができるのかについては、実はまだ不明な点が多いようだ。
2020年10月28日〜30日、「第一回 量子コンピューティングEXPO【秋】」が幕張メッセ(千葉県)で開催された。その中で、東北大学量子アニーリング研究開発センター(T-QARD)長で、東北大学発ベンチャー・株式会社シグマアイの代表取締役である大関真之氏が登壇。『量子コンピューターへの期待と現状、その先にあるもの』と題した講演を行った。
大関氏の講演でとくに興味深かったのは、量子コンピューターの適応分野についての話だ。
近年は書籍やメディアなどで、量子コンピューターが紹介されることも増えている。その取り上げ方は、「どんな難しい計算でも超高速できる」とあらゆる分野に進歩をもたらすかのように言われているが、それは誤解だと大関氏は指摘する。
実は現時点で、量子コンピューターによる計算で効果が上がりそうなのは、「材料科学」と「創薬」の2つの分野だけだという。
「量子コンピューターは、原子や分子のふるまいを扱うコンピューターですので、その意味では材料科学と創薬の分野は、高速になることが期待されています。もちろん、これ以外の分野でも適応できるのはないかと研究者たちが今頑張って探しています。これが現状です」(大関氏)
と、「高速性」が生かされる適応分野は探索中だが、量子コンピューティングの効果としてすでに明らかなのは「省電力」だ。
従来のコンピューターは作業をさせると電力を消費し、熱を発生する。しかし量子コンピューターには超伝導、いわゆる永久電力が流れており、電気抵抗がほぼゼロとなる。このため量子コンピューターはほとんど電力を消費しない。
「このため、ひとつひとつの量子コンピューターの性能が低くても、電力をほとんど消費しないため、たくさん作って並列化したらすごいものができるかもしれない。こういう期待が実はあります。一台単体で使う形ではなく、超並列化して、省電力での計算と、量子力学の力を持って始めて新しい計算の革命を起こすかもしれない。これが現状、実際です」
市場への波及効果についても、分野が限定されているため、よくわからない。あるいは全く波及しない可能性もあるとのことだ。
「だからこそ、量子コンピューティングを進めるうえで、材料科学と創薬以外の分野でどう生かしていくのかという、これからの皆さんの発想が重要になります。つまり、(量子コンピューターのことを)知らなかった人がこの講演などをきっかけに『じゃあ入ってみようか』と思い立つ。これが重要なのです」。
適応分野の現状を解説する一方で、大関氏は量子コンピューターがいかに革命的であるかについても言及した。
従来のコンピューターで、ある物質の位置を表すときには、その場所の情報、すなわち座標(x、y)で記録することになる。これに、運動方程式などのルールに沿って計算することで、次の動きや座標を記録する。
ところが、これが原子や分子のふるまいを扱う量子力学の世界になると大きく事情が変わってくる。なぜなら、量子力学の世界では「確率」までしか決められないという法則があるからだ。
従来のコンピューターで、ある原子の位置を表そうとすると、例えば、ある位置には「70%の確率で存在する」が、別の場所にも「30%の確率で存在し」、さらにほかの場所にも「10%の確率で存在する」ことになる。
このため分子や原子のふるまいを従来のコンピューターで記録しようとすると膨大な記録が必要になる。「原理的には無限に記録する必要がある」ため、「メモリーが足りなくなる」と大関氏は言う。
「材料科学や創薬では、無限の可能性を持つ原子や分子のふるまいを、有限である(従来の)コンピューターのメモリーにのせられるよう、妥協を続けてきたというのが実情です。しかも創薬や材料科学では、たくさんの原子や分子が連なった高分子を扱うため、記録する量子はひとつじゃない。ということは、スーパーコンピューターの『富岳』を持ってこようが『京(けい)』を持ってこようが、全然メモリーが足りないのです」
この現状を変えうるから、量子コンピューターは期待されるのだと大関氏は量子コンピューターの重要性を強調する。
量子力学の世界を従来のコンピューターで転写しようとすると、無限のメモリーや無限の計算能力が必要になるが、原子、分子そのもののふるまいに任せておけば、自然のルール(量子力学の基礎方程式である「シュレーディンガー方程式」)に則って、全ての確率に基づいた結果を並列で出してくれる。
「しかも自然はめちゃくちゃ早いのです。であれば、その自然を操れるよう制御した、私たちの命令通りに動く原子、分子、つまり人工原子(分子)を作ってしまえと。これが量子コンピューターの(大元となる)発想で、それができたというのがすごい」と大関氏。
カナダのD-Wave社はすでに組み合わせ最適化問題に特化した量子アニーリグマシンを商用化しているが、これは「磁石の原子、分子の動きだけを真似する」仕組みであるという。
また汎用型とされる量子ゲート型の量子コンピューターを、GoogleやIBMなどが開発しているが、こちらは「あらゆる原子、分子のふるまいを真似できる」仕組みになっており、その分量子ビット数がまだ少なく、50〜70量子ビットに留まっているとのことだ。
「用途(タイプ)によって、どれだけのことができるかは違うのですが、少なくとも、原子、分子が持つ計算リソースを人間が制御し、働けと命令できる時代はもう来ているのです」(大関氏)
量子コンピューターはすでに動きはじめている。その原理や特性を正しく理解し、何に利用すればよいのかを私たちも考えることで、量子コンピューターの世界は、今後さらに広がるだろう。