認知症がもたらす弊害やトラブルは広く認識されている。しかし、高齢者親族の言動から認知症が疑われる場合でも、「年を取れば多少物忘れをするのは当たり前」と本人ら診断を拒まれることも多い。早期に発見し適切な治療を受ければ、進行を遅らせることができる場合もあるが、その「きっかけづくり」に悩む人は多いのではないか。
東京大学医学部附属病院老年病科の秋下雅弘教授、亀山祐美特任講師らのグループと東京都健康長寿医療センター放射線診断科の亀山征史(まさし)医長らは、AI(人工知能)が、認知機能の低下した患者と健常者の顔写真判別ができることを発表した。これまでは、高額な検査や医師などからの質問に応えるなどして認知機能の診断を行ってきたが、世界初となるこの研究により今後、人の表情での診断が可能となれば、時間も費用も節約できる新たなスクリーニング方法となる可能性がある。
今回、研究発表の中心的メンバーである東大病院亀山祐美氏(両氏はご夫婦であるため以下、祐美氏)と、東京都健康長寿医療センター亀山征史氏(同以下、征史氏)にお話を聞いた。
認知症の原因と検査の実情
まず祐美氏に本研究の背景を伺った。「認知症の患者は462万人。大きな社会問題となっています。そして認知症の原因の半分以上がアルツハイマーの発症によるものです」
祐美氏によると、アミロイドと呼ばれる異常タンパクが脳内に蓄積することで神経にダメージが与えられる。それによってアルツハイマーを発症するのが典型的な過程だ。ゆえに「アミロイドが神経にダメージを与える前に対応する事が大事」とのこと。アミロイドを排除する試みは世界中で行われている。昨今注目を集めている治療薬候補「アデュカヌマブ」もそのひとつだ。
また、この「アデュカヌマブ」は、既にアルツハイマーを発症してしまった患者には効果は期待できないという。早期にアルツハイマーの兆しを発見できた患者に投与し、アミロイドが溜まるのを遅らせたり除去したりして神経へのダメージを防ぎ、発症を少しでも先延ばしすることが期待できると祐美氏は話す。
では、そもそも自分の体内にアミロイドが溜まっているかどうかを調べる方法はあるのだろうか。征史氏によると「アミロイドPET(PET=陽電子断層撮像検査)といって脳のアミロイドを可視化する方法と、脳脊髄液バイオマーカーを測定する方法があります」。ただし保険適用外であり、アミロイドPETは検査料金も高額になるとのことだ。また、脳脊髄液バイオマーカーは脊椎に針を刺すので、体への負担が大きい検査方法となる。
このような検査方法では、認知症が疑われる段階で嫌がる本人(そもそも“自分は絶対に認知症ではない”と言い張る)を、高価で苦痛を伴う検査に連れ出すことは困難に思える。
最初は人が写真を見比べて
とはいえ認知症は、その兆しを早い段階で見つけることが大切だ。祐美氏は診察を続ける中であることに気づいたと言う。「2000年頃から認知症の患者さんを診療してきました。その中で認知症になり始めると、だんだん表情が変わってきたり、表情が乏しくなっていく、そういう変化を感じたのです」
そこで顔の写真から気分を評価することができないかと思いたち、2014年ぐらいから、(本人の了解を得た上で)患者の写真を撮り溜めることを始めた。
「医者5名と臨床心理士5名で顔写真を見て、この人何歳に見える?というのをどんどん当てていく実験を 百何十人やりました。実際の年齢と見た目年齢とを比較すると、見た目年齢と認知機能は相関していることがわかりました。それを最初の論文にしています」(祐美氏)
認知機能が衰えた人は、見た目年齢にも衰えが表れる。さらにAI を使えば認知症をもっと敏感に見つけ出せるかもしれないと、祐美氏は本研究をスタートさせ、ICT企業に解析協力を求めようとした。しかし問題が2つあった。ひとつは写真データが少ないこと。もうひとつは、患者の顔写真は重大な個人情報であり、東大病院から持ち出せないため、病院まで解析に来て欲しいと企業に依頼するほかなかった。こうした理由から企業の協力を得られず困っていた。
「そこで横を見たらこの人がいたんです」祐美氏は夫である征史氏に協力を求めた。「夫に東大病院に来てもらい、解析してもらいました。夫婦合作です(笑)」
顔の下半分が判断の決め手
征史氏は、東大病院と近い東京都健康長寿医療センターという組織に所属している。さらに、脳血流でアルツハイマー型認知症患者やレビー小体型認知症(アルツハイマーに次いで認知症の原因として多い)患者をAIで分類するという得がたい経験を有していた。
亀山夫妻を含む研究グループは、東京大学医学部附属病院老年病科を受診して物忘れを訴える患者、および同大学高齢社会総合研究機構が実施している大規模高齢者コホート調査の参加者の中から同意を得た方の正面の表情のない顔写真を使い、認知機能低下を示す群(121名)と正常群(117名)の識別ができるかどうかについて、AIワークステーションで解析した。学習モデルを何パターンか試した中で、最もよい成績を示したAIモデルでは、感度87.31%、特異度94.57%、正答率92.56%と高い識別能力を示したという。
AIによる判断は、顔のどの部分で行われているのかがわかりづらく、ブラックボックスの側面があった。そこで、さらに顔を上下で分けて解析したところ、顔の下半分のほうが少し良い認識の成績を示した。
「(AIは)眼で判断するのかと思ったんですけど、口元によく(認知機能の状態が)表れるようです」(征史氏)
まだ仮説の段階だが、もう少し研究を続ければさらに詳しいポイントがつかめるかもしれないという。
早期発見の切り札に
これからどのように研究を発展させていくのかを伺うと、征史氏は、まだ安定したモデルとは言い難いのでもっと写真を集める必要があると述べた。一方、祐美氏は、ひとつのアイデアとして、年に1回ある高齢者健診中で写真を撮り溜めていく方法はどうかと考えているそうだ。「令和2年の検査までは大丈夫だったけど、3年になったらちょっと顔に認知症の疑いが現れているのではないか、などと使えるかもしれない」
他にも「医療機器ではなくて、スマートフォンのアプリにし、毎日顔写真を撮りながら使うとか」というのは征史氏のアイデア。また佑美氏は「(高齢者に)認知症検査に行こうなんて言うと絶対嫌だっていますよね(笑)。だから病院に行くためのきっかけづくりになるといい」。さらには遠隔診療にも使えそうだとふたりは話す。
また、今後の課題としては、より多くの顔写真を集めることが必要で、そこに対して何らか支援があればということだ。
「ただし、外からデータをいただいても、私たちの病院(東大)では管理がきびしい。たとえば、国立病院が進めるバイオバンクなどの仕組みにおまかせした方がいいのかなとも感じています」(祐美氏)
夫婦合作による世界初の研究が、今後さらに精度を高め、認知症の早期発見の切り札となることを願ってやまない。