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「がん細胞」は「パン」に似ている? AI画像認識による細胞診、開発がテスト段階へ

パンをAIで識別する「BakeryScan」(画像はブレイン社提供)

パンをAIで識別する「BakeryScan」(画像はブレイン社提供)

 焼き上がりが一様でないパンを見分けるAI(人工知能)による画像識別技術を、がん細胞を識別する診断支援に役立てるべく開発が進んでいる。「がん細胞はパンに似ている」――研究者のひらめきと、さまざまなパンを一瞬にして見分ける技術の組み合わせは、病理医不足の現状に風穴を開けられるのか。この企業が生まれた背景を見ていると、地方の中小企業の挑戦や、専門の領域を超えた化学反応もうかがえて興味深い。

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 パンの画像識別による会計支援システムは、株式会社ブレイン(本社・兵庫県西脇市)が開発した「BakeryScan」だ。多品種のパンを画像で認識し、画面にその商品名と共に金額を表示する。それを客が確認して会計を済ませるという仕組みだ。

 パン屋において、支払い業務は長年の悩みの種だった。今でこそ、新型コロナウイルスの流行の影響で個包装されているパンが増えたが、本来は包装せずに並べた方がよく売れる。しかし包装がないと、パンの名前や値段を表示したシールを貼ることが出来ない。そうなると精算は従業員の記憶だのみとなる。アルバイトで雇った新人がすべてのパンの種類や値段を覚えることは難しく、それが苦になり辞めてしまうなど、オペレーション上の負担になっていた。

 BakeryScanがパンを見分ける技術は、パンの形状から110項目に上る特徴量を組み合わせて、そのうち20項目程度の組み合わせで最適解を見つけていく仕組みで、同社では「多次元特徴量解析」と呼んでいる。これによって、同一種類でも焼き上がりの色や形が一様でないパンの識別を可能にした。

 新型コロナウイルスの流行でパンの個包装が広がったが、深層学習が進んだことで、現在はフィルムの上からもパンの種類を問題なく識別できる。パン屋の大型チェーン「アンデルセン」が導入を進めるなどのヒット商品で、さまざまなメディアでも紹介されているので、見たことがある人も多いかもしれない。

 このBakeryScanがテレビ番組で紹介されているのを偶然見た公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センター(京都市)臨床病理研究室長の土橋康成医師は、すぐに同社に連絡を取った。拠点とする京都市から兵庫県西脇市へ、車で2時間かけて訪ねた土橋医師は、「パンが、がん細胞に見えて来ました」と開口一番に、神戸壽・ブレイン社長に告げた。

パンを見分けるようにがん細胞を識別

 細胞診とは、がんが疑われる際に、問題個所の細胞を調べてがん細胞が存在しているかどうかを主に形態の異常を把握して判断するプロセスだ。

BakeryScanの画面。さまざまなパンを機械が認識して、画面上にパンの種類が表示される(ブレイン社提供)

 正常な細胞が配列や形が整っているのに対し、がん細胞は一般に形状が乱れている。細胞診は「細胞形態の正常からの逸脱」(土橋医師)を判定することにより、ガンが疑われる細胞を見つけ出して診断する。がん細胞は、形状のバラつきや染色した際の染まり方など、さまざまな点で不揃いになる。パンの画像識別をテレビで見た時、トレーに載ったさまざまな種類や形のパンが、プレパラートガラスの上の色々な形をした細胞に重なった。「解析の本質には共通点があるのではと直感し、ぜひ知りたかった」

 細胞診を行う病理医は慢性的に不足している上、顕微鏡を凝視しながらの作業であるため、かなりの集中力を要する。2時間で50例が集中力の続く限界だと言われている。

Cyto-AiSCANの画面。顕微鏡の視野に映る細胞のうち、がん細胞を病理医と同じ観点で識別する(ブレイン社提供)

 神戸社長は開発にあたり、病理医が集まる学会に出席して発表する機会を得た。「学会の参加者はスタンフォードやハーバードで勉強してきた人がたくさんいて、自分は場違いな気がした」と感じた一方で、医学の専門家には見えない部分も見えた。

 画像認識を導入するにあたり学会で議論されていたことは、がん細胞を識別しやすくするための染色技術をどうするかといったポイントだった。当時は深層学習によるアプローチが主流で、学習データの質に大きく依存する深層学習では、染色液のメーカーの違いや劣化の進み具合による影響などが課題として挙げられていた。

 しかし、技術者の神戸社長からしてみれば、染色技術よりもがん細胞を識別するための最適なアプローチを検討すべきではないかと思えた。そのためには、BakeryScanがパンを識別するときの考え方が使えると直感した。この時の勘が、その後の開発でも生きることになる。

 同社が開発を進めるCyto-AiSCANのコア技術は、パンの画像識別と「ほぼ同じ」(神戸社長)という。そんなことが本当に可能なのか。

 同機は、がん細胞の識別ポイントを病理医が見る視点に合わせて設定できるよう、開発を進めた。病理医が識別するポイントとは、具体的には5点ある。がん細胞の大きさ、細胞の核の形状(円形度、重心、外接矩形)、細胞の核の濃さ、細胞の中の核クロマチンの形状と、「NC比」と呼ばれる細胞に占めるがん細胞の面積の割合だ。

 このように、がんの識別ポイントに関して病理医は明確に言語化することができ、それを判断基準としてがん細胞を探している。これに対し、パンの種類を識別するには細かな特徴を言語化する必要はほとんどなく、クリームパンや、ベーコンやジャガイモ、チーズを載せたパンなど、見ればわかる。人がパンを選択する基準は「おいしそう」「これを食べたいな」という感覚だ。この点の違いに着目できたことで、パンと同じように識別できる道筋が見えたのだ。

 また、病理医は一般に、顕微鏡下でスライド上に広がる異型細胞を、数個から数十個ほどの限定数を観察評価してガンの診断を行っている。一方でCyto-AiSCANは、スライドガラス上のすべての細胞をもとに判断することができる。

課題はさまざまな細胞診手法への対応能力と、個人情報の扱い

 Cyto-AiSCANは現在、京都市と神戸市の医療機関でテスト的に導入されている。今年度中の実証実験やサンプル出荷を経て、来年度の出荷を目指すという。現在は膀胱がんを対象としているが、細胞診として最も多く活用される子宮頸がんで活用されることを当面のゴールとしている。今後の課題は、さまざまながん細胞に応じて機械が判断できる素地作りと、個人情報の扱いだ。

 土橋医師は、がんの発生母地(がん細胞が由来する箇所)と種類によって、また細胞の採取方法によっても画像識別の難易度が変わってくる点を指摘する。ブレイン社のCyto-AiSCANが現時点で対応できているのは細胞診の一部の手法であり、細胞診のあらゆる手法で採取した細胞を識別できる、つまりさまざまながん細胞を識別できるようになるためには、さらなる技術向上が望まれる。

 仮にこれらの技術が可能になったとしても、識別された細胞が実際にがん細胞かどうかを見極めるには、人間の目による判断が欠かせないことに変わりはない。従って、より現実的には、「画像解析システムの成熟度は、正常かがんであるかの境界例をどれだけ正確に、客観的に判断できるのかという部分にかかってくる」(土橋医師)と指摘する。人間の医師が判断するための支援機器としての能力を、今後も高めていく必要があるということだ。

 また、個人情報の壁も、医療におけるAIの診断支援機器に付きまとう課題だ。Cyto-AiSCANも例外ではないが、病院内で完結するスタンドアロン方式であるため、情報は全て病院内で保持され、個人情報は病院が担保できるとしている。

 ただし、今後の製品化を進める上では学習機能がハードルになってくる。神戸社長は個人的な意見としながらも、「現行法では、学習データを更新すると医療機器として再申請する必要があるため、現在は学習機能を無効にしている。学習機能を含めた形で、医療機器として認証される必要がある」と話している。

パンとがん細胞の“化学反応”

 Cyto-AiSCANのもうひとつのユニークな点は、地方の中小企業が開発したことだ。AIを用いた診断支援機器は大企業が開発を手がけていることが多いが、ブレインは従業員26人だ。新技術や機器の開発にはカネと時間がかかる。資金力は大企業の強みのひとつだと考えられるが、創業後に「失われた20年」を経営者として過ごしてきた神戸社長の実感は少し違う。

ブレインの神戸社長(公式ホームページより)

 かつて取引先だったある有名企業は、秘密保持契約を締結する直前で反故にし、ブレイン社の独自技術を模倣した。別の大企業は、共同で進めたプロジェクトの売り上げが思わしくなく、先方の担当部署は解散して責任者は退職し、若手を含む技術者は関連会社への出向となった。「失われた20年による閉塞感は大きくて、大手さんはリスクを取らない。3か月先、半年先の売り上げのことを気にしている」

 もちろん、ブレイン社が開発を手がけるのは資金力が豊富だからではない。自身ががん治療を経験した神戸社長の英断があり、医師との出会いをきかっけに当面の採算を度外視して開発に着手した。資金面では、国の補助金を受けてもいる。ワンマン企業だからこそできたことだと言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし、資金力の豊富な大企業でなくても、むしろ、そうでないからこそ挑戦する余地と機会があるといえる好例ではないだろうか。

 Cyto-AiSCANが誕生するきっかけとなった、病理医とパンの画像識別という「化学反応」が示唆するところはもう一つある。領域を超えた化学反応がもたらす恩恵は、予想を超える。神戸社長が、開発に際して医師らから事情を詳しく聞いてみたところ、医師らはAIを細胞診に何とか役立てようと、各自が独学に近い形で学んでいた。

 技術者から見て「見当違い」の議論をしているように見えたのも無理はなく、むしろ専門外のことを学ばなければならないという無理がある状態で進めていたのだ。

「日本では、医学と工学はあまり仲がよろしくないらしい」(神戸社長)とのことだ。また土橋医師は、日本での医工連携の乏しさを指摘する。「医と工の連携で大きな発展があることは想像できても、良いパートナーに巡り会うのは簡単なことではない。今回は両者の出会いによって、思いもよらなかった形で発展している」と喜ぶ。人材や時間なども含めた限りあるリソースをいかに効果的に活用するには何が必要なのかという、問いかけではないだろうか。

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