今年も将棋界では、藤井聡太3冠が、竜王を獲得したことで4冠となった。さらに史上最年少5冠への期待が膨らむなど相変わらずの盛り上がりを見せる。プロ棋士同士の息詰まる真剣勝負はファンを引きつけてやまない。
さて、そんなプロの世界の話とは異なり、ここでは素人として問いかけ「先手と後手に有利・不利はあるの?」「有利な戦法は何なの?」を話しの発端としたい。
将棋では、先手番と後手番に有利・不利の差がないことが建前となっている。プロ棋士同士の対局では、5個の歩を盤上に振る「振り駒」という方式で先手・後手を決める。
また、将棋には多くの戦法があるが、「これをやれば必ず勝てる」あるいは必勝と言えないまでも「相当有利であることが予めわかっている戦法」というものなどはないはず。しかし、ここに驚きの仮説がある。
「われわれのAI電竜戦での対局を分析すると、先手勝率が約70%という数字が出てしまいました」と語るのは、将棋AI同士が戦う「AI電竜戦」を主催する特定非営利活動法人AI電竜戦プロジェクト理事長の松本浩志氏だ。さらに先手が「相掛かり戦法」をとった場合の勝率は約80%だという。これは松本氏が決勝リーグであるA級クラスで確認したものだ。
「私の作った判定エンジンで、『相掛かり』と判定したのが12局あり、先手の10勝2敗、勝率83%でした。この場合、互いに歩を突いたあと歩の交換まですることを相掛かりと見なす、かなり狭い判定方法ではありますが」(松本氏)
将棋の「相掛かり戦法」とは、居飛車のままお互いの飛車先の歩を突いていく基本中の基本のような戦法だ。AIは、もうひとつの代表的戦法「振り飛車」より「相掛かり戦法」を選択することが多いという。
上記の結果については、現時点でのデータの母数は少なく、検証途上ではある。しかし、高い勝率を示していることは興味深い。実際、プロ棋士も「『相掛かり戦法』に着目している」と松本氏は話す。「先手・相掛かり戦法」がほんとうに有利なのか、これは今後より母数が増えていけば何らかの答えが見えてくることだろう。
ところで、本稿の主題は、先手・後手の有利不利の問題や戦法の優劣をあきらかにすることではない。
松本氏が開催を続けているAI電竜戦で、AI同士が戦う中から、見える化されてきたこと。そして、それが将棋界に問いを発していることを伝えたい。
では、AI電竜戦プロジェクトとはどんな取り組みなのか。
松本氏は東京工業大学大学院を修了後、大手金融機関に就職。仕事の合間にコンピュータ将棋に打ち込んできた。2013年には、第1回将棋電王トーナメントに自ら開発した「カツ丼将棋」で出場している。また老舗団体であるコンピュータ将棋協会が主催する「世界コンピュータ将棋選手権」にも参加するなど、コンピュータ将棋に積極的に参加してきた。しかし、松本氏には、従来型のコンピュータ将棋大会の方式には違和感があった。もっと広くコンピュータ将棋を楽しめるような大会運営と情報発信をしていくべきではないかという思いだ。
松本氏はAI電竜戦プロジェクトを立ち上げるにあたり、「誰もが見て楽しめる棋譜画面のデザイン」に注力した。
電竜戦の棋譜例を見てみよう。これはGCT電竜(先手)とBURNING BRIDGES(後手)の最終局面で「相入玉」(※)の末、先手が340手で「宣言勝ち」(勝利宣言)をしたところだ。この棋譜は、AI将棋ならではの要素をいくつか示している。まず、340手を要していること。これは人間同士の戦いだと疲れて倒れてしまいそうな手数だ(一般に平均110手程度)。
(※)あいにゅうぎょく。お互いの王が相手の陣地に入ってどちらも攻撃できない状態。勝負がつかなくなることが多い。
画面の上部グラフは、AIが「形勢判断」を示したものだ。序盤では先手AI(赤)は自身の有利を確信し始めているが、後手AI(青)はまだ互角だと判断している。しかし中盤以降は「先手AIが有利」と双方の認識が一致している。
「相入玉」の場合、持ち駒に点数を付けて点数の多いほうが勝利宣言をすることで勝ちとなる。サッカーのPK戦のようなものだ。340手目に先手AIは点数的にも「もうひっくり返されることはない」と勝利宣言をし、勝敗が決したという図だ。このように電竜戦の棋譜はAI同士の戦いをわかりやすく表現している。
従来のコンピュータ将棋大会では、参加者は費用をかけて改造した自分のパソコンを持参して実際に会場に集まり、LAN経由で自作パソコンソフトと対戦相手のパソコンソフトを戦わせるという方式だった。しかし、初日に所定の順位に入れなければ予選敗退となり翌日には進めない。遠路はるばる会場まで苦労して足を運んだ割には、参加者に報いが少ないシステムも課題だったと松本氏は振り返る。
転機になったのはコロナ禍だ。「オンラインでできるじゃないか」と感じた松本氏は、2020年に電竜戦実行委員会を設立しその委員長に就任。そして2021年 特定非営利活動法人AI電竜戦プロジェクトを設立、理事長に就任する。そして仕事の合間に一部同志の力も借りながらも、ほぼ独力で電竜戦システムを組み上げた。賞金を準備するために、任意団体ではなく法人化も果たした。
「みなさん、かなりの投資をして大会に臨んでいらっしゃいます。賞金はちゃんと出して、ノーベル賞のように次の開発に必要な資金を提供してあげたい。よい開発サイクルを生むことが目的です」(松本氏)
そして、2020年11月21日に第1回電竜戦を、翌2021年11月20日~21日には第2回電竜戦をオンライン開催した。
電竜戦では先手有利問題を封じるべく、一番勝負ではなく、野球の表裏のように先手・後手を交代して二番で勝負する。また、当日予選で負けてもそれで終わりとはしない。翌日はサッカーで言えばJ2、J3のリーグのような下位リーグに参加できるような方式とした。この方式により参加者には多くの対戦を提供できるようになった。そして各方面からの協賛により賞金も設定した。優勝賞金は50万円、準優勝20万円などだ。
また、電竜戦本戦とは別に、「電竜戦TSEC」という大会も開催。これは、指定の局面からAI同士を戦わせるという取り組みだ。指定局面の例としては、あるプロ棋士がAIに負けた将棋電王戦(※)の対局を再現し、プロ棋士が敗着を指した局面で「もしAIだったらどういう手を指したのか」をAI同士に対戦させて検証する。これは、プロ棋士の実際の対局結果を模して、「AIならどうしていたか」を検討できることに他ならない。「人間vs AI」から、「AIに人間が教えてもらう」という局面に変化したことを意味する。
(※)ドワンゴが主催のプロ棋士とコンピュータ将棋ソフトウェアとの棋戦
こうして電竜戦のAI同士の戦いから、短期間でいろんなことが『見える化』され、そのひとつとして冒頭の「先手・相掛かり戦法」有利の仮説も生まれた。
当媒体でも以前紹介したが、将棋の力をレーティングするという試みがある(2017年10月25日「史上最強棋士はだれか 将棋AIが出した答えは」)。人間の最強クラスでの値は3000とされるがAIの最強値は4400と松本氏は言う。この差はどういうものなのか?
「ざっくり言って人間がAIに5000回やって1回勝てるかどうかのレベルです」(松本氏)
AIは戦う相手ではなくなった。現在プロ棋士もAIを活用して自己研鑽に余念がない。松本氏は将棋が大好きで、その発展に寄与したい、仲間を増やしたいという思いでこのプロジェクトに取り組んでいる。対局のデータはぜんぶオープンにしているという。将棋に興味のある人は誰でも電竜戦に参加して欲しいと話した。