ここ数年、各国で宇宙開発に向けた動きが加速している。月や火星探査をめぐる動きでは、米国・NASAが中心となり進められている有人月面探査プログラム「アルテミス計画」に各国の研究機関が参加を表明した他、2021年には中国が2033年に有人火星探査を実施すると発表した。こうした国レベルの事業だけではなく、宇宙空間を利用して新たなビジネスを目論むスタートアップも続々と誕生しており“宇宙ビジネス”は活況を呈している。
宇宙開発への期待が高まる一方で、課題も多く存在している。そのひとつが、小型人工衛星が宇宙空間で移動するための「推進機」(エンジン)の開発だ。
一般に小型人工衛星の推進機は、燃料となる推進剤を加熱し、宇宙空間に放出することで推力を得る仕組みとなっている。しかし既存の推進機では、推進剤に希少ガスや毒性の強い物質が用いられており、安全性やコスト、持続可能性の面で問題があるとされている。
そんな中で、水を推進剤とする「水エンジン」を開発することで、安全かつ低コスト、持続可能性が高い推進システムを実現しようとする東京大学発の宇宙スタートアップがある。それが2020年創業の株式会社Pale Blue(ペールブルー 本社:千葉県柏市)だ。
Pale Blueの共同創業者兼代表取締役の浅川純氏に「水エンジン」の特徴や事業の展望を聞いた。
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水を推進剤として使うことで、具体的にどういったメリットがあるのだろう。
浅川氏によると、現在推進剤として多く使われるキセノンやクリプトンといったガスは、推進性能が高いが産出量が少ないため、入手費用が上がり、継続して使い続けるのが難しい。また、近年米国の宇宙スタートアップなどが使い始めているヨウ素も、推進性能は高く、宇宙空間に固体で運べるため圧縮容器が不要になるなどの利点はあるものの、「人体には有毒で安全面で問題がある」という。
こうした既存の推進剤に比べて、水は安全性が高く、地球上に豊富に存在するため利用コストが抑えられ、持続可能性も高い。「つまり、次世代の推進機(剤)に求められる、安全、低コスト、持続可能性という要素を全て満たす(現時点での)唯一の物質になる」と浅川氏は強調する。
さらに宇宙開発の将来を考えたときにも、推進剤に水を使うメリットは大きいという。
「月や火星で資源開発が行われる時代が来たときに、キセノンやクリプトンは現地で採ることができません。一方、水は月や火星に存在する可能性が高い。この点からも、水を推進剤にするメリットは大きいと考えられます」
「東大発」のアドバンテージ
現在Pale Blueでは、3タイプの「水エンジン」を開発している。そのひとつが、水蒸気を宇宙空間に噴射することで推進力を生成する「レジストジェットスラスタ(水蒸気推進)」だ。これは短時間に大きな推進力を生み出せるが、同社の他エンジンに比べやや燃費が落ちる。
2つ目の「イオンスラスタ(水プラズマ推進)」は、水蒸気にさらに熱を加え、プラズマ(※)にしたものを宇宙空間に噴出することで推進力を生む。燃費は良いが、推進力が小さい。
※気体に熱を加えて、陽イオンと電子に分離させた高エネルギーな状態
3つ目が、上記2つを統合した「ハイブリッドスラスタ」だ。
「人工衛星にはさまざまな大きさや質量のものがあり、さらにその動き方には、素早く大きく動きたいとか、燃費を抑えながらじわじわ動きたいとか、いろいろなニーズがあります。我々はそうした要望に幅広く、柔軟に応じられるよう3種類の水エンジンを提供しています」(浅川氏)
では同社はなぜこのような「水エンジン」を生み出すことができたのか。まず大きなアドバンテージとして、同社が「水エンジン」を長年研究している東京大学 大学院新領域創成科学研究科 小泉宏之准教授(Pale Blue 共同創業者兼CTO)の研究室メンバーによって設立されたスタートアップである点が挙げられる。
「私たちは東京大学で長年培われた研究技術を応用しており、一部は特許を取得しています」(浅川氏)
特に重要なのが、以下の2つの技術だという。
「ひとつ目が、水を20度から30度の低温で蒸発させる技術です。一般的に、水を蒸発させるには100度まで温度を上昇させることになります。しかし、水の温度を100度まで上げるには多くの電力や熱が必要です。人工衛星では使える電力が限られるため、こうした電力や熱の損失はできるだけ抑えなければいけません」
そこでポイントとなるのが、水の沸騰温度と気圧の関係だ。
「例えば、富士山の頂上では100度じゃなくて、70度ほどで水が沸騰します。なぜなら周りの圧力(気圧)が地上よりも低くなっているからです。この原理を応用し、水の周りの圧力を下げることで、水の蒸発温度を下げることができます」
浅川氏らはこの考え方をもとに、推進機内に真空エリアを設けるなどの試行錯誤を重ね、低温(かつ低電力で)で水を蒸発させて推進力を生む「レジストジェットスラスタ(水蒸気推進)」を開発した。
もうひとつは、水プラズマ生成技術だ。人工衛星の推進機に、部品のさびを引き起こす水のプラズマ生成技術を採用することは難しい。しかしPale Blueでは、東京大学における水プラズマ生成研究の成果をもとに、酸化に強い独自のプラズマ生成技術を開発。これにより、世界でも類を見ない「イオンスラスタ(水プラズマ推進)」を生み出したという。
市場形成後は比較的早期に利益
Pale Blueは、どのような事業展開を考えているのか。宇宙分野は、いまだ確固たる市場が形成されていない。その点について浅川氏は「自分たちで市場を作るフェイズにある」と持論を展開する。
「間違いなく市場は伸びていくと考えられますが、産業として必要なインフラがまだない状態です。ですから、今はどの宇宙スタートアップもインフラを作りにいっているフェイズだと思います。我々の『水エンジン』も同じです。エンジンが普及することで、人工衛星の利用幅が広がり、新しくできることが増えていく。そうした観点から、まずは市場を作ることに力を入れたいと思っています」
ビジネスモデルについてはどう考えているのだろう。
「一般的に宇宙開発は、お金を得るまで時間がかかる事業領域です。ただPale Blueは少し違うアプローチになると思います。というのも、私どもは自分たちで人工衛星やロケットを作っているわけではない。いわゆる王道を行く宇宙スタートアップと比べ、かかるコストが1、2桁低くなっています。また実際にエンジンとして販売できるプロダクトがすでにある上、人工衛星を打ち上げる事業者が世界各国に3桁以上存在しています。こういった状況から、他の宇宙スタートアップに比べ、比較的早期に利益が出やすいと考えています」
直近の予定としては、まず2022年中に「水エンジン」を人工衛星に搭載し、宇宙実証実験を複数回実施する。これに成功すると、「宇宙で動いた」という実績と箔が付き、これまで以上に製品を市場に投入しやすくなるという。
「2023年以降は販売チャネルを海外にも広げると共に、量産体制を整えていき、2025年を目処に、年間100台規模で製造販売を行う予定です」
資金調達については、これまで2度出資を受けており、直近の2021年に調達した7.9億円(シリーズAラウンド)は、量産体制の構築と、チームの拡大に活用するとのこと。
最後に長期的な展望を聞くと、「宇宙空間の輸送インフラを作りたい」と浅川氏は意気込みを語る。
「長期的には『水エンジン』を使ったサービス事業を展開したいと考えています。例えば、宇宙空間で何かを輸送したり、水を補給するガソリンスタンドのようなサービスを提供したり。そうした事業を展開しながら、宇宙における輸送インフラを構築していければと考えています」
Pale Blue関連リンク(プレスリリース)
小型衛星用水推進機の量産試作機の製造組立 東京計器とPale Blueが協業開始(2023年12月20日 東京計器株式会社リリース)