脳科学とテクノロジーを融合させるブレインテック(BrainTech)分野の研究開発が各国で進みつつある。イーロン・マスク氏が創業した米国のNeuralink社が、脳と機械を直接つなぐ「ブレイン・マシン・インターフェース(Brain Machine Interface以下、BMI)」の研究開発に注力しているほか、日本においても、身体や脳に障がいがある人向けに、BMI機能を持つアバター(Cybernetic Avatar)の実現を目指す研究開発「身体的能力と知覚能力の拡張による身体の制約からの解放」(内閣府「ムーンショット型研究開発事業」)が進められている。
特にここ数年は、ブレインテックをAI(人工知能)と掛け合わせて社会課題の解決に役立てようとする動きが活発化している。株式会社マクニカが、2021年7月に設立したオープンイノベーション組織「BRAIN AI Innovation Lab(以下、BRAIL)」もそうした取り組みのひとつだ。
2022年5月11日〜13日、東京ビッグサイト(東京都江東区)で、Nextech Week2022【春】が開催された。その中で、BRAILのプリンシパル 楠貴弘氏(マクニカ)が、イスラエルのブレインテック・スタートアップ InnerEye CEOのUri Antman氏と登壇し、「『ブレインテック×AI』グローバルトレンドと社会実装の可能性」と題した講演を行った。今回は、楠氏が解説したブレインテック×AIの活用事例を中心に紹介する。
熟練者の“脳波”から技術継承AIモデルを作る
ブレインテックとAIの組み合わせは、具体的にどういった分野で活用され始めているのだろう。
楠氏はまず、高齢化により熟練者のナレッジ継承が課題となっている、ものづくり分野での事例を複数紹介した。そのひとつが、自動車部品メーカーのアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(2021年4月より 株式会社アイシン)と取り組んだ、目視検査の自動化だ。同社では、カーナビなどの開発を行なっているが、その際、膨大なデータを眺めながら品質チェックを行う必要がある。
「ここでひとつ大変なのが、ずっと画面を見続けないといけないこと。これは大変な重労働です。また、熟練者の方々と、そうじゃない人の間で(検査能力に)差分があり、そこを平準化したいという要望もお持ちでした」
そこで実施したのが、熟練検査員が画面を見ながら品質チェックをしている際の脳波を測定することだ。楠氏らは頭部表面に多数の電極を装着して脳波を記録するEEG(Electroencephalograph)を用いて、熟練検査員の脳波を測定。その脳波データを学習データとして活用し、熟練者の検査スキルを学ばせたAIモデルを構築した。このAIを用いて、実際の検査作業の一部を自動化するなどし、検査員の負担を軽減したとのことだ。
「こういったもの(AIの学習データ)を、もし脳波を使わずに、ひとつひとつ手作業でラベリングするとなると、ものすごく手間がかかります。また熟練者の微妙な判定をラベリングすることは極めて難しい。これを脳波から取り出せることは、非常に有用性が高いと考えています」
楠氏らは、こうした熟練作業者のナレッジを、脳波データとして取り出してAIを作り、作業レベルの平準化や負担軽減につなげる仕組みを、医療や空港セキュリティなどさまざまな分野で開発している。すでに現場に導入されているシステムも複数あるとのことだ。
職種の適性判断や商品開発に“脳波”を活用
続いて楠氏が紹介したのは、人材マッチングや職種の適性判断においてブレインテックを活用する事例だ。一般的に、新入社員が営業職に向いているか、あるいは技術職に向いているかといった職種の適性判断は、面談やペーパーテストを通して行われることが多い。しかしそのやり方で、「本当にその人に向いた職種を見つけられるでしょうか」と楠氏は疑問を呈する。
「我々は、ペーパーテストを受けているときの(対象社員の)脳波を測定し、集中力や興味の度合いを計測しました。それを元に、『この脳波の出方であれば営業に向いている』、『この人はエンジニアに向いている』といった、本人ですら気づいていない適切な職種を、脳波から切り出せる仕組みを構築しました。こうしたことで最適な職種の判断を補助できるようになると、皆さん非常に幸せに働けるようになるのではないでしょうか」
脳波をビジネスに活用する試みは、マーケティング分野においても広まりつつある。楠氏は、オフィス家具や文房具を製造するプラス株式会社と実施した「ニューロマーケティング」を例に挙げる。
ニューロマーケティングとは、脳科学をマーケティングに応用する考え方で、アンケートやインタビューでは捉えきれない人間の無意識下の行動やニーズを脳波から把握する手法だ。
プラス株式会社の文房具の新ブランド「COE365」は、Z世代の高校生をターゲットにしており、商品には「放課後の教室」「朝の通学電車など」高校生活のさまざまな場面が描かれている。描かれたイラストとリンクしたさまざまな音(エモーショナルの音=“エモ音”。)を聞いてもらい、そのときの脳波から感情の動きや、集中力の出方を計測。そのデータを商品の開発やプロモーションに活用した。
「現在は、商品を出してみないとユーザーがどう感じるのかわからないといった状態で、商品を開発するのが難しい時代になってきています。そうした中で、(ニューロマーケティングは)あらかじめユーザー様の感情を脳波で測定することで、安心して(商品を)リリースができる、そういったことにつながる取り組みだと考えています」(楠氏)
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ブレインテックとAIを組み合わせる動きが活発化している主な要因として、「EEGのデバイスが発展(装着や測定が簡易になった)、脳波が取り出しやすくなったこと」「AIのアルゴリズムが急激に進化したこと」、「脳波をビッグデータとして保存し活用できる環境が整ったこと」が大きいと楠氏は分析する。
「この3つの条件がそろったことで、さまざまな取り組みを行いやすくなり、ユースケースが増えています。そういった状況ですので、ブレインテックとAIの組み合わせの動向は今後もぜひチェックしていっていただければと思います」
ブレインテックとAIを組み合わせることにより飛躍的に効率が上がるものは他にもありそうだ。しかし、脳波は生体認証にも利用できる究極の個人情報でもある。ここでも、利用と保護の上手いバランスが求められることになるだろう。