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【JOI ITO’S PODCAST ―変革への道― Vol.51 】「テクノロジーは人間を超越できるのか?」トランスヒューマニズムについて考える

左からテンジン・プリヤダルシ、スプツニ子!、エリック・サロビア、伊藤穰一の各氏

左からテンジン・プリヤダルシ、スプツニ子!、エリック・サロビア、伊藤穰一の各氏

 マサチューセッツ工科大学のメディアラボ元所長で、株式会社デジタルガレージの共同創業者でもある伊藤穰一が、ナビゲーターを努めるポッドキャスト「JOI ITO’S PODCAST  ―変革への道― 」。今週は、トランスヒューマニズムをテーマにした座談会の模様を配信した。

 この座談会は、千葉工業大学変革センターのレクチャーシリーズとして開催されたもので、同センターで研究員を務める僧侶のテンジン・プリヤダルシ、バチカン(ローマ教皇庁)の顧問を務めるエリック・サロビア神父、アーティストのスプツニ子!さん、そして伊藤穰一の4人で開催されたもの。

 トランスヒューマニズムとは、科学やテクノロジーを用いて、人間の限界を超え進化させるという考え方。体にマイクロチップを埋め込み拡張を目指したり、遺伝子操作で不老不死の体を手に入れようという人もいる。このトランスヒューマニズムについて、多くの意見が飛び交った。

* * *

テンジン・プリヤダルシ(以下、プリヤダルシ):私たち人間は進化を遂げ、AIや機械学習など大規模な技術を手にいれることが出来るようになりました。こうした中で、人間と機械の関係は、どうあるべきなのでしょうか。私は個人的にアーティストやSF作家はフューチャリストであるように思います。あなたには、未来を想像する素晴らしい才能があります。そして、これまで多くのSF作家は、ある意味でかなり予言をしてきました。スプツニ子さん、未来はどうあるべきだと思いますか?

スプツニ子!:ここ5~10年の間、インターネットを始めとした技術は、文明や人類を進歩させると思い込んでいた人が多数存在していたように思います。しかし、実際は民主主義や選挙制度、文明の調和などにおいて、混乱を生んだだけのようにも思えます。より強く、より速く、より効率的になることよりも、貧困や誤解など、社会で解決しなければならない問題を解決していくことの方が、よりトランスヒューマニズム的なのではないか、と私は思います。

プリヤダルシ:伊藤穰一さん。あなたはこれまで長い間、テクノ・ユートピアを掲げた人々と伴走してきたわけですが、彼らについてどのようにお考えですか?

伊藤穰一(以下、伊藤):テクノユートピアンの多くは、パワーを得れば得るほど賢くなれると信じているように思います。ですが実際は必ずしもそうではありません。世界というのはゲームで勝つことでも、問題を解決することでもないからです。自分が置かれている環境に、より適切なシステムに進化させようとしているだけなのです。より強力になるということは、間違いを犯した場合、間違いの度合いが強くなるということです。混乱し、複雑化した場合は、超高速でさらに混乱するだけなのです。つまり、現在我々は、ジェットエンジンを積んだまま、制御不能な状態に陥ってるような状態なのです。

エリック·サロビア神父(以下、サロビア神父):テクノロジーを活用してより強力になったとしても、賢くなるわけではありません。本当の意味でパワーが上がるということは、判断力や識別力を持つということだと思います。過去10年の間に、イノベーションと進歩の間には、差が生じるようになったと思います。

プリヤダルシ:では、少し視点を変えてみましょう。シンギュラリティに到達しているかどうかという議論はさておき、我々は既にある程度、トランスヒューマン的に進化しています。人工心臓やロボット義足などは、保守的な人から見ればトランスヒューマン的なものであると言えるでしょう。これらの技術は、今後どうするべきだと思いますか。我々は、テクノロジーに頼らない生身の人間として生きるべきなのでしょうか?

伊藤:足首が弱く、何度も手術をしていた少女の話を聞いたことがあります。医師たちは、治療を何度も試みましたが、最終的に彼女は足を切断し、ロボット義足を手に入れ、走り回ることができるようになったそうです。きっとポイントはそこだと思います。必ずしも、常に生身の人間のままで生活しなくてもいいのではないでしょうか?

サロビア神父:ありのままの人間の姿で生きることは、必ずしも技術を否定することではありません。義足は使うべきです。テクノロジーが発達したからといって、人間でなくなることはないからです。私が申し上げたいのは、私たちを人間らしく、あるいは非人間的にしているのは一体何なのか、ということなのです。多くの場合、「道徳的な選択」と「他者との関わり方」が関係してきているように思います。どういった形で社会に貢献するのかが重要なのです。人間とは、何かを入れる器ではありません。他の人とつながって、初めて人間となるのです。

伊藤:我々人間は、「誰が人間になるべきか」を判断するのがかなり苦手なように思います。つい最近まで、女性は投票することができませんでし、アメリカでは黒人には選挙権がありませんでした。また、自閉症の人は非人道的な扱いを受けることが多い。我々はある局面において、動物の域に達していると思うんです。時折、私が飼っている犬の方が人間よりも頭がいいと思うこともあります。我々は、何をもって人間と呼ぶことが許されるのでしょうか?

サロビア神父:我々は、人類を共同体として見なければならないと思います。この共同体のメンバーは、障害のある人々から高齢者、恵まれない人々までさまざまですが、全員が同じ尊厳を持つ存在だということです。カトリック教会はこれまで、障害者などの尊厳が奪われることのないよう闘ってきました。我々は苦しみながらも、進化を遂げているのです。 

 座談会では、介護におけるロボットの介入や、機械に知覚を与えることはできるのか?などさまざまなさまざまな問いが提議された。詳しくは番組をお聴きいただきたい。

【JOI ITO 変革への道 – Opinion Box】

 番組では、リスナーからのお便りを募集しています。番組に対する意見だけではなく、伊藤穰一への質問なども受け付けます。特に番組に貢献したリスナーには番組オリジナルのNFT会員証をプレゼントします。

https://joi.ito.com/jp/archives/2022/10/03/005828.html

【編集ノート】

 伊藤穰一からのメッセージや、スタッフによる制作レポート、そして番組に登場した難解な単語などはこちら。

https://joi.ito.com/jp/archives/2022/10/24/005835.html

JOI ITO’S PODCAST ―変革への道―

■「JOI ITO’S PODCAST ―変革への道―」

#51 「テクノロジーは人間を超越できるのか?」トランスヒューマニズムについて考える

https://joi.ito.com/links/

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