伝統ある企業で培われた技術を持ちながら、あえてその企業の枠を出て、スタートアップとして成長を加速しようという動きが見られる。
日本の代表的な光学機器メーカーであるHOYA株式会社からスピンアウトしたViXion株式会社(ヴィクシオン 本社・東京都中央区)は、HOYAのビジョンケア事業部が母体だ。ビジョン(視覚)に関する困りごとを解決するウェラブルデバイスやサービス、ソリューションを開発、提供する企業として2021年設立された。
少し前のデータとなるが、2007年時点で、我が国にはロービジョン(※)の人が145万人(日本眼科医会の研究班報告書)程度いるとみられている。
ロービジョンにはさまざまな症状があるが、これまでViXionは、暗くなると周りが見えにくくなる夜盲症や、視野狭窄の人向けに、「暗所視支援眼鏡 HOYA MW10 HiKARI」(以下、MW10)を提供してきた。そして今春、さらに広い層をターゲットにした新製品を出すと聞き、同社取締役 南部誠一郎氏にお話を伺った。
※「Low Vision」何らかの原因により視覚に障害を受け「見えにくい」「まぶしい」「見える範囲が 狭くて歩きにくい」など日常生活での不自由さをきたしている状態
* * *
南部氏によると、既存製品のMW10は「暗所視支援」、つまり暗いところを明るく見せ、ロービジョンの人の生活を支援するためのウェラブルデバイスであるのに対し、新製品MWF(試作機のコードネーム)は、メガネに近いソリューションを提供するウェラブルデバイスだと説明した。
老眼で手元が見えにくい、あるいは細かな作業を続けたため、目の疲れでものがかすんで見えるような時、MWFをかけると、目の状態に合わせピントが調整されものがはっきりと見えるようになる。
一度ピント調整すればはっきりと
老眼の筆者も試してみた。スポーツ用サングラスのような形状のMWFをかけて、少し離れたところで南部氏がかざす名刺を見てみる。これだけだと、名刺の文字はかすんで見えない。そこでMWFの下部にある小さなつまみを少し回すと、焦点がクリアに定まり、名刺の細かい文字がはっきり見えるようになった。
一度このキャリブレーション(測定の調整)を行えば、後はレンズ側で調整してくれるので、遠くのものも、近くのものもはっきり見える。ずっと「ピントが合った状態」を保ち続けられる。とういうもののその機構は遠近両用メガネとはまったく異なる。遠近両用眼鏡はレンズの上下で焦点が異なり視線の移動が必要だが、MWFでは眉間の部分の距離センサーが対象物をとらえ、その距離に応じてレンズが可変する仕組みになっている。
このためメガネの度数が合わなくなってきて、買い替えるなどということもなく、極論すれば故障しない限り一生使い続けることができると南部氏は説明した。
「朝はクリアに見えていたのだけど、一日中書き物をしていたら目が疲れて夕方には見えにくくなったという時は、そこでセットアップし直せばまたよく見えるようになります。また、メガネをかけ直すような所作も必要なくなります」(南部氏)
同機は充電により10時間以上駆動する。またBluetoothを搭載しており、将来の機能拡張にいろいろな可能性を感じさせる。例えば、スマホと連携して「目」からのバイタルデータの収集も可能になると南部氏は説明した。しかし現在は、直感的に、すぐ使用できることが大切と考え、スマホのアプリで連携、設定するような手順は省いているという。
目を酷使する仕事に
これは「既存のメガネに変わり得るものなのだろうか」と質問すると、南部氏は首を横に振る。
「やはり既存のメガネはとても完成度が高いものです。これ(MWF)はメガネではなくウェアラブルデバイスですので、シーンによって使い分けていただく。通常のメガネとは別にもうひとつ持つような(イメージです)。そういう製品にしていけるといいのではないかなと」(南部氏)
南部氏は、目を酷使するような方々にまず使っていただきたいと続けた。例えば、南部氏の友人である腕のいい職人が、腕は落ちていないが老眼で細かい部分が見づらくなって仕事を続けられないと嘆いていたところに、このMWFを貸したところ、細かい部分がくっきり見えるようになったと喜ばれたそうだ。
職人だけではない。エンジニアや研究者など細かな作業を行う職種は多く、MWFはそういった仕事に従事する人を支援するデバイスになりうる。
そんな仮説を確かめるためにも、この春クラウドファンディングを行う予定だ。販売価格も10万円以下に抑えるという。もちろんクラウドファンディングなので、最初のロットは優待価格で提供する予定だ。また、現在の試作機ももう少しブラッシュアップするとのことだ。
デバイスの提供に留まらない未来像
どうしてHOYAから出て事業化することにしたのか、その理由を聞くと、事業スピードをより速める狙いがあったと南部氏は説明した。ただ、HOYAからは投資も受けており、いい関係を保って事業を進めている。
さらに将来ビジョン(実現したい未来)については、南部氏は「これは私個人の想いですが」と前置きして、現在はデバイスを作っているメーカー的なポジションだが、社会の「インクルージョン(包摂)」を実現する企業に成長していきたいという。デバイスを提供するだけではすべての課題は解決しない。そのデバイスを使うことで、ユーザーが社会参加(社会的包摂)できるシステムを構築していきたいのだと力強く語った。
その具体的な一歩として、「MW10(暗所視支援眼鏡)の人間拡張技術を活用した就労支援を通じ、視覚障害者と晴眼者の就労環境のギャップ解消を目指す事業」がPwC財団の「2022年度第2期人間拡張・農福連携助成事業」の助成事業者に採択された。
既存製品のMW10は、個人で買うには高価(30万~40万円)だが、企業が購入して、夜盲症や視野狭窄等の有症者で就労や転職を希望する人に提供すれば、就労環境改善や就労の選択肢が広がり、ロービジョンゆえ働く場が限られていた人の就労機会が増える。
ウェラブルデバイスを製造するだけでなく、使ったユーザーが社会参加できる仕組み作りをしていく。それこそが南部氏のビジョンに沿ったものだ。
「モノを売って終わりではなく、テクノロジーで人々の人生に寄り添い、より豊かな社会の実現することが、最終的に我々の目指すゴールだと思っています」
もちろん南部氏は、ViXionのIPOも視野に入れている。社会包摂というビジョンに向けて、この春から動きを加速させる構えだ。