「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」と題した連載をスタートします。
海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気が付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。第1回のテーマは「エンタメとAI」です。(聞き手・執筆:高口康太)
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AI(人工知能)は世界をどのように変えるのか。AIへの期待と注目が高まっている。
グーグル傘下のディープマインド社が開発したAI囲碁ソフト「AlphaGo」が、人間のプロ棋士を破ったのが2015年のこと。この“事件”をきっかけにディープラーニングに代表されるAI技術の革新に注目が集まり、世界のベンチャーマネーがAIに殺到した。人材と資金が集まったAIはその後、長足の進歩を続けている。
特に昨年11月に公開された対話型AI「ChatGPT」は、世界の人々に衝撃を与えた。文章による指示で、文章作成、要約、翻訳、プログラミングなど高度な作業をAIに行わせることができる。そのハードルの低さは「近い将来、誰もがAIを使う時代がやってくる。AIによって私たちの社会は大きく変わるのだ」という確信をもたらすものとなった。
実際、AIはさまざまな業界を揺るがすものとなっている。その一つにエンターテイメント業界が挙げられる。エンタメの未来はどう変わるのか?ベンチャー投資家として、世界の最新テック事情、スタートアップ事情に精通しているマット・チェン(※)さんに話を聞いた。
※鄭博仁(マット・チェン)ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・キャピタル)の創業パートナー。米国、中国を中心として世界各地のベンチャー企業に出資している。起業家時代から約20年にわたり第一線で活躍する有力投資家として、中国で「エンジェル投資家トップ10」に選出されるなど高く評価されている。
マット・チェン(以下、M):「クリエイターエコノミー」という言葉があります。大企業ではなく、個人や少人数のチームが、さまざまなコンテンツを生み出し収益を上げられるようになったことを意味しています。
クリエイターエコノミーの成長は、テクノロジーの進歩を背景としています。ユーチューブ、インスタグラム、ティックトックなどのデジタル・プラットフォームによってコンテンツの発信や、広告収益をあげるためのハードルは一気に下がりました。すさまじい勢いで進化するスマートフォンを駆使すれば、小さな携帯端末1台だけで、クオリティの高いコンテンツを作ることも可能です。
コンテンツの制作、配信、現金化はますます「民主化」、すなわち誰でもできるようにハードルが下がっているわけです。今後もテクノロジーの進化によって「エンタメの民主化」は続くでしょう。
――私(高口)も、個人のブログをひたすら書いているうちに気づけば物書きが仕事になっていたので、その流れはよくわかります。インターネット、パソコン、スマホに続いて、AIが「エンタメの民主化」のエンジンになるのでしょうか。
M:そのとおりです。「エンタメの民主化」が進んだといっても、まだまだ誰でも作れるわけではありません。同じスマホを持っていても、撮影や加工のテクニックは学ぶ必要があります。文章を書く道具はいくらでもありますが、本一冊を書き上げられる人はそうそういないでしょう。
こうした状況がAIによって変わります。米国アマゾンの電子書籍ストアでは「ChatGPTを使って執筆した」と称する本がすでに200点以上もリリースされています。たとえば、目次を指示してやるだけで、あっという間にその中身を作ってくれるわけです。
今は対話型AIに注目が集まっていますが、それだけではありません。AIによる「エンタメの民主化」、その最前線を走るスタートアップ企業である、メタフィジック(Metaphysic 本社:英国ロンドン)とdob studio(本社:韓国ソウル)の2社を紹介します。
AIが変革するエンタメの世界
M:2年前、話題を呼んだのがDeepTomCruise(@deeptomcruise)というティックトックのアカウントです。ハリウッドスターのトム・クルーズがナイトクラブではしゃいでいたり、パリス・ヒルトンとデートしたりといった映画では見られない姿を映し出す動画で、一気にバズりました。トム・クルーズがバスローブ姿でダンスを披露している動画はなんと1億回以上もの再生回数を記録しています。
ぱっと見では、リアルな動画にしか思えませんが、実はAIによって制作された、いわゆるディープフェイクです。トム・クルーズのモノマネで知られる俳優マイルズ・フィッシャーの姿を、ビジュアルエフェクト・アーティストのクリス・ユーメがAIで加工しました。
――確かにすごいですが、プロの仕事ならばこれくらいは出来ても不思議じゃないような。
M:映画のVFX(特殊効果)は、専門のスタジオが時間と資金をかけて作るものです。AIを使うことで、少人数でも高いクオリティを実現した点が衝撃的です。DeepTomCruiseは40本以上のショート動画を公開していますが、専門のVFXスタジオに依頼していればいくらかかっていたのやら(笑)。
DeepTomCruiseの技術は、クオリティだけではなく、コスト面でも画期的だったのです。後述しますが、クリス・ユーメはメタフィジック社を創業し、この技術はハリウッド映画にも採用されることになりました。
エンタメ業界の最前線では、AIの採用例が増えています。昨年5月から英ロンドンのクイーン・エリザベス・オリンピック・パークで開催されているデジタル・コンサート「ABBA Voyage」はその象徴です。
伝説的ポップ・グループであるABBAが、40年ぶりにオリジナルアルバムをリリースした後、なんとコンサートを開いているのです。登場するABBAのメンバーたちは、全盛期である1970年代の若き日の姿をしたデジタル・アバターで登場しています。かつての映像をつなぎあわせたものではなく、AIによって作られたアバターたちが新たなコンサートを披露しており、新曲も含めたセットリストを組んでいます。
ABBA Voyageは、ジョージ・ルーカスが設立したインダストリアル・ライト&マジック社の技術協力によって実現しました。なんと850人ものスタッフがかかわったという巨大プロジェクトです。
実は、もっとこじんまりとした規模でも似たようなことができます。韓国のRUIは、歌唱動画や旅行風景を撮影したVLOG(ビデオブログ)をユーチューブで公開するインフルエンサーです。
――芸能人的な整った顔立ちではなくて、愛嬌のあるキャラクターですね。身近にいそうな存在というか。
M:実はこの顔立ちは、ビッグデータをもとに「韓国人が好む顔」を計算して作成したものです。撮影された人間の顔を別人のものに変えるディープフェイク技術を使って、実際の人間の顔を書き換えています。AIの顔と人間を組み合わせた「バーチャル・インフルエンサー」というわけです。
“民主化”を目指すスタートアップ
M:エンタメに使えるAIソリューション、その開発において存在感を示しているのはスタートアップ企業です。
DeepTomCruiseを手がけたクリス・ユーメが創業したメタフィジック社の活躍は目覚ましく、2022年にはアメリカの人気オーデション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」に出演、ファイナルまで勝ち進み、あのエルビス・プレスリーを蘇らせてパフォーマンスさせることで、視聴者の度肝を抜きました。
その技術力が認められ、年内公開予定のハリウッド映画「Here」にも技術協力しています。同作では名優トム・ハンクスが20代から80代までを演じるのですが、AIによって年齢に応じた顔に書き換えています。
メタフィジックのトム・グラムCEOは「特殊効果で年齢を変えれば、違和感が出てしまう。しかし、AIを活用したディープフェイク技術は違う。正しくトレーニングされたAIは年齢別の表情や姿を正しく理解し、状況に応じた加工を行うからだ」とその長所を説明しています。
また、AIが加工するとはいっても、そのもととなるのはトム・ハンクスの演技です。CGで顔を書き換えるのではなく、トム・ハンクスの動きをAIが加工しているので、俳優の演技を生かすことができるのも魅力です。
――AIを使ったディープフェイクのほうが、CGよりも俳優を尊重しているというのは面白いですね。
M:こうしたメリットがあることに加えて、最大20%のコスト削減につながるというコスパの良さもあります。
俳優のAIアバターは今後、さらに活用が広がりそうです。メタフィジックは今年1月、米大手芸能事務所クリエーティブ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)との提携を発表しました。今後、所属するタレントのデジタル・アバターの作成とその管理をサポートしていく方針です。
――なるほど、今後は「芸能人のアバターを借りてきて、自分の動画に出演してもらう」なんていうのもできるようになるかもしれませんね。
M:バーチャル・インフルエンサーのRUIを支えているのがdob studioです。2020年創業のスタートアップです。メタフィジックとは異なり、完全に仮想の顔を作るのが得意分野です。前述のとおり、RUIの顔はビッグデータに基づき、韓国人の好みを計算して作られたものです。
RUIの“中の人”は芸能人を夢見ていた女性ですが、自分の顔では難しいと悩んでいました。美容整形も一つの道ですが、dub studioの募集を見て、AIの力で別人になる道を選びました。dub studioのキャッチコピーは「Living in the Metaverse as someone I want to be」(なりたい誰かになってメタバースで生きる)。
いずれ到来するメタバース時代において、誰もが自分の理想の顔を手にする手段を提供しようとしています。
AIの力を使ってデジタル・アバターを作る技術は多くの企業がチャレンジしています。最近では韓国のカカオ・エンターテイメントがバーチャル女性アイドルグループ「MAVE:」をデビューさせたというニュースもありました
「MAVE:」は本物の人間そっくりのリアル路線ですが、アニメ的な絵柄などのフィクション路線ですとVtuberという選択肢もあります。日本で大人気のVtuberですが、アメリカでもtaiyaki studioというツールベンダー兼事務所が現れるなど、人気は世界に広がりつつあります。Vtuberはすでに技術的には成熟しています。大手事務所に所属しているVtuberが有名ですが、普通の個人でもコンテンツを作ることはさほど難しくありません。
今後は普通の個人でも使えるVtuberのアバターもより高度化していきますし、現時点では難しいリアル路線も使えるようになるでしょう。そして、デジタル世界の中では、芸能人との共演も可能になるかもしれない。ビジュアルだけではなく、それなりにしっかりとした台本もChatGPTのようなAIが書いてくれる。そうした方向に進むでしょう。
――なるほど。今はプロユースの技術を開発しているAIスタートアップも、“民主化”をゴールに置いているし、最終的には誰もが使えるようになっていくのだ、と。
M:スマートフォンとSNS展開の普及によって生まれたクリエイターエコノミーが、AIによって次のステージへとステップアップするのです。それがクリエイターエコノミー2.0です。
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資金が必要、設備が必要、技術が必要……。そうしたハードルを一つずつAIが解決していく。最終的にはそうした枷を解き放たれて、想像力だけで勝負する世界になるのではないでしょうか。この世界が実現した時、どのようなコンテンツが登場して私たちをワクワクさせてくれるのか。今から楽しみです。
構成:高口康太