近年、鉄道会社間の相互直通運転や複々線化などにより、鉄道の運行形態が複雑化し、災害や事故などによる遅延、運休が増加している。
こうした輸送障害が生じた際、鉄道会社では、折り返し運転や運行計画を変更するなどし、復旧ダイヤを作ることになる。これは「運転整理」と呼ばれる業務だが、専門知識やノウハウが必要とされるうえ、突発的に生じることが多く、大きな負担がかかっていた。
この「運転整理」を自動化するAI(「鉄道の輸送障害時における最適復旧ダイヤ作成AI」)の開発が、日本電気株式会社(以下、NEC)によって進められている。その仕組みや効果、展望について、NECデータサイエンスラボラトリー主任研究員の窪澤駿平氏に聞いた。
自動化を阻む「大規模最適化問題」
「鉄道の輸送障害時における最適復旧ダイヤ作成AI」とは、どのようなものか。窪澤氏によると、災害や事故などが発生した際に行う「運転整理」を自動化・最適化するもので、わずか数分で復旧ダイヤを作成し、提案してくれるものだという。
従来「運転整理」は、豊富な経験や知識を持つベテランの担当者が、高度な判断力を駆使して行うものだった。ところが、高齢化や若手社員の採用難からくる後継者不足もあり、省力化が強く求められるようになってきた。そんな中、今回窪澤氏らが開発しているAIは、大きな意味を持つと考えられる。
実は、鉄道の歴史の中では、これまでも幾度か「運転整理」を自動化するシステムの開発が試みられてきた。しかし、その度「大規模最適化問題」という壁が実用化を阻んだという。
「運転整理を行うときには、まず、『どの列車を何時にどこの駅まで行かせる』といった車両計画を立てる必要があります。しかし、大都市圏では多数の列車が高密度で運行されているうえ、複々線、直通運転、(特急、急行など)多数の種別、複雑な人流などを配慮しなければいけません。そのため、車両計画だけでも大規模な問題となり、コンピューターで解くのが非常に難しくなります」(窪澤氏)
さらに、ここに車掌や運転士、構内作業員などの人的リソースの配分が加わると、さらに問題が複雑化・大規模化し、計算に膨大な時間がかかってしまう。加えて、AIを学習させようにも、そもそも「どういう状況で、何をすると、どうなる」といった経験則(データ)がない。こうしたことが、「運転整理」の自動化を阻む要因になっていたとのことだ。
「鉄道デジタルツイン」が成功の鍵
では今回、窪澤氏らは、「運転整理」の自動化をどのように実現したのだろう。その大きな原動力となったのが、独自開発した「AI学習用鉄道デジタルツイン」だ。
「AI学習用鉄道デジタルツイン」とは、首都圏の鉄道運行を高精度に再現したシミュレーターのことで、駅、信号機、車両、人流(混雑度)などが表示され、AIは信号機のオン・オフ操作をしながら、さまざまな状況を試すことができる。
窪澤氏によると、今回のシステム開発では、この「AI学習用鉄道デジタルツイン」を通じて、AIに深層強化学習を行っているという。強化学習とは、AIにさまざまな行動を試行錯誤させる機械学習手法のひとつで、「混雑最小化」「時刻表とのズレ最小化」など、さまざまな評価指標(報酬関数)を設定したうえで、試行錯誤させ、評価指標が高い打ち手を打つよう学習していく。
例えば、ある駅から折り返し運転をしなければならなくなった場合、「列車が止まる」と得点が低くなり、「駅からの出場者数が多い」ほど得点が高くなるように評価指標を設定する。するとAIは、膨大な数のシミュレーションを繰り返していきながら、高得点となる打ち手をどんどん選ぶようになっていく。
このように、トライアンドエラーを繰り返させることで、AIの精度を上げていき、合わせて「区間A-Bで不通になったら、急行は運休」などの鉄道会社のルールも併用することで、複数の目的を同時に満たす大規模最適化問題(「運転整理」)を、わずか数分で解けるAIができあがるとのことだ。
「あとは、実際の現場の列車の位置情報をシミュレーターに持っていき、AIにその状況から時間を進めて操作させると。すると、(未来の列車の軌跡として)復旧ダイヤ案が数分で出てくるということになります」(窪澤氏)
データがないなら作ればいい
目前の状況を一旦デジタルツインに移し替え、その上で、シミュレーションを繰り返し、最適なダイヤを見つけ出す。そもそもどういった経緯から、こうした発想になったのか。
そのきっかけとして窪澤氏は、NECが東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)と開発した「クラウド・AI技術を活用した業務支援システム」で見えてきた、ある課題を挙げる。
この業務支援システムは、司令員や運転士らがクラウド上で情報共有するとともに、AIが過去データを分析して、輸送障害発生時の判断支援を行うものだった。しかし、導入後、「輸送障害の発生時には、これまで起きたことがないことが起きるため、過去のデータを集めても、適切な対処法を導き出せない」という課題が見えてきたという。
「それならば、鉄道シミュレーターを作れば、未経験の状況も再現できるのではないかということになりました。シミュレーターとは、すなわちデータの生成源です。実際には存在しないデータも、シミュレーターを使って集めることができますから、さまざまな状況に対応できるシステムを作れるだろうと。そう考えて挑んだのが、今回のAIシステムです」(窪澤氏)
しかし、開発の道のりは決して楽なものではなかったという。「特に、『AI学習用鉄道デジタルツイン』の開発には苦労しました」と窪澤氏は笑う。
「最初に作った首都圏近郊の鉄道運行シミュレーターは、公開されている情報のみで作っていきました。例えば、時刻表と合わせて、列車がどれくらいの速度で動いているのか調べ、その挙動に合わせて、再現性を高めたり、ときには、YouTubeで、運転席からの景色を撮った動画を見ながら、どれくらいの間隔で信号が並んでいるのかを調べたり。本当に苦労しました」
システムの開発は2019年に開始された。4年経った今年(2023年)、小田急小田原線を対象にした技術検証にも成功するなど、ようやく実用化の目処が立ったという。
「今後は、ユーザーインターフェイスの開発に注力し、再来年(2025年)を目処に実用化できればと考えています」(窪澤氏)
本システムは復旧ダイヤだけでなく、通常ダイヤの作成や、航空、物流など他分野に転用できる可能性も高いとのこと。一日も早い実用化を期待したい。