「第8回 自動翻訳シンポジウム」の様子
コロナ禍収束後、訪日外国人が急増していることに加え、今年(2025年)は大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)などの国際的なイベントがひかえている。言葉の壁を超えたコミュニケーションの重要性は年々増している。
グローバルコミュニケーションの壁を取り払うための技術として注目されているのが自動翻訳だ。近年は生成AIの登場もあり、その進化が著しい。
そうした中、2025年2月19日、総務省およびグローバルコミュニケーション開発推進協議会、国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)が主催する「第8回 自動翻訳シンポジウム 生成AIとAI翻訳〜自治体での活用」が、品川インターシティホール(東京都港区)にて開催された。
まず東京科学大学 情報理工学院 教授の岡崎直観氏が登壇し「大規模モデルはどのように『ことばの壁』を越えるのか」と題した講演を行った。
講演の中で興味深かったのが、大規模言語モデル(LLM)が入力された単語を別の言語に翻訳するプロセスを可視化した研究についての考察だ。研究に用いられたのは、LLMが中間層においてどのようなことを考えているかを可視化する「Logit lens」という技術だ。
講演では「Logit lens」を用いて、Meta社開発のLLM「Llama」にフランス語の「fleur(花)」という単語を与え、中国語へと翻訳する過程を可視化した研究が紹介された。この時LLMの内部(翻訳過程)では、まず英語の「flower」という単語が浮かび上がり、その後で中国語の「花」へと変換されていくという。つまり、フランス語から中国語へと直に翻訳されるのではなく、いったん英語を経たうえで中国語に翻訳されている。
岡崎氏によると、従来の(英語をベースに開発された)機械翻訳技術においても同様の手順が行われていた。例えば「フランス語から中国語へ」といったように、英語以外の言語間での翻訳をさせる場合には、英語を中間言語として介在させる「ピボット」方式が用いられてきた。
「LLMでは、ピボット方式をわざわざ再現しなくても、内部的にピボット方式が実現されていて、英語を介して多言語同士の翻訳をしようという挙動が確認できます」(岡崎氏)
さらに「こうした内部の挙動を見ていると、実はLLMのモデル内で『ことばの壁』というものを、レイヤーのレベルで乗り越えていることがわかる」と述べ、自動翻訳における生成AI活用の有用性の高さをあらためて示した。
次に、実際の活用例が紹介された。多くの外国人や身体障がい者が利用する自治体の窓口では、どのように自動翻訳を活用しているのだろう。コニカミノルタ株式会社(本社:東京都千代田区)で多言語翻訳サービス「KOTOBAL(コトバル)」の事業を手掛けている小笠原堂裕氏は、「自治体での多言語通訳サービスの活用事例〜東京都板橋区での実績〜」と題した講演を行った。
「KOTOBAL」は全国100の自治体に導入されているサービスだ。最大32カ国の外国語対応と音声筆談・手話通訳にも対応しており、各自治体の窓口で住民と職員が会話をする際に用いられている。なお、一般的な会話ではAI翻訳が用いられるが、AIで対応できない複雑な会話の場合には遠隔の通訳者につなげる仕組みも備わっている。
東京都板橋区では増加する外国人や「障がい者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法」に対応するため、この「KOTOBAL」を2024年4月に導入。戸籍住民課や福祉課、障がい政策課などで利用している。
同区では、健康福祉センターでも「KOTOBAL」を導入しており、保健師が外国人住民の家庭を訪問する際などに活用している。「具体的には(出産、子育てなどの)生活状況の聞き取りや、サービスや制度の説明などに使われています」(小笠原氏)
小笠原氏によると、全国の在留外国人のうち「家族滞在」する人が年々増加しており、家族で生活する外国人をいかにサポートするかが全国の自治体の大きな課題になっている。板橋区では、特に不安の大きい出産・子育て・福祉といった場面で多言語通訳サービスを活用し、住民の不安解消につなげているという。
小笠原氏らが実施したアンケート調査では「KOTOBAL」の活用を通して、職員の98%が『伝えたいことが伝わりやすくなった』と回答しているほか、「スムーズにコミュニケーションできることによりストレスが軽減した」など心理的な負担の軽減にもつながったとするコメントも数多く見られるとのことだ。
続いて、TOPPAN株式会社(本店:東京都台東区)の永野量平氏が登壇。「自治体でのインバウンド対応における自動翻訳の活用」と題した講演を行い、訪日外国人への体験提供時における自動翻訳の活用状況を説明した。
永野氏によると、2024年の訪日外国人数は約3700万人と過去最高を記録し、関心を持たれる分野も従来の漫画、アニメ、ゲームから、日本食、伝統工芸品、日本の自然・精神性など多様化している。そうした中で、地方の観光資源の価値を「伝える」重要性が増しており「地域のストーリーを深く、わかりやすく伝えられるローカルガイド」のニーズが高まっているという。
しかし、外国語を話せるインバウンド向けローカルガイドの数が圧倒的に不足しており、「このような場面で力を発揮するのが自動翻訳のツール」だと強調する。
その導入事例のひとつとして永野氏が紹介したのが、新潟県の伝統芸能・古町芸妓を体験できるイベント「新潟花街茶屋」において自動翻訳ツール「VoiceBiz® Remote」を活用した取り組みだ。「新潟花街茶屋」は老舗料亭で芸妓とお座敷遊びなどを体験できるイベントだが、近年外国人の参加が増えている。その体験価値を高めるために、それぞれ異なる言語を話す複数の外国人に対して、端末を通じて同時に説明、案内を行える「VoiceBiz® Remote」の利用が進んでいる。
具体的には、イベントや施設に関するFAQなどの定型(説明)文はあらかじめ登録しておき、必要なタイミングで送信すれば各国語に翻訳されて外国人参加者のスマートフォンに届く。これで声が届かない場所にいる参加者にも説明ができる。さらに、その場で出た質問などにローカルガイドが「VoiceBiz® Remote」を使ってチャット形式で回答する。もちろん多言語翻訳対応なので質問は自分の言葉で入力し、回答は翻訳されて手元に届く。例えば、日本人の芸妓さんに参加した外国人が直接質問し回答を得ることもできる。この仕組みにより、外国人参加者の理解や体験の深さを「日本人参加者レベルにまで高めることに成功している」という。
なお、こうした日本の伝統文化を体験するイベントでは外国人だけでなく日本人参加者も混在するケースが多いが、自動翻訳ツールを使うことで外国人向けの解説に特化する必要がないので、イベントの持ち味を崩すこと無く「日本人側の体験価値の低下を防ぐ」効果も見られるとのことだ。
講演の最後に永野氏は、大阪・関西万博において活用する予定の自動翻訳技術(同時通訳や多言語翻訳技術など)についても触れた。生成AIの登場以降、翻訳の精度やスピードが飛躍的に向上した。また、多言語同時翻訳など多言語化への対応も進んでいる。万博など多くの国から人が集まる大規模な国際イベントを通じて翻訳技術のさらなる高度化が進み、社会の発展を阻む言葉の壁が一気に解消されることを期待したい。