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子どもへの虐待は、どの国・地域でも大きな社会問題だ。SDGs16.2にも「子どもに対する虐待、搾取、取引及びあらゆる形態の暴力及び拷問を撲滅する」と明示されているが、問題の解決は簡単ではない。日本でも児童相談所への相談件数は年々増加しており、職員不足や対応の難しさから現場の業務は逼迫している。
こうした状況を、SaaSの伴走型業務支援サービスを提供することで改善しようとするスタートアップがある。「すべての子どもたちが安全な世界に変える」をビジョンに、2020年に立ち上がった株式会社AiCAN(神奈川県川崎市)だ。
同社の主力サービスである「AiCANサービス」は、児童相談所など児童福祉の現場の業務をデジタル化する専用アプリと、データ分析に基づく業務改善提案や(サービス活用に関する)研修をセットで提供するもので、東京都世田谷区や群馬県高崎市など、現時点(令和7年度)で16の自治体で本導入されている。
「AiCANサービス」とはどのようなサービスなのだろう。AiCAN代表取締役・CEOの髙岡昂太氏によると「ICTとデータの利活用(AI解析含む)を現場に取り入れることで、子どもの虐待対応のスピードや職員の判断の質向上を促すもの」だ。
具体的には、現場職員にタブレット端末と専用アプリが提供され、所外でも記録の入力や閲覧、チャット機能が使えるようになる(※)ほか、AIが虐待対応の客観的な判断材料を提供してくれる。さらに、これら機能を効率的に業務に取り入れるための研修(伴走支援)も用意されている。
※個人情報保護に配慮した閉域ネットワーク環境で提供される
髙岡氏によると「AiCANサービス」は、主に3つの効果が期待できるという。
ひとつ目が「業務効率化」だ。児童相談所などの現場では、手書きでメモを取り、事務所に戻ってからパソコンに打ち込み直すところが多く、何度も同じことを書かなければならないなど、職員の業務負担が増大している。これに対して「AiCANサービス」は、タブレット端末を用いた入力を可能とすることで、煩雑な記録業務を大幅に削減できるという。
「さらにその入力フォームにも工夫を施しています。たとえば、新人の方が調査記録を書く場合、フォローがないままだと『何を調べればいいのかわからない』状態に陥りがちです。そこで我々は、現場のドメイン(専門)知識に基づき、調査者がフォームに沿って情報を埋めていけば、自然と必要な情報が集まるよう工夫しています。画一的な入力フォームではなく、各現場のやり方や状況に合わせたUI・UX設計を突き詰めることで、現場に確実に業務効率化の効果がもたらされるよう心がけています」
二つ目の導入効果が「コミュニケーションの円滑化」だ。髙岡氏によると、「経験年数3年未満」の職員が7割弱に上るなど、児童相談所には経験が浅い職員が増えている。しかし、現場のノウハウの多くは言語化されておらず、現場で困ったことがあると、その都度、上司に電話で相談することになる。しかし、上司は忙しくて電話に出られず、対応が遅れてしまうことも多い。
「AiCANサービス」では、こうした課題をチャット機能や写真撮影機能を用いて解決する。現場担当者は、これらの機能を使って上司や関係者に一斉に相談を投げかけ、リアルタイムにアドバイスをもらうことができる。たとえば、現場で記録しながらヒアリングしているのであれば、その書きかけの報告書を共有しながら「次はこんなことを聞き出したらいい」など、いわゆるスーパービジョン(対人支援者が、同業のベテラン職員に指導してもらいながら技術を磨く手法)的な指導をしてもらうことも可能になるという。
そして、3つ目が「(職員の)判断の質の向上」だ。これは、職員がタブレットに調査情報を入力するごとに、AIが過去の調査データをもとに「虐待の重篤度(リスク)」や「再発率」など判断材料となる情報をタイムリーに表示することでもたらされるものだ。
こうしたAIを開発した背景には、先述したような「子ども虐待の対応方法の多くが言語化されていない現状」があるという。
「多くの現場では、ベテランの職員が汗をかきながら、自身の経験をもとに対応方法を学んでいますが、それらの知見は言語化・体系化されておらず、人によってバラツキがあることも多い。そうした属人的なところを、少しでも仕組み化し、若手が引き継げるようにしていきたいと考え、こうした機能を開発しています」
なお同サービスのAIが示す「重篤度」などの数値は、“調査項目の全てを埋めない段階での値”に加え、“全てを埋めた場合の最大・最小の予測値”も提示される。たとえば現場で調査する約100項目のうち、30項目が埋まっている段階での重篤度は「50%」だが、残り70項目を埋めると最低でも重篤度が「30%」、最大重篤度は「90%」になる可能性などが同時に示されるというわけだ。
「こうした仕組みにしたのは理由があります。『虐待対応のAI』と言われると、少ない調査量で効率的に重篤度を判定してくれるものをイメージしがちです。しかし、我々の目指すのはそこじゃない。むしろ『他にもこんな調査項目があるよ』『もっと調べた方がいい』と促してくれる、言わば先輩や上司からのアドバイスのような効果をもたらすものにしたい。こうしたAIからの情報を提供することで、現場職員の『判断の質の向上』に貢献したいと考えています」
「AiCANサービス」はすでに複数の自治体で実証実験が行われ、実際に導入した自治体も増えつつある。現場からはどのような反応があるのだろう。
まず髙岡氏が提示してくれたのが「記録業務に関するアンケート調査」の結果だ。主観的なデータに基づく記録作成の業務時間が「平均して6割ほど減った」という声が多くの自治体から寄せられているという。中には「9割近く減った」という返答もあるとのことだ。
もう一点、印象深かったのが「コミュニケーション円滑化」に対する反応だ。多くの自治体から「職員の顔が明るくなった」というコメントが寄せられているという。
「これまで現場で何か困りごとがあった時、職員の多くはその場で解決することができず持ち帰ることがありました。しかしチャット機能を使うことで、その場で上司や関係者に聞いて解決できるため『安心感が全く違う』と喜ばれています」
なお「判断の質の向上」については、現在「責任あるAI」の観点で現場と運用の仕方を検討するなど、実装に向けた準備を進めている段階とのことだ。
髙岡氏が子どもの虐待に関心を寄せるようになったきっかけは、大学生の時に海外の旅先で出会った「ある少女とのやりとり」だ。小学生低学年ほどの年齢だったその少女は、髙岡氏に微笑みながら「バイミー(私を買って)」と話しかけてきた。もちろん髙岡氏は断ったが、近くにいた母親が次のターゲットに声をかけるよう促したのを見て、大きなショックを受けたという。
「たとえ私が断ったとしても、その少女が次の人に声をかけないと、その家族は生きていけない。何か社会の構造として大きな問題があると感じ、自分なりに解決策を模索したことが、この世界に飛び込むきっかけです」
もともと心理学を学んでいた髙岡氏は、子どもの虐待を専門とする教授がいる大学院に入り、児童相談所で働きながら子ども虐待に関する研究に着手した。やがて、現場での経験から「属人化されたノウハウや知見を仕組み化すること」の重要性を感じ、その手段として、統計学や機械学習の知見を深めるべくカナダのブリティッシュコロンビア大学(UBC)でポスドクとして働くようになる。
帰国後、国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)の人工知能研究センターで働くようになった髙岡氏は、2017年より、三重県の児童相談所向け「AIを活用した児童虐待対応システム」の開発プロジェクトに“科学者兼実務者(サイエンティスト・プラクティショナー)”として参画する。
システムの開発は軌道に乗り、成果も出ていたが、国の機関が実施する研究プロジェクトには“期限”がある。「そこで、この取り組みを持続可能な形にするべく、2020年に独立して立ち上げたのがAiCANというわけです」(髙岡氏)
髙岡氏らは三重県のプロジェクトで手がけたシステムをベースに「AiCANサービス」を開発。何度もアップデートを繰り返し、現在、全国の自治体で導入されるような実用的なシステムにまで成長させた。
今後は「3つの展望を抱いている」という。ひとつ目が児童虐待対応の関係機関に「AiCANサービス」を広めていくこと。二つ目が児童虐待に近接する、たとえば高齢者虐待や障がい者虐待などの領域に横展開していくこと。そして三つ目がグローバル展開だ。
「私たちは『すべての子どもが安全な世界に変える』というビジョンを掲げています。子どもの虐待はどの国にも起こり得るし、どこの国でも解決が難しい。だからこそ、我々はそこにきちんと向き合っていきたいと考えています」
髙岡氏は「AiCANサービス」を虐待対応のスタンダードに成長させ「日本、そして海外の子どもたちにいち早く安全を届けたい」と意気込む。
今の子どもたちが安全になれば、いわゆる「虐待の連鎖」が断ち切られ、次の世代の子どもたちが安全に過ごせる可能性は高まるだろう。同社の事業が大きくスケールすることを期待したい。