株式会社ツカリマクリ 代表取締役CEOの池添弘規氏(左)と、取締役CPO(最高製品責任者)の橋本永手氏(右)
日本の伝統的な宿泊施設である旅館が、厳しい状況に置かれている。2019年時点において、すでにホテルを利用する人は増加傾向にあり、旅館を利用する人は減少傾向にあったが、これはコロナ禍を経ても変化がない。2023年5月以降のアフターコロナにおいて、ホテル利用は、コロナ以前のピークをすでに上回るほど回復しているが、旅館側はいまだコロナ以前のピークに達していないのだ(経済産業省「第三次産業活動指数」より)。
こうした旅館が抱える課題を、「温泉」の新たな活用法を提唱することで解消しようとするスタートアップがある。それが2025年1月創業の株式会社ツカリマクリ(本社・東京都渋谷区)だ。
ツカリマクリは、東京理科大学の橋本研究室の協力のもと、独自技術「温泉濃縮」を開発。温泉成分の99.9%を占める水を蒸発させ、有効成分だけを濃縮することに成功している。この技術を活用することで温泉の運搬コストを劇的に削減し、従来の入浴剤とは異なる“本物の温泉”を届ける仕組みを構築しようとしている。また将来的には、こうした技術を使って、温泉旅館や地域の価値を再創造するという。
同社代表取締役CEO(兼インクレイズテクノロジー株式会社 代表取締役社長/CEO)の池添弘規氏と、同社取締役CPO(最高製品責任者)で東京理科大学 創域理工学部 社会基盤工学科 橋本研究室 講師でもある橋本永手(ながて)氏に、事業内容や展望を聞いた。
池添氏はコロナ禍が始まった2020年、株式会社リクルート(本社:東京都千代田区)に就職し、宿泊施設の予約サイト「じゃらんnet」を担当した。そこで温泉旅館の厳しい現状を目の当たりにしたという。
「2000年頃から現在にかけて、温泉旅館の件数は約4割減少しています。一方、資本力があるホテルチェーンの件数や部屋数は年々増え、今や旅館とほぼ同数に。特に私が『じゃらんnet』に就職したのはコロナ禍の頃で、多くの温泉旅館が苦戦しているのを肌身で感じました」(池添氏)
温泉旅館は地域に雇用を生むだけでなく、各地の伝統文化を受け継ぎ、旅行客を呼び込む貴重な観光資源でもある。そんな温泉旅館の行く末を強く危惧したという。
池添氏は2年半ほどリクルートに在籍し、その間に旅館やホテルに、予約や会計、マーケティングなどの状況を可視化するSaaSサービスを提供するインクレイズテクノロジー株式会社(東京都中央区)を立ち上げた。
「より深く全国の温泉旅館と接する中で、一番の魅力は『温泉』にあると実感しました。しかし温泉の良さは、やはり実際に体験してもらわないと伝わらない。そこで“本物の温泉”をそのまま届けられる方法はないかと考え、開発に着手したのが『温泉濃縮』技術です」
ちょうどその頃、大学時代の先輩だった橋本氏が母校の東京理科大に赴任する。研究室を訪ねた折り「温泉の水分を飛ばす装置を作れないか」と相談したところ、産業機器開発やエネルギー論を専門とする橋本氏は二つ返事で引き受けてくれた。
「二人で装置を手作りし、実験を繰り返していくと、どんどん(濃縮)できるようになりました。そこで、もうこれは事業化するしかないと、橋本先生と今年1月に立ち上げたのがツカリマクリです」
では「温泉濃縮」とはどのようなものか。池添氏によると「温泉は99.9%が水で、残りの0.1%が温泉成分」だという。
「逆に言うと、温泉を各地に運ぶとなった場合、この99.9%の水が邪魔になります。そこで、この水を現地で飛ばして(蒸発させて)しまえば、容積と重量を大幅に減らせ、運搬の負担が減らせるのではないかと。そんな発想が大元にありました」
「温泉濃縮」の大まかな流れはこうだ。まず温泉を低圧の環境に置いて沸点を下げる。たとえば富士山などの山頂に登ると、70度ほどでお湯が沸く経験をしたことはないだろうか。これと同じ原理で、特殊な装置で温泉を低圧環境に置くことで沸点を下げる。そうして沸点が下がった温泉を、地熱によって沸騰させ、水分を飛ばしていく。こうすることで、電気やガスなどのコストをかけずに現地で温泉を濃縮できるという。
ツカリマクリでは第一弾プロダクトとして、この濃縮した温泉を自宅で体験できる「濃縮温泉入浴剤」を提供することを計画している。従来の入浴剤との大きな違いとしては「(まだ検証などが必要ではあるものの)温泉が持つ効果・効能をそのまま体験できる可能性が高い」ことが上げられるという。
池添氏によると、一般的な入浴剤は、いわゆる温泉成分表のうち、主要な成分を再現し、色や匂いによって「“温泉気分”を味わえる」ものが多い。これに対して「濃縮温泉入浴剤」は、微細な共存イオンなどが含まれた“本物の温泉成分”がそのまま濃縮されたものとなる。このため「温泉の効果・効能」と呼ばれるものを再現できる可能性が高いとのことだ。
「現在、温泉地で実証実験を繰り返しながら準備を進めており、年内にはテスト販売までたどり着ける予定です」(池添氏)
ツカリマクリがおもしろいのは、この「濃縮温泉入浴剤」の事業の先に、温泉旅館や地域が抱える課題の解決を見据えていることだ。
そうした構想のひとつが「集客」への貢献だ。「濃縮温泉入浴剤」がそのきっかけになると池添氏は胸を張る。
「『濃縮温泉入浴剤』を体験した人は(従来の入浴剤とは異なる)“本物の温泉”の良さを実感できると思います。もちろんそこで終わる人もいるとは思いますが、温泉には体に合う・合わないといったこともありますので、もっと温泉に関する情報を集めたいと思う人もたくさん出てくるはずです。そこで、たとえば『あなたの体に合う温泉を紹介する』といったコンテンツを提供し、どんどん温泉地に足を運んでもらうなどの行動変容を促す。このようにして(サウナが再ブームとなったように)各地の温泉文化を再び盛り上げていければと構想しています」
加えて、越境ECなどを通じて世界中に「濃縮温泉入浴剤」を提供することなどで、外国人が日本の温泉旅館へ足を運ぶ“呼び水”にしたい狙いもあるとのことだ。
もう一点、同社が構想しているのが、温泉の「維持管理」や「保守運用」に寄与することだ。ここで池添氏は各温泉地にある「温泉不思議」というキーワードを出した。これは、火山の無い地域に温泉が湧き出る理由や、温泉の泉質が場所によって異なる理由、地下深くから高温の熱水が湧き出す仕組みなど、温泉に関するさまざまな疑問や神秘を指す言葉だ。
「こうした『温泉不思議』があるということは、要するに(温泉については)まだ学問の余地が多分にあるということだと思います。温泉旅館の『維持管理』や『保守運用』を効率化するためには、やはり温泉に対する学術的なアプローチが必要とされていて、我々はそういった仲間をどんどん増やしていくことでも、温泉旅館や地域に貢献できると考えています」(池添氏)
たとえばツカリマクリが「東京理科大学発スタートアップ」であることを利用し、多くの研究者を巻き込みながら「温泉学」などの学問領域を活性化することで、第三者の知見を温泉旅館や地域に広く提供できる環境を築いていきたいとのことだ。
なお橋本氏は、今回の「濃縮温泉」技術についても、地熱を効率よく活用した「再生エネルギー」の好事例となるとし、論文の準備をすでに進めているという。
「温泉を濃縮する」発想に加え、そうした技術を使って旅館や地域の課題を解決しようという構想は、非常に独自性の高いものと言えるだろう。池添氏や橋本氏らの取り組みが、着実にビジネスとして実を結んでいくことを期待したい。