2025年8月、中国政府は国家AI戦略「関于深入実施“人工智能+”行動的意見」(“AI+”アクションの行動進化に関する意見)を発表した。AI(人工知能)をめぐる国際競争というと、これまで大規模言語モデルやAIエージェントなどの開発、インフラとなる半導体の調達などの側面が注目されてきた。そしてAI技術が成熟しつつある中、どれだけ社会実装を進められるか、つまりどれだけ使いこなせるかも競争領域とみなされるようになった。
「令和7年版情報通信白書」(総務省)では、日本、米国、ドイツ、中国の生成AI利用状況の比較調査結果を掲載しているが、個人利用経験では中国は81.2%と断トツの1位。以下、米国68.8%、ドイツ59.2%、日本26.7%と続く。法人で見ても「積極的に活用する方針」の企業は中国が48.5%、米国とドイツが39.2%、日本が23.7%という並びだ。
社会実装競争ですでに中国がリードする状況となっているが、「AI+」はその状況に拍車をかけるのではないか。
「AI+」とはなにか?
中国政府は2015年に「インターネット+」政策を打ち出している。「インターネット+製造業/金融/医療/農業……」など、あらゆる分野にインターネットを導入し、社会の変革を推進しようという壮大な政策だ。
現在の中国がスマホ万能社会であるのはよく知られているとおり。一市民の暮らしもそうだが、ビジネスや働き方のあらゆるシーンにスマホ(インターネット)が浸透している。現在から見ると、「インターネット+」政策で描かれたとおりに、インターネットによって産業も生活もすべてが大きく変わった。中国政府はこの成功を「AI+」でも再現しようとしている。
では、今回の「AI+」政策にはどのような内容が盛り込まれているのだろうか。
冒頭には、「AIと経済社会の各産業領域を広く深く融合し、人類の生産生活モデルを再構築し、生産力の革命的躍進と生産関係の深い次元での変革を促進する。人機協働、領域を超えた融合、共創とシェアのスマート経済とスマート社会の新形態の形成を加速する」とのゴールが設定されている。
そして、「2027年までにスマート端末及びAIエージェントなどのアプリケーションの普及率を70%超とする。2030年までに90%超に。6大重点分野(科学技術、産業発展、消費、社会福祉、行政、世界的協力)での実装を優先する」との目標が掲げられている。
中国のAI社会実装政策ではデバイスが全面に打ち出されている点がユニークだ。2025年3月の全人代(全国人民代表大会)の政府活動報告でも「AI パソコン」「AIスマホ」が取りあげられていた。電子機器の製造では世界一の中国だけに、デバイス上で動作する小型AIが普及し、買い換えブームが起きればという期待は高い。デバイスではこの他にも「自動車、ロボット、スマートホーム、ウェアラブル」があげられたほか、メタバースやブレイン・マシン・インターフェースという新たなトレンドも加味されていた。
6大重点分野については特に消費、社会福祉という項目が目を引いた。2020年代に入り、中国経済の成長は鈍化している。内需拡大、そのための社会福祉向上が必要となる中で、AI+にもこの2分野が盛り込まれた格好である。もっとも抽象的な記述が多く、どのような形で発展するかは見えてこない。
たとえば、「AIで人間関係を深め、精神的慰めを与えるパートナーとなるよう、子育てや老人介護、障害者支援の手助けや全国民フィットネスなどでの重要な役割を果たすようにする」という一節などを見るに、孤独な老人の話し相手需要も想定されているようではあるが、これが特に推進すべき項目なのかと言われると疑問符がつく。
メディア関係者として気になったのが、「データ供給イノベーションの強化」という一節。「AIの発展に合致したデータ所有権と版権制度を整備する。公共財政支援プロジェクトによって版権内容の合法的開放を推進する。価値貢献度に基づきデータコストの保障や収益分配などの方式模索を奨励し、データ供給の奨励を進める」というもの。
日本でも読売新聞、朝日新聞、日経新聞による米国AI企業パープレキシティ提訴のニュースがあったが、コンテンツ保有者とAI制作者との利益分配は世界的に未解決の問題だ。その制度作りを促すとともに、公的な資金での補償を示唆している点は興味深い。
「ライトな中国」「ヘビーな欧米」
さて、ここまで中国の「AI+」政策を概観してきた。国が号令を下すと、企業はその分野に商機ありと見て反応するのが中国スタイルである。というわけで、「AI+」がAI社会実装を強力に推進する材料になることは間違いない。
ただ、その実装のあり方がどうなるのかについては慎重に見る必要があるだろう。冒頭で紹介した情報通信白書のAI利用率を見ると、中国では社会実装がかなり進んでいるように見える。
だが、細かく見ていくと、そう簡単には結論づけられないようだ。製造業、テック、金融、ITなどの128社へのアンケート調査をまとめた、大手紙・新京報の報告書『中国企業家AI応用調査研究報告2025』によると、90%の企業が実際にAIを利用していると回答している一方で、「自社の事業に即したAIシステムを導入している」との回答はそのうちの34.4%にとどまる。また、バイドゥなどの中国系AIやオープンソースの海外AI(中国ではサービス提供されていないが、規制回避の技術を使って利用している)をカスタマイズ無しでそのまま使うAIツールを利用しているというケースもあわせると、その回答が70%を超えとなる。
つまり、AIを使っていることは事実だが、個人ユーザーと変わらないようなAI検索、スライド制作ツールや日報代筆ツールといったユースケースが相当含まれている。中国の高い利用率は既存サービスを「ツール」として使う、いわば「ライトな活用」によって牽引されている。企業の基幹システムにAIを深く統合し、業務プロセスそのものを変革するような「ヘビーな活用」は、まだ主流ではない。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のAIプロジェクト「NANDA」が発表したレポート『State of AI in Business 2025』には、欧米企業を対象としたAI導入調査が掲載されている。欧米企業は60%がカスタマイズしたAIモデルの導入、つまりヘビーな活用を検討していたという。
一口に「AIを活用しています」といっても、その利用実態は中国と欧米ではかなり質が異なっていたわけだ。
ただ、ヘビーな活用が正解というわけでもない。MITのレポートによると、カスタマイズAIの導入を検討した企業のうち、試行段階にまで進めたのは20%だけ。そして、AI投資に見合うリターンを得た企業は5%だけという衝撃の結果を伝えている。
既存のワークフローと合わない、自社業務の分析が不十分でシステム構築に失敗した……。AIに限らず、一般的なシステム更新でよく聞くような失敗理由があげられている。
その対策として、MITレポートは「Build(自社開発)ではなくBuy(購入)せよ」と提言している。外部の優れたAIツールを導入する、外部パートナーと連携するという手段だと、AI導入の成功率は2倍に跳ね上がるという。この提言とはすなわち、中国企業のメインストリームである「ライトな活用」に他ならない。中国の「とりあえず使う」戦略が、いまのところは正解に近いということだろうか。
出遅れた日本だが、追いかける立場には先行者が残した教訓という武器がある。AI利用率が「高い」「低い」と焦るのではなく、他国がどのような社会実装を進め、そして成功・失敗しているのか。より深いリサーチに取り組む必要がある。