【AFP=時事】2025年のノーベル化学賞受賞者の一人、米カリフォルニア大学バークレー校のオマール・M・ヤギ氏は、ヨルダンでパレスチナ難民の子として生まれた。幼少期は「騒がしい大家族」の中で、飼っていた牛と一部屋を共有する静かで勉強熱心な子どもだったという。
受賞会見に臨んだヤギ氏は、そのような人生の歩みがあったからこそ、ノーベル賞受賞のニュースはひときわ感慨深いものとなったと述べ、また自身を育んだ米国の公立の教育システムを称賛した。
会見でヤギ氏は、ドナルド・トランプ米大統領が国内の大学支援の長年の財源構造を見直そうとしていることに言及し、公的資金による教育と研究が自身のキャリアにおいて重要な役割を果たしたと強調。「今回の受賞は、私のように恵まれない環境や難民としての背景を持つ人々でも、公立学校で努力を重ね、自分を際立たせることができる――米国公立教育の力の証」と話した。
両親については「子どもたちとその教育にすべての時間を捧げた」と説明し、それを困難な状況から家族を引き上げる方法と見ていたと述べた。家には電気も水道もなく、父親は6年生までしか学校教育を受けられず、母親は読み書きができなかったという。
「私たちは他の多くの人が享受しているような便利さはあまりなかった。しかし、愛情と気遣いには恵まれていた」と続けた。
ヤギ氏は、日本の北川進氏と英国生まれのリチャード・ロブソン氏とともに、金属有機構造体(MOF)に関する画期的な研究で2025年の賞を受賞した。MOFは、二酸化炭素の捕捉や砂漠の空気からの水の収集など、さまざまな応用が期待されている。
1965年生まれのヤギ氏は、幼少期をヨルダンのアンマンで過ごし、15歳で米国に移住した。厳格な父親が息子に成功の機会を見出し、移住を勧めた。当時すでに、本で見つけた「理解不能だが魅力的な」画像に惹かれ、分子構造に夢中になっていたという。「それが分子であることを知る前に、私はそれらに恋をしました」ニューヨーク州北部のコミュニティカレッジに入学し、ニューヨーク州立大学オールバニ校で学位を取得。食料品を袋詰めしたり床を掃除したりして自活しながら学業に励んだ。その後、1990年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で博士号を取得し、いくつかの米国大学を経て2012年にバークレー校に着任した。【翻訳編集】 AFPBB News|使用条件