連載「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」では、海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。
今回のテーマは、「AI失業に立ち向かうために」です。ほとんどのAIスタートアップは「既存の仕事を奪う側」ですが、そこを逆手に取って「AI失業に立ち向かうソリューション」を提供することで、新たなビジネスチャンスをつかもうとする動きもあるようです。(聞き手・執筆:高口康太)
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NTTの島田明社長は日本経済新聞のインタビューで、5年後には業務の半分以上をAI(人工知能)が担うと話した。仕事がなくなった社員は配置転換し、解雇はしないと言うものの、ぞっとする話ではある。
米国ではすでにAIの進化に伴いホワイトカラーは失業が増え、給与が下がる職種もある。一方で配管・電気工事などAIができない仕事の報酬は相対的に高まっており「ブルーカラー・ビリオネア」なる言葉も生まれている。10年先、20年先でも「AIに奪われない仕事はなにか」という“問い”が今、世界の人々が頭を悩ませている 。
この問いにこそビジネスチャンスが隠されている。そう指摘するのは世界のテクノロジートレンドに精通する、台湾の投資家マット・チェン氏。皆に共通する悩み、すなわちペインポイント(社会課題)をこれだと見定めて、その解決に挑むスタートアップが登場しているという。
鄭博仁(マット・チェン、Matt Cheng) ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・ベンチャーズ)の創業パートナー。創業初期をサポートするエンジェル投資の専門家として、物流テックのFlexport、後払いサービスのPaidyなど、これまでに15社ものユニコーン企業に投資してきた。元テニスプレーヤーから連続起業家に転身。ジョインしたティエング・インタラクティブ・ホールディングス、91APPは上場し、イグジットを果たしている。
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地球に降臨したエイリアン=AI
――AI失業が現実味を帯びてきています。
マット・チェン(以下、M): 5年前ならば考えすぎだと笑われていた話ですが、あっという間に現実になりました。米国のビッグテックは相次いでリストラを発表しています。報道によると、アマゾンは先日、管理職を含む1万4000人以上の削減を発表しています。マイクロソフトも今年に入り1万5000人以上を解雇。テック企業だけでありません。物流大手のUPSや小売大手のターゲットもホワイトカラーの削減を進めています。
AI失業の脅威に現在、直面しているのは「中流階級のホワイトカラー」です。知識経済の中核を担っていたエンジニア、人事マネージャー、プロジェクト管理者がAI失業の矢面に立たされているのです。
数ヶ月前に、ある若い起業家とAIの未来について話していた時のことです「もし宇宙人が地球に攻めてくるとしたら、彼らは宇宙船に乗ってやってくるのではない。大言語モデルとデータ、そして計算能力(コンピューティングパワー)を通じてクラウド上で誕生し、人工知能という形で現れるだろう」と話していました。
――電子生命体として地球に降り立つ、と(笑)。まさにSF的なアイデアですが、今だとリアリティがありますね。
M: 最初は私も笑いましたが、ジョークではないと考え直しました。
AIは過去のテクノロジーとは異なります。馬車から自動車へ、蒸気機関から電力へ、紙とペンからコンピュータへ、過去100年の破壊的テクノロジーはすべて、人間を「より効率的にするための道具」でした。
しかし、生成AIは違います。たんなる効率化ツールを超えて、人間の思考、設計、創造を直接「代替」する可能性があります。人間よりもはるかに速く知識を吸収し、低コストでインサイトを生み出し、自律的に最適化していく。歴史上初めて、テクノロジーが人間の「補助」から「競争相手」へと変わったのです。
AIで就職氷河期が再来?
――もっとも、AIが得意な仕事はまだ分野が限られています。現時点で一番得意なのは、プログラミングや資料作成などのオフィスワークですよね。
M: そのとおりです。AIによって、これまで5人のコンピューター・エンジニアが必要だった仕事が2人で済むようになりました。資料作成に必要なデータ集めや図表の作成も一気に効率化されました。
こうして過剰人員の削減が始まったのです。給料の高い中堅エンジニア、あるいはまだ経験を積んでいない新人が解雇の対象です。住宅ローンの返済や子育てでお金が必要な世代がAI失業の波に直面しているのです。
また、見えづらいのが若者たちの「キャリアの入口」が失われたことです。新卒社会人は即戦力ではありませんが、失敗しながら学び、成長していきます。しかし、AIは下働きの仕事を一瞬でこなしてしまいます。企業からみればコスト削減ですが、労働者から見ればキャリアのとっかかりが失われてしまったのです。
AI大手アンソロピックのダリオ・アモディCEOは、5年以内に新卒社会人が受け持っているオフィスワークの50%は消失すると予測しています。
――確かに、AIを使って片付けたほうが楽というシーンは増えていますね。私のような物書きでもそうです。ちょっとした図表の作成や写真の加工などは人にお願いするのも面倒。AIを使って自分でやったほうが気楽だし手早いですね。
日本ではバブル崩壊直後に大学を卒業した人々を氷河期世代と呼びます。若者の雇用が激減し、キャリアの第一歩を始められなかった人が多かったためです。あるいは今後、AI氷河期世代が登場するのでしょうか。
M:その可能性はあります。ただ、社会課題(ペインポイント)にチャンスを見いだすのが優れた企業家です。そこで注目すべきコンセプトが「ミラー・マーケット」です。
AI経済には2つの側面があります。企業がAIを導入してコストを削減する「効率化マーケット」がある一方で、その逆には自動化によって職を失い再起を必要とする人々のための「人間のためのマーケット」が生まれます。つまり、AIが労働コストを1ドル節約するたびに、社会の底流では1ドル分の「再就職支援ニーズ」が生まれるという鏡像のような関係性です。
マッキンゼーの予測 では、2030年までに全世界の労働者の14%に相当する、3億7500万人が再訓練や転職を迫られるといいます。これは巨大な市場です。
――リスキリング(学び直し)ですね。ただ、eラーニングや職業訓練はすでにありふれているのでは。
M: 既存のシステムは「学べば仕事が見つかる」という前提に基づいています。しかし、AI時代にはその前提が崩れているのです。必要なスキルは毎日変わります。ChatGPT登場直後を思い出してください。AIを有効に使うためにどんなプロンプトを入力するべきかという、プロンプトエンジニアリングがもてはやされましたよね。ですが、AIの性能向上に伴ってもう、すでにそれも陳腐化しているのでは。
スキルの陳腐化の速度が人の学習速度よりも速い今、従来の教育やマッチングでは追いつきません 。必要なのは、単なる知識の提供ではなく、「不合格」の烙印を押された人間を「合格」へと再起動させるための、新しいインフラです。
この難題に挑んでいるのが、私が注目しているアメリカのスタートアップ「Inference.ai」です。
ミラー・マーケット活用の実践例
――以前にも紹介していただいた企業ですね。使われていないGPUのマッチングというビジネスを提供するスタートアップとのことでした。
M:彼らが新たに開発したサービスは、いわば「AI時代の人間のための自動車教習所」です。独自のGPU分割技術(fractionalization)を活用することで、高価なGPUサーバーを仮想的に分割し、何千人もの受講生が同時に、低コストで「本物の」AI開発環境を利用できるようにしました。
市場の求人データをリアルタイムで分析して必要なスキルを特定した上で、受講生はまさに今、必要とされているスキルを、実際のGPU環境を使ってモデルのデプロイや機械学習のタスクというトレーニングを積めるのです。
さらに面白いのが、トレーニングの仕上げに行われる「AI面接官」による審査です。
――AIが面接をするのですか。
M: 従来の採用プロセスで最も非効率だったのは、技術がわからない人事担当者(HR)による最初のスクリーニングでした。Inference.aiのAI面接官は、実際の職務に必要な技術的質問を投げかけ、候補者の能力を正確かつ公平に判定します。
AI面接をくぐりぬけた応募者は一定のスキルを持っていることが保障されています。企業はいわば干し草の山から針を探すように、山のような履歴書から人材を探す必要がありました。当然、その中では本当は必要な人材なのにその存在を見逃していることもあったでしょう。AI面接官の活用によって、確実にスキルを持った人材だけと会って、選抜することができます。
――なるほど。AIに仕事を奪われた人が、AIに教育、評価されて新たな仕事を得るという流れですね。
M:AIを効率化とリストラのために使うのではなく、新たな雇用を生み出すために使うアイデアというわけです。まだ、あまり宣伝されていない新しいサービスですが、すでに数千人のユーザー・コミュニティを形成するほどの注目を集めています。行き場を失ったエンジニアたちがどれほど切実に「再起の道」を求めているかの証拠でもあります。
――AIというエイリアンの侵略に、AIで立ち向かうのは面白い発想です。
M: 破壊的イノベーションの普及を押し止めることはできません。仕事が奪われるからといって、AIの発展を止めようとしても無理です。ですが、発展は止められないとしても、AIとどう向き合うかを決めることはできます。
先ほど、AIには「効率化マーケット」と「人間のためのマーケット」があるとお話しました。現在のAIは上位数%の人材をさらに有能にし、生産性を高めるツールばかりです。残された世の大半の人を救うソリューションが圧倒的に不足しています。「効率化マーケット」と「人間のためのマーケット」この2つは論理的には同規模になります。となれば、プレイヤーが少ない「人間のためのマーケット」にはより大きなチャンスが潜んでいると言えます。ここに次のユニコーン企業が生まれるチャンスがあると確信しています。
AIに脅かされた人類のために、AIの力を使って人類の生存の道を探る。それこそがAI経済の真の勝者が目指すべき道なのです。
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AIが発展した後、人間は何を為すのかは重要なテーマだ。オープンAIの創業者、サム・アルトマンCEOは、ベーシックインカムとして仮想通貨を配布するワールドコイン構想を提唱していた。
ただ、仕事とはたんに金を稼ぐための手段ではなく、人間が尊厳を保つためのツールでもある。AIが働くので、人間はなにもしないでいいという社会が持続可能とは思えない。急激に変化するAIの時代において、どのように新たな人間の居場所を作るのか。この課題から見ると、Inference.aiのアプローチは注目に値する。
AI普及に合わせて拡大するミラー・マーケット。そこに存在する社会課題の解決には多くのビジネスチャンスが潜んでいる予感がした。
