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一般民間人の“快適性”を追求する研究が進む 〜「第7回宇宙シンポジウム」講演より〜

東京理科大学スペースシステム創造研究センター主催「第7回宇宙シンポジウム」の登壇者

東京理科大学スペースシステム創造研究センター主催「第7回宇宙シンポジウム」の登壇者

 現在運用中のISS(国際宇宙ステーション)は、いまのところは2030年に運用を終了する予定だが、それ以降も地球低軌道上には民間の商用宇宙ステーションや宇宙ホテルなどが建設され、さまざまな経済活動が行われるようになると言われている。

 もちろん、そのために越えなければならない壁がいくつもある。特に大きな課題とされているのが、特別な訓練を受けた宇宙飛行士ではなく、一般民間人が、宇宙空間で過ごすための生命維持装置や快適な環境をいかに確保するかだ。

 現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)や大学の研究機関などで、こうした課題の解決に向けた研究開発が進められている。その鍵となるのが、宇宙の閉鎖空間における生命維持・環境制御システム「ECLSS:エクルス(Environmental Control and Life Support System)」と、「宇宙QOL(Quality of Life)」という考え方だ。

 2026年3月2日に、東京理科大学 野田キャンパス(千葉県野田市)において、東京理科大学スペースシステム創造研究センター(SSI)による「第7回宇宙シンポジウム」が開催された。その中で、JAXAの伊妻ディラン駿氏と、早稲田大学 理工学術院 創造理工学部 経営システム工学科教授の野中朋美氏が登壇し、「ECLSS」および「宇宙QOL」に関する講演を行った。

JAXAが研究開発する「ECLSS」とは

 伊妻氏は「月・火星探査を目指した生命維持・環境制御技術の研究開発と今後の宇宙探査について」と題した講演を行い、JAXAが行っているECLSSの研究開発について解説した。

登壇中の伊妻氏
登壇中の伊妻氏

 現在日本は、米国主導の月探査プロジェクト「アルテミス計画」において、宇宙服を着用せずに滞在できる月面探査車「有人与圧ローバー」や、月面探査の中継基地である「月周回有人拠点(ゲートウェイ)」の国際居住棟「I-Hab」の開発を担当している。

 これらの地球から遠く離れた閉鎖環境施設で、人間が長期間生きていくための、省メンテナンスかつ高再生(資源循環型)な生命維持・環境制御装置群が「ECLSS」と呼ばれるものだ。

「たとえば体重82kgの宇宙飛行士の代謝を考えると、消費する酸素が1日に約800g。食料が約1500g、飲料水は約2500gです。これらを消費すると、体から排出されるのは二酸化炭素が約1000g、水蒸気が約2000g、そのほかに尿や便などいろいろなものが出てきます。(宇宙では)これを地上のようにトイレで流して……。とはいきません。この“イン”と“アウト”をどうにか循環させないといけない。そのためのシステムがECLSSと呼ばれるものです」(伊妻氏)

 伊妻氏によると、このECLSSは「コアECLSS」と「再生ECLSS」の2つにわかれているという。コアECLSSは、生命維持に最低限必要となるシステムで、全圧分圧制御システムやCO2除去システム、温湿度制御システム、人間の体から微量排出される有毒ガスを排除する微量有毒ガス除去システムなどが該当する。もうひとつの再生ECLSSは、地上から一度輸送した物質を効率よく循環させるための装置で、水再生システムや酸素製造システム、CO2還元システムなどがこれにあたる。

 ではECLSS開発はどういった状況にあるのか。現在JAXAでは、水再生システムやCO2除去システム、温湿度制御システムをISS内で実証しており、全圧・酸素分圧制御システムや宇宙トイレ、有毒ガス除去システムなどは、月周回有人拠点の「ゲートウェイ」や、有人与圧ローバー(ルナクルーザー)開発の中で実証予定とのこと。また、そのほかの酸素製造システム、CO2還元システムなどは地上で研究中だという。

 一見、さまざまなシステムが順次開発されているように見えるが、実は「NASAや中国、ロシアに比べると後れをとっている」状況で、国内の民間企業と協業しながら、今後さらにこの領域の研究開発に注力していくとのことだ。

「宇宙QOL」向上を目指す研究がスタート

 野中氏は「一般民間人宇宙滞在に向けた人間中心アプローチによる宇宙QOL研究開発」と題した講演の中で、もうひとつのキーワードである「宇宙QOL」に関する新たな取り組みを紹介した。

登壇中の野中氏
登壇中の野中氏

「宇宙QOL」とは、近年、地上において生活の質(Quality of Life)を大切にする考え方が浸透してきたように、宇宙滞在においても生活の質の向上や、快適さを追求する。この考え方が生まれた背景には、冒頭にもお伝えした、ISSの運営終了以降に、地球低軌道での経済活動が民間に開かれていくことがある。

「一般の方々が、宇宙で健康で快適に滞在(旅行)する時代が目の前に迫っています。宇宙環境には(地上のように)空気や水が潤沢なわけではありません。過酷な環境の中で、一般の方々の滞在をどう支えるか、というところに大きな課題があります」(野中氏)

 野中氏によると、既存のECLSSを利用している現在運用中のISSの閉鎖環境空間は「二酸化炭素濃度は地球(快適に過ごせる状況)の約10倍、4000ppmほどある」。

「これは長時間いると健康被害が出るレベルです。宇宙飛行士は、そもそも訓練をされ、かつそういったところでもミッションを遂行できるような方が選抜されています。しかし我々(一般民間人)は、特別な訓練をせずに、こんな過酷な中でもビジネスをしたり、余暇を過ごしたりといったさまざまな活動をしたいという思いがあります」

 こうした課題を解決するため、早稲田大学が慶應義塾大学、東京理科大学、東京女子医科大学らとともに開始したのが、一般民間人の健康や快適な宇宙空間の滞在を実現するための宇宙QOL向上を目指した研究だ。

「個体差」を前提とした快適性の設計・支援

 野中氏らの宇宙QOL向上を目指した研究は、JAXAの「宇宙戦略基金『SX-CRANE』」に採択を受けたもので、十分な訓練を経ずに滞在する一般民間人の視点から、認知・感覚・生理反応に基づく人間中心のアプローチによりQOL向上を目指すという。

 同研究のポイントとなるのが「個体差」だと野中氏は強調する。職業宇宙飛行士の場合、選抜と訓練によって、「生理的・性格的な個体差を縮小したうえで宇宙に滞在する」。しかし、訓練を行わない一般民間人の場合は、こうした個体差があることを前提にしたうえで快適性を設計・支援する必要があるからだ。

 さらにもう一点、野中氏らが着目しているのが、宇宙環境が人体に与える影響だ。現在、想定されている一般民間人の宇宙滞在期間は、1週間から1カ月ほど。そのくらいの滞在期間では、人の身体の「平衡感覚」と「体液シフト(自律神経の影響)」の順応ができず、滞在期間を通して「非常に辛い時期」が続くことになってしまう。そこで、まずはこれらから生じる「宇宙酔い」の緩和と「(筋肉、精神/脳、神経への影響を含めた)体力維持」をファーストターゲットに掲げ、研究開発を進めていくという。

 なお、野中氏らの研究拠点では、こうした研究開発以外にも、宇宙QOLの指標となる「QOLスコア」も開発するほか、研究開発の成果を非宇宙分野の企業の技術と結びつけ、「宇宙QOLアイテム」群と呼ぶ製品やサービスの開発にもつなげていくとのことだ。

 単に安全に到達するだけでなく、人が健康かつ快適に宇宙に滞在できることを目指す研究が、いよいよ本格的にスタートした。野中氏がいうように、その成果がうまく企業の経済活動に結びつけば、ユーザー側の気運も醸成されるだろう。宇宙産業のより一層の盛り上がりを期待したい。

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有限会社ガーデンシティ・プランニングにてライティングとディレクションを担当。ICT関連や街づくり関連をテーマにしたコンテンツ制作を中心に活動する。