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連載「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」では、海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。
今回のテーマは、「 “真”のAIエージェント確立の条件」です。一々指示を与えずとも、AIが独自にタスクを進めていくAIエージェントが急激に成長しています。この勢いはどこまで続くのか、さらに上のステージに達するための技術的な条件とはなにか。世界のテック・トレンドに精通する台湾の投資家マット・チェン氏に聞きました。(聞き手・執筆:高口康太)
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「OpenClaw(オープンクロー)は、次のChatGPTだ」米国エヌビディアのジェンスン・ファンCEOは3月、メディアインタビューでこう語った。オープンクローとは、オープンソースのAIエージェントだ。24時間オンライン状態にあり、ユーザーがメールやメッセージアプリで指示すると、メール送信、予定調整、ウェブ操作、フォーム入力といった作業を代行する。従来のチャット型AIが「質問に応えるツール」だとすれば、オープンクローは「実際に働くツール」。2025年末にリリースされると、たちまち爆発的な人気となった。世界のエンジニアが熱狂しているだけでなく、流行り物が大好きな中国では一般市民の間にもオープンクロー・ブームが広がり、アリババやテンセントなどのIT大手もオープンクロー系の製品を打ち出している。
私は中国の経済、テックを中心に取材しているので、毎日のようにオープンクロー関連のニュースを目にしてその勢いを感じているのだが、日本ではたいした話題になっていないことに驚かされる。
日本がAIトレンドにあまりに鈍感なのか、それとも中国があまりに興奮しすぎなのか。世界のテクノロジートレンドに精通する台湾の投資家マット・チェン氏に聞いてみた。
鄭博仁(マット・チェン、Matt Cheng)ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・ベンチャーズ)の創業パートナー。創業初期をサポートするエンジェル投資の専門家として、物流テックのFlexport、後払いサービスのPaidyなど、これまでに15社ものユニコーン企業に投資してきた。元テニスプレーヤーから連続起業家に転身。ジョインしたティエング・インタラクティブ・ホールディングス、91APPは上場し、イグジットを果たしている。
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――オープンクローの勢いがすさまじいですね。
マット・チェン(以下、M):周囲のスタートアップ起業家は、みんな「ザリガニ」を飼っています(笑)。ネットスラングでは、オープンクローはザリガニと呼ばれています。複数のオープンクローを動作させていて、AI同士が会話して進捗を調整しているという、SF的な場面も珍しくありません。
また、ある経営者の見せたパフォーマンスはなかなか強烈でした。火鍋の食事中にAIに命じ、その場で「火鍋用タイマーアプリ」を作成させたのです。「薄切り羊肉は10秒、つみれは1分……」といった具合に、具材ごとに最適な加熱時間が違うので、それを提案してくれるというアプリです。
オープンクローを含むAIエージェントは、もはや仕事でも生活でも、それこそ食卓においてでも、欠かせない存在になっていると言えます。ただし、「使いこなせる人にとっては」という条件がありますが。
――ハードルが高いのですね。
M:導入にもそれなりの知識が必要なほか、セキュリティ上の弱点が多いので、危険です。さらにAIが勝手に行動した結果、思わぬ被害が生じるということもあります。
今年2月、メタのAIセキュリティ研究者のサマー・ユエ氏は「オープンクローの誤作動で古いメールを全部消されてしまった」とSNSでつぶやき大きな話題となりました。Metaをはじめとする米IT大手の中では社員の利用を制限する動きが広がったと報じられています。
――プロ中のプロですら失敗するとなると、ちょっと手を出しづらいですね。
M:いまだに注目度は高いのですが、セキュリティ面の不安で、水を差されたことは否めません。さらにオープンクローを動作させるには他のAIを組み込む必要があるのですが、アンソロピックが、サブスクリプションプランの適用対象からオープンクローなど第三者ツール経由の利用を除外しました。従量課金で使うことは可能ですが、それなりに料金がかかります。
サブスクは割引料金でAIを動作させるパッケージですが、オープンクローによってフル活用されると(AIの提供側が)大赤字になると判断したのでしょう。また、アンソロピックはオープンクローと似た使い方が可能な「Claude Cowork」を発表しており、自社サービスへの誘導を狙った側面もあります。
ともあれ、アンソロピックがサブスクでのオープンクローを禁止したことによって、このコストではとても使えないと、「ザリガニを野生に返す」というトレンドもできました(笑)。たんに「利用をやめる」という意味ですが。
――AIが自動で作業してくれるのはありがたいですが、知らないところでミスを犯す可能性がでてくる。AIに間違いは付き物と考えると、恐いですね。
M:正直に言えば、本当の意味でのAIエージェント時代はまだ到来していないとみています。根本的な問題が2つあるからです。
第一に「記憶」。今のAIエージェントはみな忘れっぽく、古い会話の記憶を新しい会話に引き継げませんし、同一の会話でも長引けば過去の記憶を失ってしまいます。適切な記憶を持てるようになれば、AIエージェントの性能は飛躍的に向上します。
米国データインテリジェンスプラットフォームのDatabricksの研究によると、ユーザーの会話記録数十件からAIエージェントの「記憶」を作成したところ、作業の正解率が2.5%から50%以上に向上しました。こうした「記憶」の仕組みの開発に多くの企業が取り組んでいますが、現時点ではまだ解決されていません。
第二の課題は「信頼」です。企業がエージェントに本当に重要な仕事を任せられるかどうかは、「エージェントの全行動が可視化されているか、問題が起きたら即停止できるか」にかかっています。
しかし、現実は厳しい。AIエージェントのセキュリティに取り組むスタートアップ「Zenity」の調査によると、47%の企業が過去1年以内にAIエージェント関連のセキュリティインシデントを経験し、53%がエージェントの権限逸脱を「時々あるいはたまにある」と回答しています。また、AIエージェントのアクションを「誰が承認したのか」が不明瞭というケースも多発しています。
――解決の道は見えているのでしょうか。
M:この課題こそが「次の本当の競争」でしょう。すでに有望な企業が登場しています。
Meta出身のエンジニアが立ち上げた、シリコンバレーのスタートアップ「TensorBlock(テンサーブロック)」は、記憶と接続の問題に取り組んでいます。彼らが目指しているのはAIの「Twilio(トゥイリオ)」です。ご存知のようにTwilio(トゥイリオ)を使えば、電話、SMS(ショートメッセージ)、ビデオ通話、メールなどの機能を、アプリケーションに簡単に組み込むことができます。「アプリログイン時にショートメールで認証」「予約確認のリマインダーを自動通知」「電話での自動案内システム」などの機能が簡単にアプリに追加できます。
TensorBlockは500以上のモデルやツールを連携させ、タスクやプラットフォームをまたいでも記憶を維持し続けられる環境の整備を目指しています。AIエージェントは、複数のAIモデルを組み合わせて作るケースが多いのですが、モデルを切り換えても「記憶」を保持できるような将来を構想しているのです。いわば、複数のAIが協働する場、「さまざまなAIが働くオフィス」を作る試みです。
――グッと来るアイデアですね。今だと複数のAIサービスを活用する際、一から前提を説明する必要があるのは面倒です。
M:また、香港のスタートアップ「Terminal 3(ターミナル3)」は、信頼の問題に挑んでいます。創業者のGary Liu氏は、音楽サブスク「Spotify」の新製品実験室責任者、ソーシャルニュースサイト「Digg」の最高経営責任者(CEO)を経て、香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」のデジタルシフトを指揮した人物です。
20年のキャリアを経て取り組む課題は「AIエージェントの時代における身元と承認」です。AIエージェントがメールや書類を作成し、意思決定をした時、それは人間の承認を得たものなのか、それともAIの勝手な判断なのかを確認しておく必要があります。
Terminal 3はゼロ知識証明(Zero-knowledge proofs)という技術でこの課題に取り組みます。AIエージェントから情報を受け取った相手先企業は「この取引は条件を満たしている」という検証済みの証明書を受け取れます。すでに1000万人以上のユーザーがTerminal 3の企業向けサービスで自身のIDデータを管理するなど成長し、800万ドルのシード資金調達も完了しています。
――AIの責任なのか、人間の責任なのか、確認できるのは重要ですね。
M:AIエージェントの発展は驚異的なペースで進んでいます。利用されるツール自体の流行り廃りも早いでしょう。今日はオープンクロー、明日はClaude Cowork、明後日はまた別のツールといった具合に、です。
投資家目線から見ると、この状況で勝ち馬を見つけることはきわめて難しい。ただ、インフラは違います。流行のツールは代わっても、そのツールが利用しているインフラ自体には大きな変化はないでしょう。AIエージェント時代に長期的な価値を生み出すのは、最も賢いエージェントではなく、AIやエージェントがうまく稼働するための「インフラ」を作る企業ではないでしょうか。
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私は最近、「ワークフローにAIを取り込まないと、落ちこぼれてしまうのではないか」という焦りと、「めまぐるしく流行を追いかけ続けていたら、仕事する時間がなくなる」という現実の板挟みに苦しんでいるのだが、マットさんの投資家目線での整理は明快だ。
私たちユーザーにとっても、どの段階で手を出すべきなのか、何が勝ち馬となるサービスなのかを見極める指針になりそうだ。「今の時代、AI使いこなせていないなんて」という煽りに動揺せずに生きていくために貴重なヒントをもらった。