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アーティストの声の権利を守る「エルビス法」 生成AIと向き合う米国音楽業界

 生成AIが作り出すものは、文章(テキスト)だけではない。音楽や静止画や動画も巧みに生成することができる。便利だが、すでによく知られているように、権利侵害の問題があり、さまざまなジャンルのクリエイターたちが危惧を表明している。

 映画業界では、昨年(2023年)にハリウッドの脚本家や俳優の組合が、ストライキに訴え、AIの利用制限に関しての暫定的な合意を取り付けたことは記憶に新しいが、音楽業界も深刻な問題に直面している。

 直近の課題としては「声」の無断使用だ。世界的にも有名なテイラー・スイフトやビヨンセなどの声を使って生成AIで音楽を作成する、そんなサイトやアプリが全米で広まっている。音楽業界はどのような対策を取ろうとしているのか。

自分の“声”を守る

クリス・クラークさん(左から2番目)
クリス・クラークさん(左から2番目)

 アメリカ音楽の聖地として知られるテネシー州メンフィスにあるスタジオには50人近くの見学者が集まり、ソウル・ミュージックのライブ演奏に合わせて体を動かしていた。その前で熱唱しているのは、グループバンド「926」のボーカルをつとめるクリス・クラークさん(21)だ。

 作詞作曲も行うクリスさんは、生成AIに対しては複雑な気持ちを抱いているという。

「すべてのミュージシャン、作詞作曲家、アーティストは自分の声を使って歌う権利があります。もし自分たちの声が守られなければ、こうして生演奏をする意味があるでしょうか?」とクリスさんはライブ後に語った。

 作詞する際には、ChatGPTなどの生成AIサービスを利用したことがあると認めつつも「歌声はミュージシャンのオリジナルのものであり、AIが勝手に利用するのは盗用にあたる」と強い危機感を抱いている。

 このような危機感を抱いているのはクリスさんだけではない。今年4月にはスティービー・ワンダーやビリー・アイリッシュなどの著名歌手を含む200名以上のアーティストたちが、音楽を制作する際のAI利用に懸念を示す抗議文に署名をし、オンラインで公開している。

生成AIによる声の使用を制限する「エルビス法」とは

メンフィスにあるエルビス像
メンフィスにあるエルビス像

 AIに対する不信感が音楽業界でも高まるなか、アメリカ南部のテネシー州で全米初となる生成AIによる声の無断使用を規制する法律「ELVIS(エルビス)法」が7月1日に施行された。

 この法律の正式名称は「Ensuring Likeness Voice and Image Security Act(肖像・声・写真の権利を保護する法)」。頭文字をとると、テネシー州とゆかりの深いエルビス・プレスリーの名前となることから「エルビス法」と呼ばれている。

 州都ナッシュビルの弁護士事務所Adams and Reese LLPで著作権や商標関連の訴訟を扱い、人工知能(AI)を専門に扱うチームを率いている好川仁弁護士によると、今回のエルビス法はこれまで州法で定められていたパブリシティー権に「声」という要素を追加した画期的な法律だという。

「これまでテネシー州にはパブリシティー権というのがありまして、たとえば肖像権なり、自分の名前や写真を無断で、商業目的で使用されることが規制されていたのです。このエルビス法が制定されることよって、それに加え『声』も無断・無許可で使用することができないことになりました」

テネシー州で弁護士を務める好井仁氏(本人提供)
テネシー州で弁護士を務める好川仁氏(本人提供)

 エルビス法は、個人の名前や写真、声などを本人の許可を得ずに無断で使用することを禁止すること以外にも、それらを「無許可で生成することを主な目的としたアルゴリズム、ソフトウェア、ツール、もしくはその他のテクノロジーやサービスを配布、配信、提供する」行為自体を禁じている。

 さらに、その責任は無許可で他人の声を生成した個人や会社だけでなく、技術提供者にも及ぶとしている。同法に違反した場合には、最大2500ドル(約36万円)の罰金が科されるほか、民事訴訟の対象にもなりうる。

 また、好川氏によると同法はテネシー州以外でも適用される可能性があるという。

 たとえばテネシー州在住のミュージシャンが、自身の声を無許可で使用された場合に、被告側の会社や個人が州外にあったとしても、被害をテネシー州で被ったと認められれば、同法が適用される可能性があるとしている。また、それは日本などのアメリカ国外においても同じことが言えるだろうと同弁護士は指摘する。

オンラインインタビュー中の好井弁護士(左)と筆者
オンラインインタビュー中の好川弁護士(左)と筆者

アーティストにフェアな報酬を

「AIが他人の声や、その人独自の音をそっくりに真似することができ、その違いが分からないほど進化しているのを目の当たりにし、(音楽で)生計を立てているアーティストたちを守らなければならないと思いました」

 そう語るのは、メンフィスにあるスタックス・アメリカンソウル博物館を運営するソウルズビル財団のパット・ミッチェル・ウォーリーCEOである。

スタックス・アメリカンソウル博物館
スタックス・アメリカンソウル博物館

 同財団はかつてスタックス・レコードとして米南部におけるソウル・ミュージックの発展に大きな役割を果たしたレコード・レーベルであるが、今回のエルビス法の成立に他の音楽業界関係者たちと積極的に関わってきた。

生成AIに蝕まれる音楽業界

 テネシー州は、エンターテイメント産業が盛んなニューヨークやロサンゼルスのあるカリフォルニア州を抜いて、州人口における音楽関係者の割合が全米で最も高いとされている。ウォーリー氏によると音楽業界が「テネシー州の歴史だけではなく、経済の大きな部分を担っている」という。今年3月のテネシー州の発表によると、州内における音楽産業は6万人以上の雇用を支え、年間58億ドル(約8400億円)の収益を生み出している。

 今後、生成AIサービスなどがアーティストの声を無許可で使用することが広まると、本来ならばアーティスト本人に入るはずの収入が他者に流れてしまう。このことに対し、多くの音楽関係者たちが危機感を募らせていると同氏は語る。

 ドイツを拠点とする調査会社Goldmediaが今年2月に発表した報告書「AIと音楽」によると、生成AI市場における音楽部門の収益は全世界で2023年には3億ドル(約430億円)ほどであったが、2028年には10倍以上の31億ドル(約4500億円)まで成長すると予測している。

 一方で、この報告書によると音楽制作に関わっている人たちの収益はAIの影響により、2028年までに27%減少するとの予測も発表している。

 危機は経済的な面だけではない。ウォーリー氏は、AIではない本物の音楽はアーティストと聞き手の間に『感情のつながり』を作り出すことができると強調する。それは、ちょうどレストランに行って、本物の料理とそれに似せた料理を食べ比べるようなものだという。

「人間には、本物とはどういったものかと知りたいという先天的な欲求があるのです」(ウォーリー氏)

パット・ミッチェル・ウォーリーCEO
パット・ミッチェル・ウォーリーCEO

規制と創造力のバランスを

 ウォーリー氏は、アーティストたちの権利を守るためAIの規制に賛成する一方で、創造力とのバランスも重要だとしている。現代のミュージシャンにはあらゆる収入源の確保が必要だとしつつ、生成AIなどのテクノロジーは道具にすぎず、「有益な使い方もできれば、産業を潰すものにもなり得る」とも指摘する。

「AIの普及は続き、利用は広がる」そうした前提でミュージシャンの利益を守りつつ、生成AIを有効活用しようと試みる音楽系スタートアップの1つがVoice-Swap(ボイス・スワップ)である。

 イギリスを拠点とする同社は、2023年7月に2人のアーティストが「倫理的なAI」をかかげて設立した。

 以前は「DJ Fresh」として自身も音楽活動をしていたダン・スタインCEOは「音楽業界がアルゴリズムに取って代わられるのを」目の当たりにし、自身は音楽活動を辞め、AIを取り入れた音楽サービスの開発に乗り出した。

「(ミュージシャンの声を)AI企業が無許可でデータとして使用しているのを見て、非常に心配になりました。音楽プロデューサー兼エンジニアである私のパートナーと出会った時に、『第一に音楽、そして第二にAI』という信条をもとに、現在のボイス・スワップを立ち上げたのです」とスタイン氏は語る。

 ブラウザーをベースにした、同社のAIサービスの使い方はいたって簡単だ。ユーザーは、自身が作曲した楽曲を自分で歌い、音声としてアップロードする。次にその曲を、あらかじめ許可を得て登録されているミュージシャンの声に変換すればできあがり。

 このサービスを利用して、プロの歌手の音声を使ったデモ曲の作成や、コーラスなどを入れるなどオリジナル曲の補助にも使うことができる。同サービスはサブスクリプション制で、音声データの使用量によって月に6.99〜39.99ポンド(約1300〜7600円)が課金される。スタイン氏によると、売上の半分は声を提供したアーティストたちに支払われるという。

「当社が、アーティストたちや音楽業界を傷つけずにAI企業が利益を生み出すことが可能であることの規範になれればと願っています」とスタイン氏は語った。

さらなる課題も

 このように、歌声の所有権を守りつつ、同時に利益も追求する責任のあるAI企業が登場しているものの、アーティストから声の利用の許可を得て、利益を還元するだけでは問題の解決にはならないとスタイン氏はいう。

 同氏によると、現在のAIの最も重要な問題点は、音楽業界に限らず、生成AIを開発するための大規模言語モデル(LLM)が無許可でデータを使用することにあり、それを防ぐためすべての音声データなどをライセンス化しなければならないと強調する。

 また前述の好川弁護士は、AIで作成された声がどこまで似ていれば「その人の声を真似た」といえるのかという問題を指摘する。さらに、歌手のモノマネや歌のパロディーなど表現の自由との関連で規制が難しい点も上げている。

 現在アメリカでは、オープンAIや提携するマイクロソフトを相手取り、有力紙のニューヨーク・タイムズや地方紙などが「AIに学習させるために著作権で保護されている記事を許可なく使用された」として訴訟を起こしているが、今後その結果がエルビス法やその他のAIを規制する法律に影響を与えるだろうと好川氏はみている。

 生成AI技術が急速な発展を遂げるなか、世界中でそれを規制するための法整備も急ピッチで進められているが、「責任あるAI」を取り入れて、アーティストたちの権利を守りつつ、創造性を伸ばす取り組みが必要だと強く感じられた。

Written by
ニューヨーク在住フリージャーナリスト。米首都ワシントンのアメリカン大学国際関係学科を卒業後、現地NGOジャーナリスト国際センター(ICFJ)に勤務。その後TBSニューヨーク支局での報道ディレクターの経験を経て、現在フリージャーナリストとして日本とアメリカで活動中。東京都出身。