「第5回 XR・メタバース総合展 夏」にて。「医療系メタバース研究の最前線。メタバースは医療革新に貢献できるか」の講演の様子
インターネット上の仮想空間で、アバターを利用しコミュニケーションを行うメタバース。すでに自治体や商業施設などさまざまな領域で導入されているが、近年は医療の現場でも活用が広がっている。
2025年7月2日〜4日に、東京ビッグサイト(東京都江東区)にて「第5回 XR・メタバース総合展 夏」が開催された。その中で、公立大学法人 横浜市立大学 研究・産学連携推進センター教授の宮崎智之氏と、岡山大学 学術研究院医歯薬学域 医療情報化診察支援技術開発 講座 教授の長谷井嬢氏と、モデレーターとして株式会社ゆずプラス(公立大学法人 横浜市立大学 研究・産学連携推進センター 特任助手)の水瀬ゆず氏が登壇。「医療系メタバース研究の最前線。メタバースは医療革新に貢献できるか」と題した講演を行い、医療現場におけるメタバース活用の事例を紹介した。
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)採択のプログラム「若者の生きづらさを解消するシステム形成」に取り組む宮崎氏は、精神科に通う若者や子どもの支援にメタバースを活用する事例を紹介した。
宮崎氏によると、精神科に通う若者や子どもは以下のような課題を抱えている。ひとつ目が「心理的な障壁」だ。精神科の病院に行くことは、大人にとっても簡単ではないが、子どもにとってはさらにハードルが高い。さらに悪いのは、精神科診療への理解不足が、受診遅延につながることだ。早いタイミングで受診すればカウンセリングだけで治るのに、症状が進行してしまってから病院に行くと、抗うつ薬を使ったり、入院が必要になってしまったりするケースが非常に多いという。
2つ目が「物理的障壁」だ。そもそも精神科は数自体が少なくリソース不足が深刻化しているという。たとえば、宮崎氏らが連携する和歌山県においても、治療のために遠距離通院する患者が多い。
さらに3つ目として挙げたのは「支援サービスの“包括性”が実現していない」ことだ。若者や子どもを対象とする行政サービスや相互交流の場を提供する支援サービスなどは多数存在するが、現時点ではそうしたサービスは連携されておらず、たとえばサービスを受けるたびに同じ診療情報を繰り返し提示しなければならない。
「これらの課題の解決に、メタバースは非常に有効ではないかと我々は考えています」(宮崎氏)
特にアバターを使うことによる「匿名性」や、身体・場所・時間に捉われずに参加できる「拡張性」、音声データから心理状態を分析するなどの「創造性」(他技術との連結性)が高いことを挙げ、こうしたメタバースの特徴が「精神科に通う若者や子どもたちの課題解決につながる可能性が高い」と説明した。
実際に宮崎氏らは2023年8月に、26名の患者(16歳〜25歳)に対してメタバース空間での精神医療相談を実施。参加者にアンケートを採り、その効果を検証している。
その結果、「VR相談の好意的受容」を示す患者は76%に上ったほか、医者側も7割近くが「VR環境でもある程度臨床評価が可能」との回答を得た。
「(患者側に)細かく聞いてみると、実際の医者に対面で会いたいが、最初のステップを踏むときには、いきなり医者ではなくて、こういったリラックスしてしゃべることができる対話環境が非常に有効といった言葉が聞かれました」
さらに宮崎氏は、発達特性が強く対人関係に困難を抱える若者の支援にメタバースを活用した事例も示した。そのひとつが、NHKが2024年10月に放送した「プロジェクトエイリアン」というドキュメンタリー番組での試みだ。
これは、児童精神科に通う若者3名がエイリアンのアバターを使い、仮想の宇宙空間でコミュニケーションするものだ。具体的な流れとしては、まず都市空間で出会い、宇宙船で先輩エイリアンの誘導によって自分たちの悩みや過去を共有したのち、月面上で自由に対話する。
その結果、シーンを経るごとに参加者の発語数やポジティブな発言が増えることに加え、孤独感尺度(UCLA-LS3)、レジリエンス尺度(RS-14)、抑うつ尺度(PHQ-9)という3つのスコアが全て改善し、特に抑うつ尺度については「ほぼ普通の人と同じぐらいにまで元気になった」という。
「メタバース空間でのバーチャルコミュニケーションによって、驚異的な改善を見ることができました。これらの数値を見ると、投薬などの一般的なカウンセリングだけでなく、こうした新しいコミュニケーションツールが患者さんに非常に有効であると感じられます」(宮崎氏)
続いて、整形外科で腫瘍を専門とする長谷井氏が、若者や子どもを対象とする「メタバースによる希少がん患者交流会」の取り組みを紹介した。
長谷井氏によると、希少がんの定義は「10万人あたり6人未満」であるとのこと。若者や子どもに限ると、さらに人数は減る。加えて、小学校、中学校、高校、大学と環境が目まぐるしく変わるため、年齢が少し違うだけで状況が大きく異なり「孤独を強く感じる」若者や子どもが多いという。
「自分の環境だけだと(話ができる人と)出会うことができない患者が多いので、日本中(の病院)をつないでいけば、どこかに自分と同じような患者と出会える可能性が出てくるだろうと。そんなコンセプトで始めたのがメタバース交流会の取り組みです」(長谷井氏)
2023年12月に「初めて入院中の患者さんが、病室からメタバース交流会の空間に入った」のを皮切りに、さまざまな希少がんの患者の交流会を長谷井氏は開催した。
特に大きな成果につながった事例が、ユーイング肉腫の患者同士の交流会だという。ユーイング肉腫とは脊髄などに腫瘍ができる非常に症例数の少ないがんで、長谷井氏によると「日本に一人いるかいないか」の割合だ。ところが、偶然にも、1歳差でどちらも脊髄のユーイング肉腫という患者がいたことで、メタバース交流会が実施された。
ひとりの患者は治療が終わった直後で、もうひとり患者はこれから治療を始める段階でコミュニケーションを取った。そのため治療後の患者から「副作用で下痢をするので、トイレットペーパーを持ち込んで対応した」「抗がん剤で独特のニオイが鼻につくので、困ったときはガムを嚙むといい」など、当事者ならではの実体験に基づいた情報が提供されたという。
「これがかなりポジティブな影響がありました。それまで(これから治療を行う患者は)こんな病気なのは日本で私しかいないと塞ぎ込んでいたのですが、同じ病気で治療を終えた人と話すことで、治療に立ち向かう元気を得たほか、モチベーションが非常に高くなるという結果につながりました」(長谷井氏)
このほかにも、メタバースを使うことで「(アバターによって)年齢差を感じずに交流でき、医療者と患者の距離も近づく」ほか、「普段の病室とは全く違う空間に入ることで、精神的にもポジティブな影響が出た」「(運動不足になりがちな患者の)リハビリへのモチベーション向上にもつながった」などさまざまな効果が見られると報告した。
講演の最後には「社会実装に向けた課題」などをテーマとしたディスカッションも行われた。その中で出てきた「医療関係者の間でメタバースに対する理解が進んでいない」という意見に会場の関心が集まった。
「医療従事者の中は、メタバースを“ゲーム”のように捉えている人もまだまだ多い」と宮崎氏は指摘。また、長谷井氏は「研究開発予算を得るための国研の審査に医療関係者が携わることが多く、メタバースと書くと、非常に低い点数がつけられることが少なくない」と苦笑した。
こうした状況を改善していくためには「我々プレイヤーではなく、むしろ患者さんや研究に参加してくれた人の声を、市民講座などを通じて世の中に伝えていくことが大事」と宮崎氏。長谷井氏は、まずは企業や自治体と協力して研究実績を積んだうえで、国のサポートを求めることが重要だと持論を述べ、社会実装に向けた強い思いを表明した。
医療の世界に新たな選択肢や可能性が生まれるのであれば、メタバースの活用は大いに歓迎すべきことだろう。まずは医療業界で理解が深まることを期待したい。