流通現場で店舗責任者を悩ませるのが「需要予測」だ。今日は何人ぐらいの客が来るのか、あるいはどんな商品がどれほど売れるのか。日持ちのしない食品を取り扱う現場ではさらに頭が痛い。予測を誤り、仕入が多すぎると破棄せざるを得ない。金銭的なロスはもちろん、食品廃棄にはきびしい視線が向けられる。逆に仕入を減らし過ぎて、売り切れてしまうと販売機会のロスとなる。大手流通現場に向け、ITベンダー各社は競うように精度の高い需要予測のAIシステムを売り込んでいる。
しかし、そのシステム構築には高額な投資と設備、要員が必要なこともあり、規模の小さな店舗での導入は難しい。街のパン屋さんなどもそうした小売店ひとつ。こうしたお店では仕入れや製造は人の勘に頼るのだが、予測はなかなか当たらず、多くのパンや菓子が廃棄されてしまい、これが経営上の大きな課題となる。
株式会社ROX(東京都港区)と株式会社アニー(東京都調布市)は、POSレジと需要予測AIを合体させることで、この課題解決に取り組もうとしている。両社は、ROXの店舗向け需要予測AI 「AI-Hawk-」を、アニーが提供する製菓・製パン業界向け顧客管理POSレジシステムに導入することに合意し、開発プロジェクトをスタートさせた。
ROXは、実店舗向け需要予測AIシステムを開発・提供するスタートアップだ。代表取締役 中川達生氏に創業のきっかけと、今回のプロジェクトについて話を聞いた。
中川氏は大卒後大手メーカーでエンジニアとして働いた後、大手商社に転職し技術のわかる営業マンとして活躍していた。しかし中川氏32歳の時、高校時代の親友が亡くなった。深い悲しみと共に、今まであまり考えたことがなかった “人生は短い” という事実を突き付けられた。
「自分もいつ死ぬかわからない。であれば、やりたいこと、自分が正しいと思うことをシンプルに全力でやる人生、明日死んでも良いように悔いなく生きたいと思うきっかけとなりました。」
20代の頃から、将来は起業をしたいと思っていたので、悔いを残さないためにその道に進むことを決意。34歳の時に会社を辞めて大学院に進みデータ分析を学んだ。大学院卒業後は、個人事業主としてデータ分析などを請け負い日々の糧を得ながら、2015年に法人化した。
当初は「ウェアラブルデバイス ×メンタルヘルス×データ分析」の事業化を試みたが、さまざまな困難に直面し、2018年に事業化を断念した。しかし、その間に需要予測の事業の方により可能性を感じるようになった。
きっかけは、友人の飲食店舗のデータを分析したことだ。分析結果から、男性向けメニューの充実が売り上げアップにつながることを示唆した。アドバイスに従って『メガハイボール』や『唐揚げセット』など販売したところ、その後の数年のうちに店舗数を大きく増やすまでになった。
「店舗数が拡大したことは、友人の経営努力や従業員の皆さんの努力によるものと思います。必ずしも、『データ分析の効果のみで友人の会社が拡大した!』とは思いませんが、その一端を担うことが出来ていたのであれば嬉しいと思っています」(中川氏)
中川氏が開発した機械学習モデルも、日々のデータを読み込み、アルゴリズムを鍛えていく。しかし、あくまで中小規模の店舗向けシステムであるためローコストで構築できることが求められる。
「これまでは需要予測というと大手のスーパーが何億、何十億と大手ベンダーに発注して入れているものでした。しかしレジに入ったデータを自動的に学習させるとなると、ネットワーク連携が必要になってしまいます」(中川氏)
ターゲットを中小規模の店舗での使用にしぼり、初期費用ゼロ、月々1万円程度の価格での提供を想定し開発をした。そのためPOSと需要予測のシステムはネットワークで接続せず、必要なものはPCとスマホだけ、日々のデータはあえて手入力とした。過去の来客数や天候といったデータも活用し、精度の高い予測システムを作り上げた。
「メインはパン屋さん、ケーキ屋さん。この日何人客が来るかわからないまま作り始めています。持ち越せないので廃棄してしまいます。自分たちは、事業の入口から中小の店舗をターゲットにしてきたので、アルゴリズムにも自信があります」(中川氏)
2020年11月に、ROXは株式会社BSMO(本社:東京都港区)の完全子会社となったことを発表。BSMOグループ傘下に入り、経営環境を安定させ、従業員も約20名に増えた。
さらに今回のアニー社との協業成立だ。アニー社の 「ninapos」は製菓・製パン業界に特化した POS レジシステムであり、今回、ここにAI -Hawk-の機能を組み入れる。POSと一体化してしまえば、手入力なしでデータを収集できる。
この件に関してアニー社からは次のようなコメントが寄せられた。
「ninaposは洋菓子専門的店向けのPOSとして全国の繁盛洋菓子店約850店舗に導入されています。(今回の協業では)洋菓子店経営にとって、特に日持ちがしない生菓子のロスの削減は極めて重要なポイントです。昨今はEGSの観点からも各企業がフードロスの削減に取り組んでいくことは必須の社会課題です。ROX社と連携し、需要予測の精度を高めていくことができればフードロスの削減のみならず、製造計画を効率化して、職人の生産性向上にも貢献できる仕組みが作れると期待しています。社会と経営に役立つAI-ninaposを目指し進化させていきたいですね」(アニー 代表取締役 加藤進次郎氏)
自分たちはプラットフォーマーになりたいわけではないと中川氏は話した。むしろ、ネットワーク型のPOSレジを展開している大手ベンダーに、“自分たちと協業した方がAI開発のコストパフォーマンスがいいですよ”と持ちかける戦略だ。この7月には、関西に34店舗展開する和菓子店が使う大手ベンダーのPOSレジにも内蔵、商品の需要予測を開始している。
コロナ禍のため、地元の人たちから愛される小さなお店も苦境の中にある。お店を続けるため、少しでも無駄を抑えようと、知恵を絞る街のパン屋さん、ケーキ屋さんの経営を、この「需要予測AI」が支えるかもしれない。