大山康晴十五世名人と羽生善治棋聖、それぞれの全盛期に対局すれば、いったいどちらが強いのか。対戦型ゲームや競技の永遠のテーマ「史上最強はだれだ?」。ファンなら一晩、語り尽くすこともできるだろう。将棋ソフト「YSS」の開発者として知られるフリープログラマーの山下宏さんは「悪手」に注目し、歴代最強と言われる棋士の棋譜を解析、レーティング(強さ)を算出した。その結果はー。
10月に札幌で開かれたITなどの国際コンベンション「No Maps」のカンファレンス「将棋が見せてくれた人工知能の世界」で、山下さんがプレゼンテーションした。
山下さんは、Bonanza6.0(2011年)とGPSFish(2013年)、2種の将棋ソフトを使い、初心者からアマ高段者まで1800局の棋譜を解析。「悪手を指す割合と棋力には関連性がある。悪手が少ないほど強い」ことに着目した。現代の棋界最強と言われる棋士4人の全盛期を比較するため、4人それぞれのタイトル戦の棋譜を基に、平均悪手を変数としてレーティングを算出した。
例えば同じ局面で人間が▲2六歩と指してソフトの評価が+20、機械が▲7六歩と指して評価が+30の場合。人間の手はソフトの手より低い評価なので悪手と認定。それら悪手を分子に、手数の合計を分母にして平均悪手を算出する。
レーティングの算出には、ソフトの解析結果から「−3184☓平均悪手+4620」という式を使った。ネット対局サイト将棋倶楽部24のレーティングは、1000でアマ6級、2000でアマ三段、3000でアマ八段が目安とされる。
その結果はー。
大山康晴十五世名人、3000前後で推移(年平均16局)。
中原誠十六世名人、3100前後で推移(年平均18局)。
谷川浩司九段、3100前後(年平均12局、ただし、年ごとのバラつきが大きい)。
羽生善治棋聖、3300前後で推移(年平均22局)。
となった。
もしも全盛時の羽生善治棋聖と大山康晴十五世名人が10回対局すると、8勝2敗で羽生棋聖が勝ち越すと推定される、という。また、14歳2ヶ月で史上最年少プロデビューし、以来29連勝で話題となった藤井聡太四段。その29局の棋譜を解析したところ、レーティングは羽生善治棋聖に匹敵する3300であることも分かった。
さらに、2日制と1日制のタイトル戦、早指しのNHK杯を比較すると、同じ棋士でもレーティングに明確な差が出た。2日制に比べて1日制は平均100、NHK杯は平均200ほど低くなるという。その中で加藤一二三氏は、NHK杯でも91しか下がらず、「秒読みの神様」との異名は伊達ではなかったようだ。
江戸時代の棋士7人のレーティングも算出。その結果は、初代大橋宗桂2555、本因坊算砂2611、初代伊藤宗看2510、六代大橋宗英2987、大橋柳雪2556、天野宗歩2758、伊藤宗印2776。歴代家元では最強の名人と言われた六代大橋宗英のレーティングが傑出して高く、近代将棋の祖との異名が裏付けられたようだ。
場合の数が10の220乗と推計される将棋は、その複雑性から、将来にわたってすべての局面を解き明かすことは不可能と考えられている。仮に悪手を指さない神様のような存在があるとすればどうだろうか? そのレーティングは4620〜4743の間と推測されるという。
山下さんによれば、悪手率に着目する方法であれば、20 ほどの棋譜で棋士の棋力を推定することができるという。しかし「あくまで、棋譜からの解析」でもある。江戸時代の棋士より、現代の棋士のレーティングが高いのは、将棋そのものの進化を示しているようだ。後段で千田翔太六段が触れているよう、現代の棋士にとってAI(将棋ソフト)を使った研究は当然のこととなっており、情報環境の劇的な進化はプロ・アマ問わず棋力に大きな影響を与えていると考えられる。「過去の棋士が現在の環境に適応すれは、どれほどの棋力を発揮できたかは未知数である」とも、山下さんは強調する。
山下さんは「羽生さんと大山さん、いったいどちらが強いのか」を突き詰めようと、今回の解析を行った。チェスでは同様の論文があったが、将棋では見当たらなかったという。
No Mapsでのカンファレンスには日本のAI研究、将棋ソフト開発を牽引してきた松原仁氏(公立はこだて未来大学)、鶴岡慶雅氏(東京大学)、伊藤毅志氏(電気通信大学)と、将棋AIに詳しい千田翔太六段も登壇し、パネルディスカッションなどがあった。
日本で将棋AIの開発が始まったのは1970年代。研究者や技術者は、将棋AIが人間の頂点を超えることを目標としてきた。そして2017年。将棋、囲碁など完全情報ゲームとAIとの関係で、大きな出来事が2つあった。将棋では佐藤天彦名人が「PONANZA」に、囲碁では世界最強の柯潔九段がDeepMindの「AlphaGo」にそれぞれ敗北。完全情報ゲームAIは開発当初からしばらく、プロと対局するにはお話にならないほど弱すぎ、プロと伍するようになった途端、一瞬で人間を抜き去ってしまった。
こうした現象はこれから、多くの分野で起こるだろう。伊藤氏は「AIが色々な分野で人間を超えようとしている。AIと人間がどう付き合うか、どう使うか、どう理解するかが社会に求められているテーマと感じた。その際、将棋AIがベンチマークになる」という。
AIをどう使うのか。将棋の世界では、特に若い世代の間で、AIを研究に使うことが当然のことのようになっている。千田六段は「将棋AIが(指し手の)評価値を出してくれるのが大きい。それが信用できるかは分からないが、人間よりは正確。AIと対局することで、人間が終盤で間違えることが分かり、終盤に時間を残すようになった。特に序盤戦、定跡の変化が代表的で、堅い陣形からバランス型に変わり、駒の配置や効きを重視する陣形になっている」という。
このように、将棋AIが棋士をさらに強くしていることを受け、鶴岡氏は「色々なところでAIの能力が上がっている。人間がAIをうまく使い、AI単体よりも良いオペレーションができることを示すことができれば、AIを活用する道が開ける」という。まさに、将棋AIがベンチマークとなるケースかもしれない。
将棋AIが神の領域、レーティング4600を超えることはあるのだろうか? 鶴岡氏は「計算コストをかけて自己対戦を増やせば、まだまだ強くなる」とみる。一方、「やってみたいが、完全情報ゲームでこの先、新しく面白い知見を見出すのは難しく、研究題材として扱いにくいかもしれない」とも語った。
AIが人間の頂点を超えた2017年。AI研究と将棋AIのパイオニアが集まったカンファレンスのタイトルが「将棋が見せてくれた-」と過去形になっていることに注目したい。将棋AIは今後、純粋に棋力を上げたり人間を支援したりする方向に進化するかもしれない。とは言え、パイオニアたちのディスカッションは、タイトルどおり、完全情報ゲームをモデルとするAI研究の転機を印象づける内容となった。
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