微信(ウィーチャット)をご存じだろうか。中国IT大手の騰訊(テンセント)が提供するスマートフォン向けメッセージアプリだ。日本のメディアでは「中国版LINE」と紹介されることも多いが、リリースは2011年1月、LINEよりも5カ月も早い。
このウィーチャットだが、テンセントの創業者馬化騰(ポニー・マー)によると、今年3月時点でアカウント数が10億を突破したという。世界的にはWhatsApp( 15億アカウント)に次ぐ第2位。中国市場では他を寄せ付けない堂々の1位だ。
ユーザー数もすさまじいが、加えて利用時間も長い。モバイル統計調査機関QuestMobileの報告書『2017年中国モバイルインターネット年度報告』によると、ウィーチャットユーザーの平均単日利用時間は81分と首位を占めている。
実は筆者もこうしたヘビーユーザーのひとりだ。というのも中国ではEメールは機能しなくなりつつある。ビジネスの連絡からスパムメールなどなど、膨大なメールを読んで返信することはもはや不可能。気軽なウィーチャットが主流のコミュニケーションツールになっている。というわけで私も中国との連絡はほとんどウィーチャットで、張り付きっぱなしになることもたびたびだ。
コミュニケーションツール、ビジネスツールとしてのデファクトスタンダードとしての地位を築いたウィーチャットだが、今、さらに大きな進化を遂げつつある。それが「微信小程序(ウィーチャット・ミニプログラム)」だ。2016年1月に構想が発表され、翌年1月に正式にローンチされた。ウィーチャット上で動作する、HTML5ベースで組まれたプログラムである。
アプリ毎のダウンロード、インストール、ユーザー登録などの手間は不要で、必要なアプリをフォローしさえすればすぐに起動することができる。プログラムの容量は最大2MBまでと制限されているが、お店の注文からゲーム、さらにはストリーミング配信までさまざまな機能に対応する。
わずか1年で3億人ものユーザーをつかんだミニプログラムにより、ウィーチャットはたんなるスマホ上で動作するアプリを超えて、限りなくOSに近い存在へと変化している。
この動きにはライバルも危機感を覚えている。アリババグループは自社の決済アプリ「アリペイ」にもミニプログラムを実装した。やはりHTML5ベースで作られているため、ウィーチャット版にほとんど手を加えることなくアリペイに移植できるという。たんに類似しているだけではなく、昨年8月にはウィーチャット・ミニプログラムのソースコードを一部流用したことが発覚、アリペイが謝罪するという一幕もあった。
さらに2018年3月16日にはファーウェイ、シャオミ、OPPO、VIVO、ZTE、レノボ、GIONEE、MEIZU、nubiaという中国のスマートフォンメーカー9社は合同で「快応用」(インスタントアプリ)を発表した。メーカーの垣根を越えて、ウィーチャット・ミニプログラムに対抗しようというわけだ。
しかし、アリババやスマートフォンメーカーには分が悪い戦いとなることが予想される。ウィーチャットはすでにデファクトスタンダードの地位を占め、またユーザーの利用時間がきわめて長い。この強力な動線を対抗することは困難だ。
ミニプログラムを舞台とした競争は、中国のプラットフォーム間競争、ユーザー囲い込み競争が新たなステージに入ったことを示している。
中国IT業界で最初期に覇権を握ったのはポータルサイトだ。新浪、網易、捜狐、騰訊が四大ポータルサイトと呼ばれた。パソコンを起動すればまずポータルサイトにアクセスし、そこからニュースやメール、ゲームなどのサービスに移動する。ユーザーの流れを掌握する者こそが覇者だった。
しかしこのユーザーの動線は技術トレンドともにめまぐるしく移り変わっていく。ポータルサイトの次の王者となったのが検索サイト、そしてパソコン向けSNSに移行する。スマホシフト後の現在ではウィーチャットが王座につき、スマートフォン向けのニュースアプリ「今日頭条」を持つ北京字節跳動科技が二番手につけているという状況だ。
次々と新たなサービスが登場する激動の中国IT市場だが、成功するもしないもまずはユーザーに使ってもらわなければ始まらない。動線を持つ企業が強い発言力を持つゆえんだ。
そして、AI時代を見すえた今では「データは資産」という認識が広がっている。AIの開発、運用のために必要なデータをどれほど持っているかが企業の未来を決めるのだ。ユーザーの囲い込み、動線の確保に加えて、データという基準も加わったことで、プラットフォーム間の競争はさらに激化している。
* * *
従来のプラットフォーム競争といえば、ウインドウズとマック、iOSとアンドロイド、あるいはグーグルとヤフーなどのように、同一ジャンル内での戦いだった。ところが新たなデータの競争ではまったく異なるジャンル同士が角を突き合わせている。
その典型例と言えるのがテンセントとファーウェイの「データ戦争」だ。2016年12月に発売されたファーウェイのスマートフォン「Honer Magic」はAI機能搭載が売りだ。スマートフォン上のさまざまな情報を読み取り、他の機能と連携させる。ウィーチャットで取引先とアポの約束を取り付けたら、すぐに簡単な操作でカレンダーに予定を書き込めるといった具合だ。携帯電話というデバイスの側から各種アプリを統合運用しようという野心的な試みだ。
だが、この便利な機能にはウィーチャットをはじめとする各種アプリのデータをファーウェイが読み取ることが前提となる。テンセントは違法行為にあたると非難、ファーウェイは合法的でありまたユーザーの利益につながると反論した。こうした建て前の裏側にはより多くのデータへのアクセスを独占的に確保したい本音が透けてみえる。
これまでの中国IT業界の戦いは、どれだけ人を集めるか、さらにどれだけの利便性が提供できるのかの競争だった。それが今は、そこでのさまざまな活動の結果生まれる膨大な量の利用者データを、だれが手中に収めるのかへとステージを変えつつあるのだ。