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実用化せまる嗅覚IoTセンサー・MSS 期待される想定用途とは?

MSSを開発した国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)の吉川元起氏

MSSを開発した国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)の吉川元起氏

「視覚」や「聴覚」など人間の五感に相当するセンサーのうち、「発展途上」と言われるのが、「嗅覚」に相当するセンサーの開発だ。40万種以上あるニオイ成分の組み合わせを識別し、コンピューターで分析できる情報に変換するのは非常に難しく、これまでに日常生活で使えるレベルで実用化された嗅覚センサーはない。

 そうした中で、実用化に極めて近いと言われているのが、国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)の吉川元起氏らが開発した嗅覚センサー「MSS(Membrane-type Surface stress Sensor:膜型表面応力センサー)」だ。

 MSSは、センサー表面にニオイ分子が吸着・離脱すると反応する感応膜を塗り、その反応を電気信号に変える仕組みだが、この感応膜の選択肢が広いため「汎用性」が高いとされる。企業からの期待も高く、2015年には企業や研究機関が集まりMSSの業界標準化を目指す「MSSアライアンス」が、2017年にはMSSを用いた実証実験を行う企業を募集する「MSSフォーラム」が結成された。

 こうしたMSSの仕組みや特長について、以前「意外と難しいニオイのデジタル化 日本の嗅覚センサー「MSS」が世界標準を目指す」の記事で紹介したが、どのような研究や実証実験が行われ、どのような用途が想定されているのかは伝えられなかった。そこで今回は「MEMSセンシング&ネットワークシステム展2018」(2018年10月17日〜19日)に出展していた「MSSフォーラム」のブースやセミナーで取材した内容をお伝えする。

がんをニオイで見つける「医療連携の試み」

 10月17日に開催されたセミナーでは、吉川氏や医療関係者が登壇し、MSSアライアンスが結成される前、2014年から始まっていたという「医療連携の試み」が紹介されていた。今回報告されていたのは、がんの早期発見やスクリーニング(選別)にMSSを活用する試みだ。

登壇した日本医科大学千葉北総病院の宮下正夫教授(左)、茨城県立中央病院/筑波大学の小島寛教授(中央)、筑波大学の佐藤幸夫教授(右)

登壇した日本医科大学千葉北総病院の宮下正夫教授(左)、茨城県立中央病院/筑波大学の小島寛教授(中央)、筑波大学の佐藤幸夫教授(右)

 日本医科大学千葉北総病院の宮下正夫教授は、「がん探知犬」が早期がんの患者の尿を100%の確率で嗅ぎわけた事例などを挙げ、「がん患者には特有のニオイがあると確信している」と述べ、MSSで尿から早期がんを見つける試みに着手したと報告した。

 茨城県立中央病院の小島寛教授は、体への負担が少なく短時間で安価にできるがん検診を理想とし、それに該当する嗅覚センサーによるがん検診を実現し、我が国のがん検診の受診率を上げたいと考える。そのため、MSSで健常な人とがん患者の呼気を比べ、がん特有の呼気を鑑別する試みを開始している。

 筑波大学の佐藤幸夫教授は、レントゲンによる肺がん検診を「簡便だが精度が低い」と述べ、MSSを用いることで、「簡便で高精度な」肺がん検診を実現できる可能性があると説明。佐藤教授は、肺がん手術を受ける前後の患者の呼気を比べることで、肺がんの有無による呼気の違いを解析する試みを始め、現在までに40例のデータを採取したと報告した。

自動運転車やスマートウォッチへの搭載も

 展示ブースで紹介されていたMSSアライアンス開発の技術で、特に大きな可能性を感じたのが「ポンプレスニオイ測定(モバイル嗅覚センサー)」の技術だ。

MSSチップ(素子)を近づけるだけでニオイを識別できる「ポンプレスニオイ測定(モバイル嗅覚センサー)」の技術のデモ

MSSチップ(素子)を近づけるだけでニオイを識別できる「ポンプレスニオイ測定(モバイル嗅覚センサー)」の技術のデモ

 現在、MSSフォーラムで企業や研究機関に配られているモジュール(ニオイをデータ化できるユニット)は、MSSのチップと、ニオイを吸着・離脱させるためのポンプが組み込まれているため、サイズはやや大きめだ(手のひらサイズ)。これとは別に、大阪大学の鷲尾隆教授とNIMSの今村岳独立研究者が共同研究で新たなニオイの解析方法を開発しており、ポンプを組み込まなくても計測できる技術が確立されつつある。ポンプがいらないということは、ニオイが出ている場所の近くで、MSSチップ(素子)をゆらすだけでニオイを識別できるようになる。

 今村氏は「開発が始まった昨年に比べ、精度が向上した」と話す。たとえば3種の香辛料のニオイを測定(識別)する実験では、9割近い正解率が出るようになったという。実用化に向けては、温度や湿度の影響を受けやすいという課題があるが、これも「温度や湿度の影響を受けにくい感応膜を開発し、解析法を工夫することで解決できる可能性は高い」とのこと。さらに技術確立後の活用例としては、「自動運転車に搭載し、運転者の体調をニオイから調べる」といった用途や、「時計型スマートウォッチに搭載し体臭をモニターする」ことも考えられるという。

 このほか展示ブースでは、災害発生の予兆をニオイから検知する技術の開発(日本工営)や、低濃度の生活不快臭をMSSで測る実験(大同大学)、魚肉の鮮度をニオイから推測する実験(弘前大学)など多種多様な実証実験も紹介されていた。実験分野が食品、建築、農業、ヘルスケアなど多岐にわたっていることからも、MSSに対する期待の大きさが伝わってきた。

VR(仮想現実)で「嗅覚」を再現するには?

今回の取材中にMSS開発者の吉川氏に話を聞いた。

——ニオイのデータを集めることができるのであれば、集めたデータからニオイを再現することもできるのではないでしょうか。たとえば、VR(バーチャリアリティ、仮想現実)などでニオイを再現することについてどうお考えでしょう?

 ニオイの再現にはいくつかのアプローチがあると思うのですが、ガス(ニオイ)を発生させて嗅覚を刺激するとなると難易度は高い。同じガスを出しても個人によって感じ方は違いますし、一度出したガスを消すのが難しい。ガスによっては一度出すと何日も残るようなものもあり、それをいかにリセットして別のニオイを出すのか難しい課題が残ります。

 それを回避するとなると、専門ではないので直感的な感想になってしまいますが、嗅神経を直接電気信号などで刺激して、「ニオイを感じたような気にさせる」といったアプローチの方が良いのかもしれません。たとえばVRゴーグルのノーズパッドの両脇あたりに電気刺激を出すものを設置して、鼻の奥にある嗅球と呼ばれる嗅神経が集まるところに、ピンポイントで複数箇所に高速で刺激を与えるなど。もちろん、安全性などの問題に加えて、どこにどのような刺激を与えればよいかなど多くの課題があると思いますが、技術的には既存のものを組み合わせるだけで、ある程度は実現するのではないかと妄想しています。

* * *

 吉川氏の言うように、嗅神経を直接刺激する仕組みをVRゴーグルなどに搭載することが技術的に可能であれば、仮想現実の世界に「嗅覚」を持ち込むことは遠い未来話ではないのかもしれない。

 さまざまな可能性が感じられるニオイのデータ化。それを可能にするMSSの一日も早い実用化が望まれる。

庄司健一 Written by
有限会社ガーデンシティ・プランニングにてライティングとディレクションを担当。ICT関連や街づくり関連をテーマにしたコンテンツ制作を中心に活動する。