我が国のマイナンバーカード普及率は、現時点で約14%にすぎない(2019年9月23日東京新聞)。行政手続きのデジタル化は喫緊の課題であり、その第一歩となるマイナンバーカードの普及には政府も力を入れている。しかし行政手続きのデジタル化が社会にどのようなメリットをもたらすのか、頭では理解しても、そのメリットを体感したことがない人がほとんどだ。それがマイナンバーカード普及の阻害要因のひとつになっているのではないか。
2019年10月、エストニアと日本を拠点に事業を展開しているblockhive(ブロックハイブ)は完全無料の電子契約サービス”e-sign”を日本市場向けにローンチすると発表。同社はエストニア政府が国民に提供する「デジタルID」のインフラそのものを日本に持ち込む構えで、具体的なサービスのひとつが”e-sign”だ。来日したblockhive共同創業者日下光氏に話を聞いた。
日下氏らは2012年からブロックチェーン技術を活用したサービスソリューション開発集団として日本で活動していたが(当時の社名はスプレッディ)、2017年にエストニアに拠点を移した。「ブロックチェーンが実用化されているユースケースを見にいくべきだと考えたのです。それがエストニアでした」(日下氏)
電子国家エストニアには国民に付与されるデジタルIDや、X-ROADというデータ連係基盤がある。現地で生活し、それらを利用した日下氏らは、今後日本の行政でもデジタル化は必須であり、エストニアでの経験を踏まえて、日本でも利用できるユースケースをつくれば、それは日本国内でも受け入れられる確信したと言う。日下氏は実際に居住して同国に社会実装されたサービスを利用し、政府関係者とも親交を深めながら、日本でビジネス展開するための最適解を研究。そして2017年、現地で改めてblockhive OÜ(OÜは有限会社の意)を創業し、今年の3月日本法人もblockhiveというブランドに統一。その後”e-sign”を開発し日本市場でのサービスローンチに至る。
”e-sign”について説明を聞くと、日下氏は「エストニアの当たり前を持ってきました」と表現し「デジタルIDを使って電子契約をする無料サービスということにつきます」と述べる。しかし、デジタルIDとは何なのか日本では今ひとつ浸透していない。そこで日下氏は「電子印鑑」という言い方をしている。
「日本における電子契約では電子署名があります。たとえて言えば、電子署名は印鑑を押した後の“印影の置き換え”です。印影を産み出すには印鑑(ハンコ)そのものが必要です。では“印鑑(ハンコ)の置き換え”に相当するものが日本にあるのかと言うと、他の電子契約サービスを見ても“印影の置き換え”はあるのですけど、 “印鑑(ハンコ)の置き換え”に相当するものがない。エストニアではもちろん印鑑はなく、印鑑に相当するものがデジタルIDです」(日下氏)
“e-sign”はそのデジタルIDと連携したサービスという位置づけだ。日下氏は、「日本で国民が一人ひとつのデジタルIDを持てるように無料で提供したい。そして日本で今使われている「印鑑」を「電子印鑑(デジタルID)」に置き換えたい」とビジョンを述べる。
「電子印鑑と言うと生体認証でもついたハンコをイメージされてしまうかもしれないですが(笑)、スマートフォンに格納された、マイナンバーカードや運転免許証、パスポートなどで本人であることが担保された電子印鑑(デジタルID)アプリです」(日下氏)
”e-sign”では、まずユーザーは連携する電子印鑑アプリをダウンロードするところから始める。マイナンバーカードや、運転免許証、パスポートなどで本人確認を終えると、連携するアプリ上で当人の「電子印鑑」が作成される形だ。後は電子署名時に、初期設定時に登録した本人しか知らない6ケタのPINコードを打ち込めばよい。世界195カ国の通りの顔写真付きの公的身分証明書に対応している。むろんすべて日本語対応済みだ。
「電子契約プラットフォームとデジタルIDを連携することで”誰が、いつ署名をした”という記録が取れるようになった。本人性を確実に担保でき、なりすましを防ぐことができる」と日下氏はその付加価値を説明する。
ここでいくつかの質問を日下氏にぶつけてみる。まず”e-sign”の利用は完全無料ということだがどうやってビジネスにするのか? 日下氏は、「エストニアでは、デジタルIDは完全無料で政府が提供しているものです。ぼくらの”e-sign”も本来は政府がやるべきことだと思うのです。民間企業がやるべきことじゃないかもしれない。でも自分たちは腹をくくったんです。完全無料にすることで利用者のランニングコストはゼロになります。行政事務手続きを始め、さまざまなデジタルサービスに”e-sign”を活用してもらい、日本にデジタルIDのインフラをつくりたい。自分たちはe-signという電子契約のベースになるインフラ作りでは収益を追わず、デジタルIDソリューションのBtoB提供で収益を得るつもりです」と決意を述べた。
もうひとつ、”e-sign”ではマイナンバーカードでの本人確認が中心になると思われるが、マイナンバーカード自体の普及が進んでいない。日下氏は「政府主導のマイナンバーカード普及を待つつもりはありません。先に利便性の高いサービスを提供して、マイナンバーカードの普及の担い手になり、他の担い手を増やしていこうと思います」と答える。
最後に競合について尋ねると「競合は今のところないのです」と笑う。「競合が存在しないと言うとマーケットがないんじゃないかと言われることもあります。でもこの先日本がマイナンバーカードを廃止することはあり得ないでしょう。ということは間違いなく現実世界とデジタル世界のタッチポイントとしてのモバイルアプリ、つまりデジタルIDをアプリ化するということが必要になります。そうなった時、デジタルIDアプリって一人ひとつでいいじゃないですか。ぼくらは先行投資し、そこをおさえに行っているので今のレイヤーには競合はないのです」と日下氏は続けた。
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政府は2020年度にマイナンバーカード関連経費として2,100億円を計上したとの報道もある。政府の思惑通りに進めば、3年後にはマイナンバーカード保有率は大きく上がるだろう。その時デジタルIDアプリの市場はどうなっているのか。エストニアの電子行政サービスに精通したスタートアップの挑戦を注視していきたい。