シリコンバレーではじまった、スタートアップが投資家に対して短時間で行うプレゼン、それが「ピッチ」。従来のプレゼンとは異なり、「その場で相手の決断を引き出す」ことをゴールとしている。本書は、日本初のスタートアップ・アクセラレーターであるOpen Network Lab(以下、オンラボ)によるピッチのノウハウを紹介する『Pitch ピッチ 世界を変える提案のメソッド』(インプレス刊)から、一部を抜粋・改編してお届けする。
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コロナ禍によって「仕事」は在宅、オンラインなどの人との接触を減らす方向に大きく変化した。オンラインでのやり取りでは、手短に、要点を的確に話すことが求められる。分厚い資料と飾り立てられたプレゼンテーションツールに頼ってたき人には戸惑いがあるだろう。
端的に要件を伝え、人を動かすには
「ピッチ(Pitch)」はこれから新しい事業を始めるスタートアップが、自らの事業やアイディアを説明するもので、多忙な投資家に投資などの決断をしてもらうための、いわば「人を動かすための武器」だ。
ピッチはオンライン会議のために作られたノウハウではない。しかし、短時間で要点を伝えることができる点や、限られた時間内に自身の望む結論を引き出すのに必要なポイントを相手に納得させるノウハウなど、オンライン会議にも活かせる部分がある。「人を動かす」ピッチの応用範囲は広い。
ピッチのもつ特殊性は、相手の予備知識や環境などの条件が整っていない中でも、その場で決断を引き出すことをゴールとしている点だ。よってピッチの中で大切なのは「相手に何をしてほしいのか」を明確に述べることだ。
ビジネスの現場で「それで結局、あなたは私に何をして欲しいの」という場面によく出くわす。本来、どんな打ち合わせであっても「これだけは必ず決めてほしい(返事をもらいたい)」という目的があるはずだが、それを相手に伝えることは意外と難しい。
相手が「何に注目するか」「どう受け止めるか」に想像力を働かせて要点を絞り、短い時間であっても、必要な情報を伝えて「決める」。これらピッチのスキルは「人を巻き込んでいく技術」として、ビジネスに限らずあらゆる場面に活用できる。
ピッチを構成する7つのフレームワーク
では実際にスタートアップが、ピッチを作り上げていく過程とはどのようなものなのだろうか。オンラボのプログラム初日は、この7項目のフレームワークを埋めてもらうところからスタートする。
(わたしのアイデアは)
- 誰の
- 課題を
- 解決する
- なぜ今
- 既存代替品
- 市場規模
- なぜあなた
この7項目のフレームワークは、プロダクト(アイデア)に本当に価値があるかを見きわめるためのチェックシートであると同時に、ピッチに「人を動かす」力を持たせるための重要なツールとなる。
オンラボではこれまで10年間で、150社をこえるスタートアップを世に送り出してきたが、最初から満足のいくフレームワークを描けたスタートアップはなかった。だがそれは当然で、極論すれば、このフレームワークが描ければ、ピッチのアウトラインは完成したも同然なのだ。
オンラボでは、このフレームワークを使って、最初の4つの項目の明確化(「誰の」どんな「課題を」どう「解決する」のか。「なぜ今」なのか)に取り組んでもらう。
- 「誰の」:対象とするユーザー層を具体的に
- 「課題を」:そのユーザー層が抱える『解決されるのを、切望する悩みや痛み』
- 「解決する」:どんな方法で用いてどのくらい悩みや痛みを解消できるのか
- 「なぜ今」:課題の緊急性と今後の展望、今だからこそ解決できる理由はあるのか(新技術の発明や発見等)などを分析
例えば、インフルエンザの処方薬であれば
- 「誰の」:インフルエンザ患者の
- 「課題を」:伝染性をのぞく、インフルエンザによる諸症状(特に高熱)を
- 「解決する」:処方により、短期化し抑制する
- 「なぜ今」:年々罹患者が増大しつづけ、より効果の高い抑制策が求められている
といった感じだ。
この4つの項目は、プロダクトの基本的な価値の「仮説」だ。スタートアップはこの仮説を検証し、着目した領域の有効性を見極め、問題点を発見し、新たな仮説を立て直して検証に取り組むというプロセスを繰り返すことになる。
このフレームワークの続く3つの項目は、社会的な価値と自身にとっての価値を見きわめるための項目だ。「既存代替品」という言葉には馴染みがないかもしれないがこれは、すでに誰かが提供している既存の解決方法(商品やサービス)こと。こうしたすでに世にある解決方法と自分たちのプロダクトを比較することで市場での価値を検証していく。
これら7項目のフレームワークについて、繰り返し検証を行うとことで隠れていた齟齬や自分自身でも気づかなかったごまかしなどが見えてくる。それをひとつひとつ潰し、各項目のフォーカスを絞っていくことで、優れたプロダクトと説得力のあるピッチを作り上げることが出来るのだ。
なぜあなたが?スマートHRの場合
フレームワークの最後の項目「なぜあなた」について、印象的だった「スマートHR(株式会社SmartHR)」のエピソードを紹介しよう。労務管理クラウドサービスでシェアNo.1企業に成長した株式会社SmartHRは、2015年の10期のオンラボ卒業生だ。彼らは応募した当初、まったく違うビジネスを提案していた。
応募時に提案されビジネスの内容と比べ、実際に会ったメンバーたちが感じさせてくれたポテンシャルはもっと大きく感じられた。彼らは、自分たちがそれをやる意味や、本当にやりたいことがこれなのかという問いかけに対し、いくつもの事業アイデアをユーザーヒアリングで検証していくサイクルを驚くほどのスピードで繰り返し(つまり、考えついたいくつもの事業アイデアに見切りをつけ)、卒業直前に「労務手続きを簡便化するサービスを作ろう」と決断するに至った。
そのきっかけは、代表の宮田昇始さんの妊娠中の奥さんの産休手続きだ。奥さんがテーブルを埋め尽くした大量の書類と格闘しているのを見て、宮田さんは「自分も以前、病気をしたときにその補助金をもらうのがすごく大変だった。だから、ぼくはそれがどれだけ大変かわかるし、どんなツールを用意したらどれほどスムーズにやれるかというビジョンもある」と気づき、フレームワークの「なぜあなた」がスッと腑に落ちた。そして、スマートHRはオンラボのデモデイのピッチで見事に最優秀賞を獲得。オンラボ卒業後も驚異的なスピードで成長を続け、2020年現在、次のユニコーン企業として注目される企業のひとつになっている。
フレームワークをあらゆるシーンで活用
このフレームワークは、ビジネスに限らず、新しいものごとを起こそうとする時、組織や社会のしくみを変えようとする時などにも応用が可能だ。
例えば、あなたが新規事業や業務改革を提案すると、「うちの会社でやる意味は?」「それでいくら儲かるの?」と言われることだろう。そんな時、このフレームワークの7項目を結晶化できていれば、答えに困ることはないはずだ。
逆に、社内調整が進まず、関係者をうまく説得できないようなケースでは、このフレームワークの7項目のどこかに不備があるのかも知れない。そんな時は、このフレームワークのひとつひとつの項目を書き出し、足りない部分、結晶化が十分でない部分をチェックしてみるとよいだろう。きっと新しい発見があるはずだ。