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デジタル社会のTrustの構築とインセンティブデザイン〜2020年を振り返って〜

Trust(イメージ)

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「デジタル社会」という言葉の再考

 2020年は、新型コロナウイルスにより人類とその社会が大きな変化を迫られた年になった。行き届いた公衆衛生により、大きな伝染病がないことが現代社会の暗黙の前提であるのに、その状態を維持するためのコストを軽視して効率化を図ってきた社会のあり方に変化が迫られていると言える。新型コロナウイルスは人類の繁栄の要因であるその社会性に対する挑戦となっている。

 新たな社会性の基準であるソーシャルディスタンスを義務付けられる現在の状況において、Web会議やインターネットの活用は、少なからずコミュニケーションの不足を補っている。もしインターネットがなかったら、この事態への対処はより難しかっただろう。インターネットやWeb会議の技術が間に合って良かったというのが実感だ。一方で、インターネットやWebのインフラの上に、従来の社会と同じものを構築するに足る信頼(Trust)を担保する仕組みがあるかというとそこまでは進んでいない。

 新型コロナウイルスにより、改めて社会におけるデジタル技術の重要性は高まっている。筆者は個人的にはいまだにデジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉の指す意味を理解していない。もしかしたらデジタルやDXは、すでに単なるマーケティングワードになってしまったのかもしれないが、一方でデジタルと社会の関係性はより多くの分野で強くなっているのは間違いない。

 とはいうものの、我々の社会生活は、現在のデジタル技術に基づくビジネスだけでは到底カバーできない。物理的限界もあるので、全ての社会的活動を完全にデジタル技術だけで行うことは無理である。例えば、広く普及したWeb会議は、距離の壁を超えた会議の環境を提供しているように見えるが、世界中から参加者を集めるグローバルな会議を開こうとすると、時差が大きな問題となる。UTC(協定世界時)の午後1時近辺なら、ハワイなど太平洋に住んでいる人以外は深夜にならない時間であるが、その時間は、世界中で奪い合いがおきている。個々の会議も3日で済んでいたのが3倍の9日になり、会議の日付の設定は1年365日では足りない。参加者が多少の時差ぼけを我慢してでも同じ場所に集う方が効率的だったし、現代に求められる効率と生産性の要求には、時間と言う物理的制約で応えられなくなっている。つまりグローバルなWeb会議は、時差を越えた時間配分という物理的リソースを犠牲にして空間的リソースの制約を緩和しているに過ぎない。

 新しい社会性の基準の構築に迫られている今、これまでの物理的社会での社会活動とともに、デジタル上でも社会活動ができるようにする必要がある。さらに、それぞれが信頼できる社会(Society)であり、また相互に協調できる必要がある。つまりは、現在求められているのは、既存社会の”デジタル化”とは少し異なり、デジタル活動で実現される社会性を持った活動の場としての「デジタル社会」として、Trustをどう構築しそれを物理的な人間社会とどう協調させ、なおかつ、全体が人類のためになっているか(Human-centric)という疑問を追求することである。この観点で、「デジタル社会」と言う言葉や、デジタルと社会の関係性を再考する必要がある。

TrustとVerify

 「良い社会とは」、あるいは「社会におけるTrustとは」と言うことを論じるのは深遠なテーマであり、この記事の範囲をはるかに超えるが、デジタル社会におけるTrustを考える意味で、Trust(信頼)とVerify(検証)の関係について少し述べたい。

 今年組成された内閣官房のTrusted Web推進協議会の資料[1]では、Trustに関する暫定的な定義を「事実の確認をしない状態で、相手先が期待した通りに振る舞うと信じる度合い」としている。Trustのことを考えなければいけない理由は、社会には数多くの不確実性があり、その不確実性を少しでも解消する必要があるためだ。もちろん、世の中の全ての事実を全ての人が確認した上でリスク評価ができるのであれば、それに越したことはない。しかし、そのためには全ての人が、低いコストで事実を確認し、かつ正当なリスク評価を行うことができる能力を持っていることが大前提だ。ところが、残念ながらこの前提は成り立たない。ゆえに、事実を確認してくれる人、リスク評価をしてくれる人が必要となり、その人が信頼できるかどうかで自分自身の行動を決めることになる

 ブロックチェーン企業であるBlockstream社の有名な標語に、”Don’t Trust, Verify”というものがある。ビットコインにおいては、その帳簿の管理に誰でも加わることができて、誰でも事実の確認ができると言うことを示している(一方で、以前指摘[2]したように、これはビットコインの支払い処理に限定した場合に限るという点には、注意が必要だ)。実は、この標語には、元になった言葉がある。それは”Trust, but Verify”だ。これは、もともとロシアの言葉 “Доверяй, но проверяй”(英語でDoveryay, no proveryay)で、この言葉が有名になったのは、アメリカとソ連の核軍縮プロセスでおいてである。つまり、核軍縮には合意したが、それが正しく履行されたかどうかは、相手を信頼するだけではなくしっかりと検証をする必要があると言うことだ。

 社会には信頼できない人がいるという前提のもとに、Verifyがどうしても必要なケースが存在する。Satoshi Nakamotoの論文は、支払い処理に限定すればTrustの仕掛けは不要になると主張している。しかし支払い処理を越えた範囲において、Don’t Trustで回るとは一言も言っていない。だから、Verifyだけで回るところとTrustが必要な部分とを考えることが、デジタル社会の構成を考えるときに非常に重要になる。

「置いてきぼりを作らない」ことの大事さと難しさ

 ビットコインブロックチェーンのようなVerifyだけで回る世界が必要な理由は、障害点(Point of Failure)をなくすということに尽きる。と言うのも、ある人を信頼すると、その人が不在になったり、悪意を持った瞬間に、正しい社会活動ができなくなるからだ。ある特定の人や組織が障害点になるとき、それを単一障害点(Single Point of Failure: SPoF)と呼ぶ。ビットコインブロックチェーンでは、SPoFをなくすために、全く同じデータを世界中にばら撒くと言う無駄もしているし、悪意のある人の能力をNとした時に、2N+1の能力を集めている。

 2020年には、このSPoFの課題を再認識させられる事件がいくつか存在した。そのひとつは、12月14日に発生したGoogleの障害である。これによって、インターネットのサービスにアクセスできなくなったり、場合によってはスマート家電が動作しなくなり、物理的な不利益を被った人も多かった。もうひとつは、10月に発売されたOculusの新しいヘッドセットの利用に関するもので、これは利用する際にFacebookアカウントが必要なのだが、この登録で問題が発生した。つまり、OculusとFacebookアカウントが関連付けられた事により、Facebookアカウントが何らかの理由で使えなくなった時、Oculusも使えなくなってしまう。これらの場合、GoogleやFacebookがSPoFになっていたわけだが、SPoFが存在すると、その人や組織が、デジタル社会のルールや運用を決める存在になり、物理的な社会生活に影響を与えうることを示している。

 現在の日本におけるデジタル戦略のキーワードのひとつは、村井純 慶應義塾大学教授によって提唱された「置いてきぼりを作らない」である。これは、非常に示唆に富むキーワードである。これからのデジタル社会の実現においては、老若男女、誰でも等しくその便益を享受できないといけないし、その形成過程において各人の利益が不当に棄損されることがあってはならない。そういった、全ての人を包摂し、一方で人によって異なる利益を棄損しないようにするようなアーキテクチャを考えることは大きなチャレンジだ。少なくとも、現状のインターネットやWebに関わる技術では、その両立はできていない。例えば、FacebookやGoogleは、プラットフォームとしての価値と広告媒体の価値を相互に活用し合うことによって成長した一方で、独占的事業者とみなされ米国やEUにおいて訴追の対象となっている。これはあえてSPoF的な立場になることで独占的な利益を得ていると当局はみなしていると言うことだ。

 これらのプラットフォーマーは、デジタル社会における個人の存在をも左右することになる。一方で、それらのプラットフォーマーの利益の源泉は、個人の行動の履歴でもあり、裏側で個人がどういう取引をプラットフォーマーとしていて(あるいはさせられていて)、個人にどういう利益、不利益が実は存在するのかが不透明になっている。プラットフォーマーは、多くの人にインターネットの世界の扉を開いたが、デジタルが「社会」になる過程で、全ての人が参加するルールが、特定の組織や人物に恣意的に作られないようにすることが重要になる。これは、人類が長い歴史で繰り返してきた、人間で構成される社会の統治機構を、デジタルの時代で再設計する、と言うことになるが、ここでも温故知新の精神で、過去の歴史に大いに学ぶ必要がある。デジタル時代のベキ論を押し付けても、弱者はついてこないし、意思決定はボタンをクリックしたり、チャット画面に何かをタイプするようにはできない。政治や統治機構の歴史は、人類の叡智でもある。個人の利害を十分に汲み取る技術が必要であるし、長い歴史の末たどり着いた、民主主義がどのように構成されて、どういう悪意と常に対峙しているのか、あらめて考える必要があるだろう。

Poly-Centric Stewardshipとインセンティブ設計

 Satoshi Nakamotoのペーパーに端を発したブロックチェーンは、分散や非中央集権と言う言葉とセットで語られることが多いが、前述したようにVerifyによって、不特定多数のエンティティが、あるビジネスプロセスのために持続的に帳簿の管理を行うためのプロトコルである[3]。ビットコインの場合は、そのビジネスプロセスは「支払い」である。一方で、支払いの帳簿管理の範囲外、例えば、通貨や契約 などの場合、現在のビットコインの帳簿と数学では、そのユースケースのtrustは担保できない。簡単な例であれば、Mt. Gox事件のように、取引所が攻撃を受けて暗号資産が失われる事態になった時、その被害を救済したり、何からの調停をする機能はビットコインの中には含まれていない。そうした機能は、国(立法、行政、司法)や公共団体の既存の機能(それは、既存の経済活動から生み出される税金で賄われている)に丸投げされている。マネーロンダリングへの対応も、規制当局だけの興味ではなく、一般市民にとっても社会の安全を保つための重要な機能であるが、これに対して現在のブロックチェーンは十分な答えを出せていない。そもそも、ブロックチェーンはインターネットが問題なく機能し続けることを前提としているが、そのための努力も他者に丸投げになっている。ブロックチェーンが永続的に期待通りに動き、その上でデジタル社会のtrustが、より簡単に、高度に実現されていることが望まれるが、それはブロックチェーンだけでは実現できず、周囲のステークホルダーの存在と、それら全てのステークホルダーとの責任の分担が前提となる。つまりは、デジタル社会であれ、物理的社会であれ、技術が社会に対して果たす責任とその依存関係が明確ではない。このままでは、デジタル社会のTrustは構成できるとは言えない。

 置いてきぼりを作らないデジタル社会のためには、SPoFをなくすことは重要である。その意味で、権利が集中したなオンライン上の認証や認可の仕組みは選択肢に入らない。一方で、完全に分散型でデジタル社会における活動を実現できるかというと、現在提案されている多くの仕組みは、最終的に誰が責任を負うのか、と言う点で明確になっているものは非常に少ない。これでは、個々の人間の幸せに貢献できるデジタル社会とは言えない。つまり、もう少し全体的なデザインを考え直す必要がある。

 筆者とともにBSafe.networkを作り、BGINのInitial ContributorでもあるPindar Wongは、ブロックチェーン業界最大のビジネスカンファレンスであるConsensus 2019に際して、面白い記事を寄稿している[4]。この記事中にあるPolycentric Stewardshipと言う言葉は非常に示唆に富んでいる。つまりは、社会における責任と呼ばれるものさまざまな種類があり、現実にはそれらが組み合わせって個別の事象に対する責任構造が構成されている。その主体となる、複数の中心的な組織なり人が助け合って、システム全体、あるいはサービスの責任を分担する仕組みを作るという考え方だ。そして、その際に必要なのは、デジタル社会に生きる人と組織が、それらの責任を分かち合うに足りるインセンティブを、持続的に持たせ続けられるかだ。

 ビットコインは、SPoFのない台帳の管理を不特定多数のプレーヤーで持続的に行うために、マイニングの報酬を与えている。これが唯一最大のインセンティブメカニズムだ。これは、支払い台帳の維持という意味では良い成功例ではある。一方で、プログラムのバグを直すエンジニアには報酬はない、という意味で不完全でもある。この議論の相似形として、デジタル社会においてSPoFがなく、一方で個別の事象において責任が明確になっているような新しいWebを作るためには、どの種類のステークホルダーが存在し、それぞれはどのようなインセンティブで動いていて、個々の行動で何が取引されているのか、何が犠牲になっているのか、そのようなインセンティブ構造と責任の構造が、数学的に透明であり、証明できるようになっている必要がある。冒頭に書いた、グローバルなWeb会議の実行のケースで物理的距離の制約を克服するために時間の制約を受け入れることに表されるように、リソースの取引の構造の明確化と、それが誰にでもわかるようにすることが、置いてきぼりにしないデジタル社会に必要なことだと言える。

「デジタル社会のTrust」の構築に向けて

 コロナウイルスで議論は加速したが、もともとプラットフォーマーによる寡占の影響などは、インターネットの課題とされていたことだった。そして、今、それを解くための新しい技術開発が必要とされている。

BG2Cでの金融庁氷見野長官の閉幕挨拶

 8月に東京で行われたBlockchain Global Governance Conference(BG2C)のClosing Remarksで、金融庁の氷見野長官は、新型コロナウイルスがもたらす新しいTrustへのニーズと、Satoshi Nakamotoが提起したTrustの考え方がもたらす可能性について、印象深いスピーチを行った[5]。このスピーチでは、ビットコイン以前でも、人間は信頼を勝ち取るために、無駄とは思えるかもしれない色々な作業をしていて、それがProof-of-workとして機能している。ビットコインではそれがハッシュ関数の総当たりという形に変わったに過ぎないが、その数学がもつイノベーションは、新しいデジタル社会の必要性に迫られた今こそ意義を持つ、という趣旨だ。このようなスピーチが金融庁長官からなされたこと自体が、非常にエポックメイキングなことである。一方で、このスピーチは、これからデジタル社会のトラストに取り組む人への宿題を投げかけている。それは、これまで物理的な社会が築き上げてきた、責任の分かち合い方やインセンティブの持たせ方を、全てのステークホルダーが合意できる形でデジタル上に構築できるか、という問題だ。

 Trusted Web推進協議会でも取り上げられている、Self Sovereign Identity (SSI:自己主権型アイデンティティ)は、有力な概念であるし、その実装のひとつであるIONでは、ビットコインブロックチェーンにtrustを依存している。これによってビットコインのマイニングのインセンティブによってSPoFのない識別子の管理を行いながら、インターネット上の認証と認可を実現するという意味では、SPoFのないブロックチェーンと既存のTrustを組み合わせた面白い考え方だろう。一方、これだけではデジタル社会で必要とされているTrustを全てカバーできない。この年末には、米国ではFinCEN(金融犯罪捜査網:Financial Crimes Enforcement Network)が非ホスト型ウォレットに対する規制案を発表し、SECがリップルを訴追した。これらも、デジタル上で行われる金融取引におけるTrustの構築が不十分であることへの警告である。

 一方で、これらの宿題は、明らかにイノベーションへのチャンスでもある。3月に設立が発表されたBlockchain Governance Initiative Networkでは、AML/KYC, アイデンティティなどの課題についてマルチステークホルダーでの議論が始まり、11月に第1回総会を開いた。次回は2021年3月に行われる予定だ。BGINでは、今年日本語訳も発刊された「ブロックチェーンと法」の著者Aaron J. Wrightが、BGINのガバナンスのワーキンググループ共同チェアとなり、議論を主導している。2021年は、この宿題に対するソリューションが、BGINをはじめとしたマルチステークホルダーの合意のもと生まれてくることに期待したい。

参考資料

[1] Trusted Web 推進協議会(第1回)討議用資料

[2] Shin’ichiro Matsuo, Satoshiが注意深く設定した世界の境界線

[3] Shin’ichiro Matsuo, タイムスタンプの再発見と「いわゆるブロックチェーン」

[4] Pindar Wong, The Blockchain Paradox

[5] Ryozo Himino, Is Satoshi’s dream still relevant today?

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