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足への“振動”で視覚障がい者の歩行を支援  Ashiraseが目指す自立的な世界とは

視覚障がい者向け歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」を装着した靴を手に持つ株式会社Ashirase代表取締役CEO 千野歩(ちの・わたる)氏

視覚障がい者向け歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」を装着した靴を手に持つ株式会社Ashirase代表取締役CEO 千野歩(ちの・わたる)氏

 視覚障がいには全盲だけでなく、何らかの原因で視覚に障がいを受け「見える範囲が狭い」「見えにくい」「まぶしい」などで、日常生活で不自由を感じる「ロービジョン」といわれる状態もある。

 ロービジョンの人も、時として見ることに不自由を感じることはあるものの、会社勤めや家事などをこなし、社会生活を送っている。こうした人たちの生活をいかに支援するかは、大きな社会課題となっている。

 ロービジョンを含めた視覚障がい者たちの生活の質を、まずは「歩行」から向上するべく、独自の歩行支援システムを開発するスタートアップがある。それが2021年4月設立の株式会社Ashirase(本社:栃木県宇都宮市)だ。

 同社代表取締役CEOの千野歩(ちの・わたる)氏に、視覚障がい者向け歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」の仕組みや特徴、ビジネスモデルを聞いた。

*  *  *

 視覚障がい者向け歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」とは、どういったものか。

「あしらせ」の構成イメージ(画像提供:Ashirase)
「あしらせ」の構成イメージ(画像提供:Ashirase)

 その利用方法はシンプルだ。まず靴の中に、足の甲、外側、かかと部分に振動モーターが取り付けられた振動インターフェイスを差し込む。このデバイスには、利用者の動きを検知するモーションセンサーや、利用者が向いている方角を検知できる電子コンパスが搭載されている。

 利用者はこの振動インターフェイスと連動したGPS対応の専用スマートフォンアプリを起動し、行き先を指定することで、足への振動により、向かう方向を示してもらえるようになる。

 振動による誘導方法は、視覚障がい者向けに工夫されている。例えば、右に曲がるときには右足の振動インターフェイスの右側が、左に曲がるときは左足の振動インターフェイスの左側が振動するといった形で、向かう方向を直感的に示すようになっている。また、曲がり角で急に振動を伝えると、利用者が交差点の中に侵入してしまう可能性があるため、曲がり角の少し前から、振動のテンポを変えながら徐々に曲がり角が近づいてきたこと知らせるなどの工夫も施されている。

 既存の地図アプリのナビ機能では、自分が向いている方向をスマートフォンの画面上で視認した上で進行方向を決める必要がある。それに対して「あしらせ」は、利用者の体の向きに合わせて進行方向を知らせてくれるため、スマートフォンの画面を見るのが難しい視覚障がい者も迷うことなく最初の一歩を踏み出せる。

 これらの仕組みにより利用者は、手にスマートフォンなどを持たずに、周囲の安全にも気を配りながら、余裕を持って歩行できるようになっている。

「あしらせ」で注意資源を節約

「あしらせ」の機器。黒い部分に振動モーターが内蔵されている
「あしらせ」の機器。黒い部分に振動モーターが内蔵されている

 千野氏らは「あしらせ」を開発する理由のひとつとして、「視覚障がい者が歩くときの“いっぱいいっぱいの状態”を解消したい」という思いを挙げる。

 千野氏によると、視覚障がい者が歩くときに必要な行動は、自分の身を守る「安全確認」と、自分の行動を決める「ルート確認」の2つだという。まず安全確認では、残存視野や聴覚により周りの状況を把握するほか、白杖を使って障害物を見つけたり、足の裏で段差を感じ取ったりしている。

 さらにルート確認では、電柱の数を数えたり、地図アプリの音声誘導を利用したりして、場所や道順を確認する。つまり、どちらも「非常に多くのタスクをこなす必要がある」とのこと。

 さらにこの2つの行動は、「トレードオフの関係にある」ことも問題だと指摘する。「例えば、安全に集中し過ぎると、自分の位置がわからなくなってしまったり、逆にルート確認に集中し過ぎると、段差で転びコンクリートで頭を切ってしまったりするなど危険な目に遭うこともあります」(千野氏)

センサーはつけたままで靴を脱いだり履いたりできる。
センサーはつけたままで靴を脱いだり履いたりできる。

 こうした状態を認知心理学の用語でいう「注意資源(※)が足りていない」状態だとし、「あしらせ」を利用することで「注意資源を節約し、まずは安全に集中して歩行していただだければ」と千野氏は話す。さらに余裕がある場合は、「世界との触れ合いを楽しんでもらいたい」という。

※注意力や集中力には限界があるという考え方

「歩行に余裕ができると、他のものにも注意を向けやすくなります。体験者からの感想で僕らが特に嬉しかったのは、『いつも通る道に、花屋があることに初めて気づいた』『次は海の近くを歩いてみたくなった』といったコメントです。視覚障がい者の方に、こうした世界との触れ合いを提供しながら、より豊かで自立的な生活につなげていくことが、『あしらせ』を開発する大きな目的のひとつです」(千野氏)

開発のきっかけは親族の事故

「あしらせ」を開発するきっかけとなったのは、目の不自由な千野氏の親族が、足を踏み外して川に落ちて亡くなったことだ。

 当時、本田技術研究所で自動運転システムやEVモーター制御の開発に従事していた千野氏は、この出来事を機に、「歩行」もモビリティのひとつであると考え、視覚障がい者へのヒアリングを開始する。これが「あしらせ」の開発に取り組むきっかけになった。さらにコミュニケーションを重ねることで、視覚に障がいがあるがゆえに「自由にどこかに出かける」ことを諦めるのが当然と思い込んでいる人々がいることにも気がついた。「そうした諦めを持つ必要がなくなるように」という思いは開発を続ける原動力だという。

 千野氏が研究所を辞めて設立したAsiraseは、本田技研工業株式会社の新事業創出プログラムIGINITION発の第1号スタートアップにもなっている。

福祉制度に頼らない事業モデルを

「あしらせ」は2022年秋にリリースの予定だ。具体的にどのようなビジネスモデルを考えているのだろう。

インタビュー中の千野氏
インタビュー中の千野氏

 千野氏は、「ビジネスモデルに関しては、視覚障がい者と私たちの両者に一番いい形を今もディスカッションしている」と述べ、現在は「ハードウェアをベースとしたSaaSモデル」を想定しているとのこと。

 基本的には「あしらせ」本体は売り切り。あとは月額利用料がかかるサブスクリプションモデルとなる。加えて、外出にまつわるさまざまな課題を解決するアプリケーションも有料で提供していく予定だという。

「歩行ナビゲーションを起点にしつつ、常にアップデートをかけていきながら、彼らの外出行動にある課題を、ソフトウェア(ナビゲーション)とハードウェア(あしらせ本体)の両面を使って解決していこうと考えています。例えば、バスでの移動を快適にするアプリや、散歩をより楽しめるアプリなどを、外部サービスとも組み合わせながら提供していくなどです」(千野氏)

 類似のサービスについては、例えばガイドヘルパーや盲導犬のサービス、スマートグラスを利用したオペレーターによる音声誘導サービスなどがあるが、その多くが利用者の安全を担保するものであり、ルート情報を提供する「あしらせ」とは「ポジショニングが違い、共存し価値を拡大できる部分も多い」との答えが返ってきた。

 また、視覚障がい者向けの既存サービスは非常に高価で、「地方自治体の補助金ありき」で提供されるものが多いという。それに対して「あしらせ」は、福祉制度に頼らずとも、視覚障がい者自身が支払いやすい価格帯に設定しており、社会に広く普及していく上での大きな強みになるとのことだ。

 現在Ashiraseでは、量産向け台数の確保と人材採用を目的とした資金調達に向け動き出している。

 まずは視覚障がい者の公的組織や団体、ラジオなどを通して利用者を拡大し、インターネットの販売チャネルも加えた後、「海外市場にも進出していきたい」と語る千野氏。着実な“歩み”を期待したい。

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有限会社ガーデンシティ・プランニングにてライティングとディレクションを担当。ICT関連や街づくり関連をテーマにしたコンテンツ制作を中心に活動する。