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嗅覚センサーの社会実装をビジネスで加速する 〜MSS開発者がスタートアップを設立

株式会社Qception 左から松阪秀喜氏、今村岳氏、吉川元起氏

株式会社Qception 左から松阪秀喜氏、今村岳氏、吉川元起氏

 人間の五感に相当するセンサーの中で、特に実用化が遅れているのが「嗅覚」のセンサーだ。約40年前から開発が続けられているにも関わらず、「ニオイセンサーといえばこれ」と言えるスタンダードなものがない。

MSSのイメージ図(画像提供:NIMS)

 そんな中で「これならいけるのでは」と期待を集めているのが、以前当媒体でも何度か取り上げた(ページ下関連記事参照)、国立研究開発法人 物質・材料研究機構(NIMS)の吉川元起氏らが開発した嗅覚センサー「MSS(Membrane-type Surface stress Sensor:膜型表面応力センサー)」だ。

 MSSは、中央の感応膜と呼ばれる部分がニオイを吸収して膨張する反応を電気信号に変える仕組みだが、この感応膜にさまざまな材料を用いることができるため汎用性が高い。また超小型で高感度などの強みもあり、ニオイセンサーの素子に最適だと言われている。

 このMSSの実用化を加速するため、コア技術を開発する「MSSアライアンス」(NIMSや大阪大学など6機関による)や、実証実験を行う企業が集う「MSSフォーラム」などの取り組みが進められてきたが、今回新たな進展があった。

 2022年5月、吉川氏と共にMSS研究を続けてきたNIMS研究者の今村岳氏が代表となり、NIMS発スタートアップ、株式会社Qception(キューセプション)が設立された。同社は、MSSを用いたニオイセンサーを活用した事業を展開するという。

社会実装の加速のために

代表取締役CEO・博士(理学)今村岳氏

 MSSフォーラムなど産官学連携の取り組みが進められている中、なぜスタートアップを立ち上げることになったのか。代表取締役CEOの今村氏は、その理由に「要素技術の統合が難しい」ことをあげる。

「産官学連携の取り組みを通じて感じたのが、センサー開発が得意な企業や、データを扱うのが得意な企業などさまざな企業がありますが、どんな感応膜を使うかを考え、正しく測定し、そこで得られたデータを解析するという、要素技術の全てを理解し、統合できる企業がなかったということです。」

「ニオイセンサーの実用化には、この一気通貫の開発環境が重要です。それができるのは、やはりMSSの技術を一番よく知る我々だろうと。MSSの技術を世に送り出すためには、やはり我々が(社会実装に向けての旗振り役を)やるのが一番の近道じゃないかと考え、今回の設立に至りました」

 さらに今村氏は、「研究者の立場ではできない行為が多いこと」も設立理由に加える。

「その最たるものが、MSSの販売です。(従来の枠組みのままでは)試しにMSSを使ってみたいという会社があったとしても、用途に関する情報をもらい、共同研究や秘密保持などの契約を結んだ上で、やっと実物を渡すという流れになります。これでは企業の立場からすると、かなり面倒に感じるでしょう。なるべく自社の情報は出したくないでしょうし、費用を払えばすぐに使える方が効率的です。そういう意味でも、我々がスタートアップを立ち上げ、MSSを手軽に販売できる状況を作ることは、社会実装の加速に非常に有効だと考えたのです」

 MSSの開発者の一人であり、MSSアライアンスやMSSフォーラムを牽引してきた吉川氏は、今村氏からスタートアップ設立のアイデアを聞いたときにどう感じたのか。

取締役CTO・博士(理学)吉川元起氏

「良いアプローチだと思いました。我々研究者には、こうしたら良いんじゃないかというアイデアはあっても、企業目線が不足しているところがあります。我々自身がスタートアップとしてニオイセンサーの活用事業に携われば、不足していた企業の視点を学びながら、より具体的な(社会実装の)方向に持っていけるのではないかと感じました」(吉川氏)

 ちなみに、今村氏と吉川氏は今後もNIMSの研究者としてMSSの研究にも携わっていく。Qception とNIMSの役割分担については、「今ある技術で対応できるかどうか」がポイントになるという。

 例えば「ニオイを測ってみたい」という企業があったとき、そのニオイが既存技術で計測できる場合は、Qceptionとして対応する。一方、既存技術で対応できない場合や学術的な研究が必要な場合は、NIMSが窓口となり共同研究の形をとるという。なおMSSフォーラムは、「MSSパートナーシップ」に名前を変え、ニオイセンサーに関するオープンな情報共有の場として、今後も取り組みを続けるとのことだ。

今後は「生体ガス測定」にも注力

 Qceptionは、具体的にどのような事業を展開していくのだろう。そのひとつが、「ニオイを測りたい」と考えている企業に、適切なアプローチを提示する「ニオイ計測コンサルティング」だ。

「例えばニオイのトラブルを抱える企業があったときに、そのニオイをMSSで計測できるかどうかを評価したり、もう少し進んで、どんな成分がどんな濃度で入っているかを実際に世界最先端のガス分析機器で分析したりといったことを行うサービスです。必要な方には、ニオイ測定システムをこちらで開発し、提供することも考えています」(今村氏)

 また、「MSSを使ってみたい」という企業や研究機関向けに、感応膜塗布や感応膜付きMSSチップの販売も行う他、MSSからデータを得るための簡易測定機器の販売も予定しているとのことだ。

 さらに、今村氏らが注力しているのが「生体ガス測定」事業だという。これは、呼気や汗、尿など生体から発するニオイをMSSで測り、健康管理や病気の診断を行うアプリケーションなどを開発・提供するというものだ。

 他の事業は「課題を抱えた企業のニーズに応える言わば受け身の事業」だが、生体ガス事業は、「これまでの研究成果をもとに能動的にマーケットを切り開く事業であり、特に力を入れていきたい」と今村氏は話す。

「今のところ、酪農と医療・ヘルスケアが事業可能性の高い分野だと考えています。特に酪農は、吉川を中心に、農研機構など他機関と共同で実証実験などがすでに行われており、学術的にもいろいろな発展があります。これまでの検証で見えている部分も多く、自分たちで積極的に勝負を仕掛ける最初のマーケットになると考えています」

* * *

 最後に今後に向けた意気込みを聞くと、やはり両氏とも社会実装への思いを口にしてくれた。

「どんなに小さい規模でもいいので、これまで研究し培って来たMSSの技術が社会に出て、それが誰かの役に立っているという状況をまずは実現したいです」(今村氏)

「お客さんがお金を出して、使い続けてくれるという事例をまず作りたい。残念ながら嗅覚センサーにはそういう事例がありません。過去40年の歴史があるのに、いまだにそういう例がひとつもないということは、ニオイセンサーには価値が無いということになってしまいますが、そんなはずがないだろうと。ニオイセンサーには価値があると信じています。きちんと、こうすれば価値が出せるんだということを我々の手で示し、確かな価値に納得して対価を払って使ってもらう状況を実現していきたいと思います」(吉川氏)

 Qceptionの設立が、ニオイセンサーが社会に普及するための大きな一歩となることを期待したい。

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