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【日本人が知らない 、世界のスゴいスタートアップ Vol.5】暗号通貨の実用化に弾み、PYUSDの衝撃

PayPal USD イメージ(PayPal社リリース画像より)

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 連載「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」では、海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気が付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。今回のテーマは「暗号通貨の実用化に弾み、PYUSDの衝撃」です。(聞き手・執筆:高口康太)

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 最近、暗号通貨に関するニュースを見る機会が減った。ビットコインなど暗号通貨の価格は、2021年末をピークに落ち着いている。価格が急上昇している時期には、メディアには「暗号通貨投資入門」「億り人のなりかた」といったコンテンツが多数掲載される。個人の投資という観点だけではなく、暗号通貨という新たなテクノロジーがどう世の中を変えるのかという未来像を描くコンテンツも増える。しかし、価格が低迷するとメディアでの露出はとたんに減少してしまう。

 もっとも暗号通貨はたんなる流行、投機という側面だけではない。世間の熱気が下がっても必ず普及するタイミングがやってくると、研究開発に取り組み続けるスタートアップは多い。問題はそのタイミングがいつになるか……なのだが、米国の決済大手ペイパルが8月7日に発表したステーブルコイン「ペイパルUSD(以下、PYUSD)」が転機になる可能性が高いと、台湾の投資家、マット・チェン氏は語る。

 ベンチャー投資家としてブロックチェーンや、web3のスタートアップに投資してきた同氏にPYUSDの意義を聞いた。

※鄭博仁(マット・チェン)ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・キャピタル)の創業パートナー。米国、中国を中心として世界各地のベンチャー企業に出資している。起業家時代から約20年にわたり第一線で活躍する有力投資家として、中国で「エンジェル投資家トップ10」に選出されるなど高く評価されている。

――ビットコインのような価値の裏付けを持たない暗号通貨とは異なり、米ドルなど既存通貨などを担保とし、価格が安定するように設計された暗号通貨をステーブルコインと呼びます。すでにテザーなど多くのステーブルコインが存在しているわけですが、なぜPYUSDの誕生がそれほどの意義を持つのでしょうか?

マット・チェン(以下、M):web3企業発行のステーブルコインは多いのですが、大型金融機関によるものは史上初です。4億3000万人のペイパル・ユーザーが利用できることも大きな意味を持ちますが、金融当局との太いパイプを持つペイパルが積極的に規制を受け入れる姿勢を示し、完全に合法的なツールとして活用したいという意志は、従来とは一線を画しています。

――なるほど、“怪しさ”が漂う暗号通貨ですが、安心して使える合法的なツールへの転機になるかもしれないわけですね。

M:ペイパルのステーブルコインがどのような影響をもたらすのか。3つのポイントが上げられます。

 第一にステーブルコインの社会実装の加速です。2022年には、ステーブルコイン「テラ」の破綻がありました。ビットコインとは違い、価値は不変であるという触れ込みだったのに、資産が消えてしまったわけです。ただ、これほどの事件があったにもかかわらず、ステーブルコインの利用者は消えていません。暗号通貨情報サイト「CoinMarketCap」によると、ステーブルコインの流通額は1000億ドル(9月23日時点)超。1日の取引口座数は100万を超えています。

 レガシーな国際送金は、送金から着金までの時間がかかり、コストも高く、手続きも煩雑です。ステーブルコインならば、世界のどんな相手にでも数秒数分という短時間で送金を完了できます。個人であれ、企業であれ、これには巨大なニーズがあります。“怪しげ”でありながらも、今なおステーブルコインの取引が活況な理由です。

 ペイパルの参入によって安心して使え、簡単に利用できるステーブルコインが誕生すれば、利用者数の拡大が期待できます。利用者が増えれば、送金できる取引相手が増えます。ステーブルコインの利便性がさらに高まるわけです。

――ネットワーク効果ですね。利用者が増えれば増えるほど、そのサービスの効用が高まるという。ソーシャルメディアが典型例で、どれだけすごい機能があっても、話し相手がいないと意味がないですから。ステーブルコインも同じだと。

M:第二にブロックチェーン技術の利用ハードルが下がることです。ウォレットの使い方が難しくてわからない。シードフレーズ(ウォレットを管理するパスワード)を忘れて自分の資産にアクセスできなくなった。ガス代(取引手数料のこと)の相場が激しく変動するので損をした。など暗号通貨に興味を持った人の多くが直面する問題です。

 ペイパルは歴史あるフィンテック大手であり、ユーザー体験向上のノウハウを持っています。彼らはイーサリアムによって開発された「Account abstraction」という技術を採用し、通常の電子送金アカウントと同じようにステーブルコインが扱えるようになることを目指しています。一般的なユーザーが使えるレベルまで簡易化してくれる。誰もが難しさを感じずに使えるようになれば革命的な進化です。

――確かに暗号通貨ってわからない単語がいっぱいでてきて、最初はとっつきにくい印象です。

PayPal USD イメージ(PayPal社リリース画像より)
PayPal USD イメージ(PayPal社リリース画像より)

M:第三にマイクロペイメント(少額決済)ビジネスに新たなチャンスが到来することです。ブロックチェーン技術によって、超低コストでの決済が可能になると、今までにはなかったビジネスが生まれると予想しています。「0.1ドルの支払いで音楽が1曲聞ける」「ウェブ広告がクリックされるたびに0.01ドルを即座に支払い」など、これまでは決済手数料がネックとなって、これほどの小額課金は現実的ではありませんでした。決済手数料がほぼ無視できるレベルにまで安価になれば、今までにないビジネスが生まれる可能性があるのです。

 もちろん、PYUSDがリリースされてすぐにこうした変化が一気に起きるわけではありません。このサービスは、まず米国のユーザーから利用できるようにし、その後次第に他国に展開されていく計画です。米議会でもステーブルコインに関する法律を制定する動きがあります。法の監視下においた上で普及させていくという、どちらかといえばポジティブな動きだと認識していますが、ビジネスが成り立たないほど厳しい規制が課される可能性もゼロではありません。

 また、web3業界内部からもPYUSDを批判する声はあります。ペイパルという巨像の参入は、国家や巨大企業による集中的支配を避ける「脱中心化」のポリシーに反するのではないか。誰でも簡単に扱えるようにするための技術には、「脱中心化」を弱めるものが含まれているとの指摘です。

――確かに、もしペイパルがステーブルコインの覇権を握ってしまうと、脱中心的でありながらも誰とでもやりとりできるというweb3の本旨には背きます。

M:ただ、私個人の見立てとしては、ペイパルの参入はブロックチェーン技術の発展、さらには世界のフィンテックとその他の産業を大きく変える起点になると考えています。決済方式の変化は世界の金融業界地図に激烈な変化をもたらし、他の業界の変革をも促すうねりを生み出すでしょう。

 そして、この大波はステーブルコイン以外のブロックチェーン技術、すなわちビットコインに代表される暗号資産、あるいはイーサリアムに代表されるweb3アプリの利用拡大につながると期待しています。一時の熱狂が過ぎ去り、冬の時代を迎えているweb3業界が再び活性化する。こうした未来が到来するのではないか。今後の動きに注目しています。

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 上海市のホテルでこの原稿をまとめているのだが、マットさんが描く新しい金融の未来を中国は先取りしている。日本でもスマートフォン決済は一般的になり、中国に追いついたかに見えるが、その成熟度はまったく違う。

 例えば中国では、見知らぬ相手にも簡単に電子送金ができる。日本旅行に来た中国人は、店で良さそうな商品を見つけると、すぐにチャットで友人に連絡。それを見た友人は、「私の分も買って」とのメッセージとともに電子送金を行う。こうすれば商品代を立て替えることなく友人の買い物を済ませることができる。

 中国では、ステーブルコインを含め暗号通貨は禁止されているが、EC大手アリババグループやメッセージアプリ大手テンセントなどの巨大IT企業が、フィンテック分野で圧倒的なシェアを持つことで、未来的なフィンテック環境を実現している。

 日本でも特定の企業が圧倒的なシェアを握れば、似たような環境を作ることは可能だろうが、現実的ではない。その意味ではペイパルによる、“怪しくない”ステーブルコインの導入は分散的でありながらも、新たな金融環境を構築できる始発点として期待できそうだ。

Written by
ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。2008年北京五輪直前の「沸騰中国経済」にあてられ、中国経済にのめりこみ、企業、社会、在日中国人社会を中心に取材、執筆を仕事に。クローズアップ現代」「日曜討論」などテレビ出演多数。主な著書に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐氏との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和氏との共編)で大平正芳記念賞特別賞を受賞。