ニューヨークのブルックリンにクラフトSAKEビジネスでアメリカン・ドリームを実現した日本人がいる。東京都出身の加藤忍さん(51)だ。
加藤さんがブルックリンのブッシュウィックにSAKEを醸造するブルワリー「Kato Sake Works」をソフト・オープンしたのは2020年3月。世界中がコロナ禍の渦に巻き込まれ、ニューヨーク市がロックダウンする僅か3日前のことだった。
加藤さんは日本で大学を卒業後、ソフトバンクに就職。 数年働いた後、退職してMBA取得のため米メリーランド州のメリーランド大学ロバード・スミス・ビジネススクール大学院に留学した。卒業後はテネシー州ナッシュビルにある北米日産会社に就職し、メキシコ工場の立ち上げにも関わった。ナッシュビルはクラフト・ビールが有名な街で、様々なビールを試すことができる。自宅でビールを造る友人もいて、ここで醸造に興味を持った。
ナッシュビルで友人にSAKEを
ナッシュビル時代はホーム・パーティーでから揚げやお好み焼きを作り、米国人の友人たちに日本食を紹介した。日本酒も出したかったが、ナッシュビルでは手頃な価格の日本酒が手に入らない。それならば自分で造ろうと、西海岸から精米した米と麹を取り寄せ、日本醸造協会の本やインターネットで調べ、独学でSAKEを造り友人たちに振舞った。
出来上がったSAKEは思った以上にフレッシュで美味しく、SAKE造りは楽しかった。米国の友人たちも「今までSAKEはカンカンに熱燗にしたベタベタした飲み物と思っていたが、忍のSAKEは美味しい、SAKEが好きになった」と喜び、評判となった。加藤さんが造ったSAKEを米国の祭日、感謝祭の夕食で家族と飲みたいので売って欲しいと言う友人もいた。
日本でのサラリーマン時代、上司に連れられて行った六本木や乃木坂のオシャレな居酒屋で美味しい日本酒に出会って感動した。あの時自分が受けた感動を米国人の友人に与えることが出来たのかと思ったらうれしくなった。「ならば、これをビジネスにしよう」と真剣に考え始めた。
ブルックリンの地酒を目指す
SAKEビジネスを何処で立ち上げるかと考えた時、ナッシュビルでは日本食マーケットが小さい。ただ、ナッシュビルに住んで「いいな」と感じたのは、住人たちの地元愛だ。「メイド・イン・ローカル」が通じる街でSAKE造りをしたいと思った。そして挑戦するならマーケットの大きいニューヨークで、中でも地元愛の強いブルックリンがいい。加藤さんの奥さんも背中を押してくれたので、決心がついた。
SAKE造りを目指してから、ニューヨークでの準備期間中、紆余曲折はあったが、2019年の春にはブルワリーとなる場所も借り、機材も搬入、SAKE造りの許可を待った。米国連邦政府とニューヨーク州のそれぞれにSAKE製造ライセンスを申請してから約8ヶ月、その年の12月末にようやく許可が下りたSAKEを仕込み始め、出来上がった頃にコロナ禍がニューヨークを襲った。
アパートサイズの小さなブルワリー
開業当時のブルワリーは、わずか14坪(約46.5㎡)の場所に300リットルの発酵タンクが4本。必要な機材も加藤さんが設計し特注、すべてがミニサイズだった。日本の酒蔵の入り口にある「杉玉」の代わりに、ここでは緑色のミラーボールがキラキラと回る。
コロナ禍のあいだは、ウエブで注文し、ブルワリーまで取りに来る地元の人もいた。ブルワリーの前を通る人に「飲んでみて」と試飲を勧めた。「美味しい」と買ってくれる人もいて、地元のリピーターもできた。「自分が思っていた地元愛の『メイド・イン・ローカル』に見事にはまった。ニューヨークは無機質な大都会だと思っていたが、(ブルックリンの)ブッシュウィックは日本の昔の長屋のような近所付き合いがある」と加藤さん。ブルワリーの前を通った地元の人が、「SAKEを造っているのかい」と立ち寄ってSAKEを買ってくれ、地元のお客さんが「魚を釣ったけど、食べるかい」と持って来てくれる。
「ナッシュビルで友人たちに与えたSAKEとの出会いの感動を、ブルックリンの人たちにも与えることができた。大変なこともあったが、やってよかったと思っている」と満面の笑顔で話してくれた。コロナ禍も過ぎ、ニューヨークもビジネスが回り始めるとレストランからの注文も増えたが、製造が追いつかず断るしかなかった。もっとSAKEを造るには広いブルワリーが必要になった。
クラウド・ファンディングで資金調達
ブルワリーを拡張するには、資金が必要だ。そこで、加藤さんはネットで資金を集めることにした。クラウド・ファンディングで資金を募るには基本4つの方法がある。リワード・ベース(報酬型)、寄付ベース、株式ベース、そして負債ベース(融資型)だ。加藤さんが選択したのは、少額から投資できる負債ベースで、ミニマムが100ドルから出資できる。目標金額を10万ドル(約1500万円)に設定、最終的に25万ドル(約3750万円)に達したところでストップした。約200人が投資してくれた。金額もそれぞれだが、100ドル投資してくれた人から、最高額は一人で2万ドルだった。負債ベースはローンのようなもので、利子をつけて返すシステム。加藤さんの場合は1.5の利子を付けた。つまり、100ドル投資してくれた人には150ドルを返すことになる。
返済期限は6年後に設定。2021年に投資を募ったので、2028年までに返済することになっている。うれしいことに、お得意さんや、常連のお客さんが出資してくれた。「銀行から借りた方が利子は安いが、潜在的なファンみたいなもので、サポートしたいと出資してくれた。ファン作りにはこの方法はいい」と加藤さん。
SBAで銀行から融資
米国には中小企業のための政府支援ローンの「The U.S. Small Business Administration (SBA) 」がある。SBAが担保を保障してくれ、もしも会社がつぶれた時はSBAが肩代わりしてくれるシステムなので銀行も貸し易い。加藤さんはこの制度も利用して銀行から融資を受けた。「オープンして1年で手狭になり、お金を借りる手段を調べた。当時はどのようにお金を借りることができるのか右も左もわからなかった」と話す。そんな時、運よくファイナンシャル・プランナーと知り合い、SBAで借りられるのではとアドバイスをもらい、やってみようかと始めた。
審査のために約50種類の書類を提出する必要があり、2021年のほぼ1年間は、提出する書類書きに費やした。ビジネス・プラン、向う3年のプロジェクション(財務モデル)を提出。さらにタップルーム(醸造所でつくられたSAKEを提供する場所)、卸売り、オンライン販売などそれぞれの売り上げを想定し、月次の損益計算書のようなもの3年分を作成した。「本当にすごく面倒でした」と苦笑い。審査にも約1年かかった。
融資してくれたのはインディアナ州のコミュニティ・ディベロップメント・バンク(商業銀行)のCommunity Reinvestment Fund(CRF)だった。地域産業振興に重点を置いている銀行で、彼らが融資の先として重視しているのはスモール・ビジネスでかつ、オーナーがマイノリティならなお良しとしている。ちょうどコロナ禍だったので銀行に出向くことなく、全てオンラインの会議で面談を行い、必要な資金の半分にあたる90万ドルを融資してもらった。これを現在、毎月約1万ドルを返却している。そして、残りは自己資金を充てた。「投資家がいたら簡単だったと思うが、ネットワークもなかった。でも投資家がいない分、独立が保てている。おかげ様で楽しくやっています」
新ブルワリーの稼働
新ブルワリーは2023年4月から稼動を開始した。広さは約232.5㎡になり、これまでの約5倍になった。2000リットルのタンクが5本。以前の場所では年間約5,000リットルを生産していたが、新ブルワリーではその約10倍の生産を目指している。ブルワリーの入口にはSAKEを試飲できるカウンター10席のタップルームもあり、バーテンダーも雇った。開業当初は1人でSAKE造りを行っていたが、現在はパートも入れると従業員は10人に増えた。カリフォルニアのカルローズ米を使い、約7銘柄のSAKEを造っている。
ロサンゼルスやマイアミのレストランやバーから人づてに聞いたと注文が舞い込むこともあるが、今は断っている。「まずは地元でSAKEを知らない米国人にSAKEを紹介し、地元のピザ屋やメキシカン・レストランなどにもSAKEを置いてもらえるように地元から固めたい」と話していた。
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加藤さんの東京杉並区高円寺の実家の部屋の壁には、高校生の時に渋谷で買った額に入ったブルックリン橋の白黒写真が今でも飾られている。ハードロックや米国ファッションにあこがれ、なんとなく気に入って買った写真だ。この橋が高円寺の実家の部屋からニューヨーク・ブルックリンのSAKEビジネスへの架け橋となった。
*日本産米を用いて日本国内で醸造した酒を「日本酒」、日本以外の国で造られた酒は「SAKE」と表記しています。