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連載「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」では、海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。今回のテーマは、「AI時代に必要な2つの学習力」です。(聞き手・執筆:高口康太)
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ライターにも「技術的失業」は来るだろうか。
先日、知人の編集者との雑談でAI(人工知能)が話題となった。「メディア向けのAI支援ツールのデモを見たのですが、かなりの性能でした。いずれライターは不要になりそうですね」とのこと。
2022年11月のChatGPT公開から約2年半、当初は「すごいけど、実際にどう仕事に使えばいいのか、悩ましい」ツールだった生成AIは、今や普通に使えるツールへと進化している。私も便利に使っているひとりだ。日々のAI利用回数がそろそろ検索利用回数と逆転しそうだ。一番よく使うのは完成原稿を書き上げた後のチェックで、以下のようなプロンプトを使っている(なお、情報漏洩を避けるため、入力したデータはAIの学習に使わないよう設定している)。
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以下はウェブメディア「DG Lab Haus」に寄稿する原稿です。社会人を読者に想定しています。
・誤字脱字がないか
・わかりづらいところはないか
・同じ語尾、表現が連続していないか
・事実の間違いはないか
・論理の飛躍はないか
・改善点はないか
確認してください
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的外れな指摘と納得できるアドバイスの比率は半々ぐらいだろうか。気軽にアドバイスをもらえるという意味では非常にありがたい。
と同時に、まだ先に思えていた「技術的失業」が身近に迫っていることも感じる。まだAIに仕事を奪われたことはないが、「○○○のウェブメディアはAIライターで記事を量産している」といった話はちょくちょく耳に入ってくるようになった。現時点のAIでも、プレスリリースと公開情報をまとめるような、シンプルな記事ならば、それなりの精度のものが作ることができそうだ。複雑な記事でも、ブラッシュアップだけではなく、記事の執筆そのものをサポートする使い方も可能だろう。
性能向上著しい生成AIが仕事にどうかかわってくるのか。そして、「技術的失業」の焦りを感じる我々人類はこの状況にどう向き合うべきなのか。最新の技術トレンドに詳しい、台湾の投資家マット・チェン氏に話を聞いた。
鄭博仁(マット・チェン、Matt Cheng) ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・ベンチャーズ)の創業パートナー。創業初期をサポートするエンジェル投資の専門家として、物流テックのFlexport、後払いサービスのPaidyなど、これまでに15社ものユニコーン企業に投資してきた。元テニスプレーヤーから連続起業家に転身。ジョインしたティエング・インタラクティブ・ホールディングス、91APPは上場し、イグジットを果たしている。
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――AIの性能向上はすさまじい。日々その恩恵にあずかっている一方で、自分の仕事がなくなるのではとの不安も高まってきました。
マット・チェン(以下、M):確かに。今春、シリコンバレーで「Vibe coding」(バイブ・コーディング)というワードが話題になりました。OpenAIの共同創業者、テスラの元AI・自動運転ディレクターというキャリアを持つコンピューターサイエンティスト、アンドレイ・カーパシーの造語です。
自分ではコードを書かず、AIに指示するだけでプログラミングを行う手法です。気の向くままお気軽に、AI頼みでコーディングが出来上がります。
――AIのプログラミング・サポートを徹底的に使うということでしょうか。
M:カーパシーがやっているのはもっと即興的で、気の向くままのコーディングです。AIが提案した修正項目はチェックせずにすべて受け入れ、バグの回避もAIにすべてお任せする。AIへの指示も音声入力を使っているので、ほとんどキーボードに触れないそうです。
仕事として精度を求められるプログラミングで実用的かどうかはともかくとして、その場のノリで気軽に指示しているだけで、それなりに動作するソフトウェアができてしまう、その試行錯誤を楽しむという意味合いです。
バイブ・コーディングはAIツールによって、アイデアをとりあえずの形にしたり、モックアップを作ったりするハードルが劇的に下がったことを意味しています。この劇的な変化を多くの人が感じているからこそ、話題になったのです。
今、AIプログラミングツールは劇的な進化を遂げています。2016年設立のユニコーン企業、米国のReplit(リプリット)はその代表格です。同社はブラウザ上で直接プログラミング、テスト、デプロイ(展開)ができるプラットフォームで、「誰もがクリエイターになれる」という企業理念に基づいてサービスを構築してきました。
2024年にAIアシスタント「Replit Agent」を統合したことでさらに開発ハードルが下がりました。ユーザーが文章を入力するだけで(例えば「チャットボットを開発したい」)、プログラムコードを生成し、自動的にデプロイし、調整の提案までしてくれるようになったのです。プログラミング経験がない人でも簡単なスマホアプリなら2分で作成できるほどの手軽さです。
4000万人以上もの開発者が利用し、2億3500万件以上ものプロジェクトが開発されています。当初は学生やフリーランス開発者などが主なユーザーでしたが、最近ではテック企業でもプロトタイプ制作に活用する動きが広がっています。
他にもCursor、GitHub Copilot、Clineなど、バイブ・コーディングを可能にするツールはいくつもあります。
――プログラマーにお願いしなくても、自分で簡単なモックアップが作れるのはステキですね。他人にお願いすると手間も面倒もかかるので、自分でいじりながらざっくりとしたアイデアを固められるとなればニーズは高そうです。
M:専門家に頼まなくても、AIに指示するだけで素人でもプロトタイプを制作できる。これはプログラミング以外でもイラスト、デザインの分野で起きています。
OpenAIは2025年3月、ChatGPTにテキスト入力でイラストやスケッチ、ユーザー・インターフェイスのコンセプト図を生成できる機能を実装しました。同社だけではありません。2022年設立の画像生成プラットフォームのIdeogramも3月にバージョン3.0を公開し、テキスト指示による画像生成に加え、既存画像のスタイル変更や特定領域への文字入れなど、従来のデザインソフトで行っていたような調整が可能になりました。デザインツールは難しくて使いこなせないという層でも、簡単に試すことができます。
Ideogramの企業理念は「誰もが創造できる」こと。Replitの理念とよく似ています。AIの支援を受けることで、作品を形にするハードルを下げています。
同様の構図は「起業」にも当てはまります。起業のプロセスは、大まかにアイデア(ideation)、製品化(productization)、そして市場投入(commercialization)の3段階に分けられます。以前は、これら3つの段階それぞれに異なる分野の専門的な分業が必要でしたが、現在ではAIツールがスキルの不足を補ってくれます。
たとえば、チャット型AIを使ってビジネスモデルの構想をブラッシュアップしていく、Ideogramを使ってブランド素材を作成する、Replitを通じて最初のプロトタイプ製品を作成するといった具合です。多くの専門家を集めてチームを作らずとも、アイデアさえあればすぐに着手できるようになるわけです。
起業家の多くは良いアイデアを持っていても、「市場ニーズがあるかがわからない」という段階で立ち往生することがしばしばです。市場調査には時間もお金も必要でしたが、AIは競合製品の洗い出し、ニーズの整理、シナリオのシミュレーションなどを支援してくれます。なにより、プロトタイプを作り、実際に人に見せて反応を確かめることができます。
あれこれと思い悩む前に、実践しながら学び、最適化していくことが可能になったのです。
――「試行錯誤するハードルが下がった。チャレンジしやすくなった」と見るととてもポジティブなのですが、「自分の専門的スキルを必要とされる場が減っていくのでは」と考えると不安な気持ちになります。
M:わかります。長い時間をかけて習得した知識やスキルをAIは陳腐化させてしまいます。このAI時代において、最も重要な能力とは何でしょうか? それはディープラーニング(Deep Learning)と自己学習能力(Self-Learning)だと私は考えています。すなわち、どれだけ深く、柔軟に、積極的に学ぶ能力を持っているかが、AI時代に価値を持つ能力です。
ディープラーニング(Deep Learning)とは、吸収した情報を自分なりの理解方法に整理し、体系的にアイデアを推進し、様々な状況で柔軟に応用できる能力を指します。記憶や複製のレベルにとどまるのでは価値となりえません。正しい問いを立て、迅速に解決策を策定、実践し、そのフィードバックから調整、最適化を続けることが求められます。
一方、自己学習能力(Self-Learning)とは、興味のある問題を主体的に探求し、行き詰まったときに自分で解決策を見つけ出す能力を指します。
知識量を競うのではなく、知識をちゃんと消化して理解すること。そこから新たな問いを立てること。この力を足場にすれば、「技術的失業」におびえるのではなく、AIによって開かれた新たな時代へと向かう自信につながる。そう信じています。
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自分のキャリアを振り返ってみると、パソコンやインターネットの発展がなければ、物書きの仕事を続けてこられなかったように思う。そうした技術がなかった時代には「紙の資料をファイリングして整理する能力」「どこの図書館のどの辞書に必要な情報が載っているかを把握している能力」など、私が苦手とするマメさが必要不可欠だった。
そう、AI時代の到来以前から、テクノロジーの発展は物書きにとって必要な能力を変えてきたのであり、AIが初めての大変革というわけではない。パソコンやインターネットの普及とAIの発展、この2つの時代で一番の違いは中年となった自分の年齢だろうか。新たなことを学ぶのはどんどん億劫になっているのは間違いないが、それでも時代に順応し、AIの発展を楽しみにする側に回っていきたいと思う。