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米国デラウェア州で創業 「Sango Kura Sake Brewery」はユニークなラベルで若者のSAKEファンをつかむ

ーナーで杜氏のジェイ・クーパーさん(左)、蔵人のジョナ・オーテリさん(右)

オーナーで杜氏のジェイ・クーパーさん(左)、蔵人のジョナ・オーテリさん(右)

 米国ペンシルベニア州のデラウエアで、SKAEを製造するサンゴ・クラ。2018年に開業、ペンシルベニア州で第1号、そして唯一のSAKEブルワリーだ。マンハッタンから車で約2時間、サンゴ・クラを訪ねた。

 オーナーで杜氏のジェイ・クーパーさんと、蔵人のジョナ・オーテリさんが案内してくれた。サンゴ・クラは日本食レストランを併設している。シェフはジェイさんだ。サンゴ・クラの隣にはジェイさんの両親が営むアップルパイが名物のベーカリーがある。

SAKEボトルとは思えない、ポップなラベル

 SAKEのテイスティングで目の前に並んだSAKEボトルのラベルに驚いた。「えっ!これが酒のラベル?」。1950~60年代にかけて流行った女性のファッションを身にまとった女性、カールした髪に、ホットなショートパンツ、左手には映画館で見かけるようなポップコーンの箱を持ち、右手にはお決まりのコカ・コーラ、ではなくサンゴ・クラのSAKEのボトルを持っている(写真左端のボトル)。映画『バービー』が描く時代のファッションに近い。

SAKEとは思えないユニークなボトルのラベル

 実はこのラベル、イラストではない。実際のモデルに衣装を着てもらい、フォト・スタジオで撮影したもの。撮影したのは地元ペンシルベニア州のアーティスト、ピンナップ・フォトグラファーのセレステ・ジュリアーノさん。彼女の写真集を見て魅了され、SAKEボトルのラベルの写真を撮って欲しいと頼み、完成したのが写真にあるボトルのラベルだ。

 アメリカン・コミック風のラベルもある。ジェイさんの友人で、こちらも地元の有名なタトゥー・アーティストで、コミック・アーティストでもあるジョッシュ・ボウドウエルさんが描いている。タコのような大きな怪物が、宇宙服を着て右手に日本酒のお銚子を持った女性を捕まえているSF風のラベル(写真左から2本目)。いずれもSAKEのボトルとは思えないユニークなラベルだ。こうしたユニークなラベルには、ジェイさんの地元のアーティストを応援したという思いも詰まっている。

日本酒のラベルはボーリング

 ラベルの図柄を決めるにあたって、ジェイさんは、マーケティング・リサーチをし、多くの人と飲料のラベルについて話もした。「日本酒のラベルはとっても、とってもBoring(退屈でつまらない)だ」とジェイさん。「どれも皆、同じような書道の文字で個性がないよ」と続ける。もっと、賑やかで楽しいものであるべきだと。確かに、ジェイさんの言うことも一理はある。正直、私は一度も日本酒のラベルが「Boring」だと疑問に持ったことはない。そういうものだと思っていたからだ。

「日本では、若者が日本酒を飲まず、売り上げは右肩下がりだと聞いている。米国はその逆だ。SAKEの売り上げは右肩上がりに伸びている」。日本の日本酒業界には長い歴史があるが、その市場は年々小さくなっている。こうした状況を憂うジェイさんは「だから何かをしなければいけない」という。

「日本ではウイスキーと炭酸水を混ぜたハイボールが若い人に人気だよね。日本の夏はとっても暑い。ハイボールはリフレッシュできる飲料だ。例えば純米吟醸を炭酸水で割る。日本には世界に誇るテクノロジーがあるじゃないか、それを利用しない手はない。昔ながらの日本酒の飲み方のルーティーンを脱皮する。それはギャンブルかもしれないが、私は日本での日本酒の売り上げのグラフが右肩上がりに伸びることを願っている。外国人は、SAKEはクールなアルコールだと思っているよ」

 サンゴ・クラのSAKEは、現在はペンシルベニア州のみでの販売だが、ニューヨーク州とニューヨーク市でのディストリビュート(流通と販売)のライセンスも申請しており、数カ月後には取得できると予測している。通常、配達は既存のディストリビューターを使うのだか、ディストリビューターのライセンスも取り、自社で配達も行うことで経費のコストダウンを狙っている。

 そして販売先として目指すのは日本食のレストランではなく、マンハッタンのイースト・ビレッジの若者が集まるようなヒップなバーや、パンク・ロックのバーにサンゴ・クラのSAKEを入れたいとジェイさんは言う。

缶のSAKEも販売している

ジェイさんと日本食の出会い、そしてビジネスへ

 ジェイさんが日本文化に興味をもったのは16歳の時に参加した、オレゴン州のスノーボード・キャンプだ。驚くことに、キャンプの半数が日本人だった。その時、日本のカレーライスを初めて食べて日本の食文化に触れ興味を持った。

 1999年、19歳の時に日本へ行った。京都の日本語学校に入学し、2年間を京都で過ごした。その時に河原町の居酒屋やバーでバイトをし、日本食、特に居酒屋フードや日本のアルコールについても学んだ。

 2001年、米国で起こった同時多発テロ(9.11)で、家族のそばにいたいと思い故郷に戻った。米国に戻った後、フード・トラックでビジネスを始めた。さらに両親の営むベーカリーの隣のレストランだった店を買取り、日本食レストランをオープンした。日本食レストランを始めたのは、いずれSAKEブルワリーを開業する資金を作るのが目的だった。ラーメンは麺からジェイさんが手作りし、焼き豚も一から仕込んだ。

 コロナ禍のパンデミツク期間中は、大都市を離れてデラウエアに移り住む人が増え、レストランの客も増えた。コロナ禍は彼のビジネスには大いに助けになり、レストラン・ビジネスで培った資金でSAKEブルワリーを開業することができた。

ブルワリーとレストランの前には最初のビジネス、フード・トラックで使っていたトラックがある

SAKEブルワリーの開業への道

 元々レストランがあった場所だったので、SAKEブルワリーのオープンの規制は厳しくはなかった。ペンシルバニア州にSAKE醸造所の申請をしてからライセンスの取得まで約1年半だった。「日本での醸造取得のラインセンスは厳しいと聞いているが、ラッキーなことにペンシルベニア州はもっとたくさんのスモール・ビジネス、税金収入が欲しかったのでそれほど厳しい規制はなかった」と話す。

 とはいうものの、米国ならではの出来事もあった。米連邦政府はSAKEがどういうものかを理解していたので「SAKE」でライセンスを取得できた、しかし、ペンシルベニア州は、SAKEを扱ったことがなかったので「ワイナリー」でのライセンス取得となった。今のところは、ワイナリーのライセンスで問題なくビジネスができていが、SAKEが州内でも普及すればこのあたりの扱いは将来変わるかもしれない。

 ビジネスをオープンするにあたり一番心配だったのは、地元の人々が酒に興味をもってくれるか、酒が売れるかということだった。デラウエアでは日本食と言えば、中国人が経営する“日本食もどきのレストラン”で、伝統的な日本食や居酒屋フードとは程遠い食べ物だ。

 ジェイさんのレストランには20代前半のカップルや若い家族連れが多い、日本の漫画を読んで、日本食、特にラーメンを食べてみたいという子どもたちが両親に連れられて店に来る。

 ジェイさんには幼い娘が2人いる。蔵名の「SANGO」は長女の、ミドル・ネームでもある。海の生態系において重要な役割を果たす、美しいサンゴ礁から命名した。サンゴが海の中で何十億もの生命体を育むように、酒蔵も発酵タンクの中で生命を育てているからと。

新潟大学日本酒学センターの前で(本人提供)

 今年に入って、ビールのブルワリーも併設した。SAKEブルワリーは長女に、そしてビール・ブルワリーは次女に。ジェイさんは子供のころから両親の店を手伝い食ビジネスに触れてきた。役立つことも、やってはいけないことも学んだ。

「娘たちが大人になった時に、ビジネスで成功しキャリアを築くチャンスになる場所を残したいんだ。それはビールや酒を醸造するという技術的なことだけではなく、仕事仲間と良い人間関係を築くこと、一生懸命に働くことを学んで欲しい」と娘思いの父親の顔も垣間見せる。

 2025年8月、ジェイさんは2週間日本に滞在。新潟県佐渡島の尾畑酒造が運営する廃校の小学校を酒蔵として再生した「学校蔵」で、外国人も受け入れる「酒造り体験蔵2025」に参加した。新潟大学日本酒学センターも訪れた。日本酒学センターでは、新しい知識を得て、大いに参考になったという。新しい「きょうかい酵母」(日本醸造協会が頒布している酒造用酵母。※「きょうかい酵母」は日本醸造協会の登録商標です。)使っての酒造りにも挑戦し、同センターで得た知識を今後の酒造りに活かして「もっといいSAKEを造りたいんだ」と目を輝かせる。

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