
LED植物工場におけるS字多段式ミニトマト栽培の様子(以下全ての画像提供:東京大学大学院農学生命科学研究科 矢守研究室)
太陽光のかわりにLED照明を使い、温度、湿度、二酸化炭素、溶液(肥料)などの栽培環境をコントロールしながら、閉鎖された環境の中で農産物を育てるLED植物工場。季節や天候に左右されず、省スペースで効率的に農産物を安定的に生産できるとあり、近年さまざまなスタートアップや企業がその事業に参入している。
しかし、従来のLED植物工場で生産されてきたのは、レタスやハーブなど、比較的少ない光量で育てられる「葉物野菜」が中心で、トマトやエダマメなどより多くの光を必要とする「果菜類」の栽培は難しいとされてきた。
こうした中、LED植物工場において、温室(土耕)栽培を上回る栄養価と甘さのミニトマトを栽培することに成功した研究チームがある。それが、東京大学大学院農学生命科学研究科の矢守航(やもり・わたる)准教授らの研究グループだ。
* * *
矢守氏によると、これまでトマトなどの果菜類は「栽培時に多くの光量と長い栽培期間を必要とする」ため、「LED植物工場では十分な品質や収量が得られない」と考えられてきた。
「しかし、本当にLED植物工場で果菜類が栽培できないのか。まずは検証してみようということで始まったのが、我々の研究です」(矢守氏)
矢守氏らの研究グループは、LEDの光の強さや照射方法を工夫することに加え、室内の温度や湿度、栽培に使う培養液の循環システムを細かく調整することで、甘味や栄養価が高い高品質なミニトマトを安定的かつ長期にわたって栽培することに「世界で初めて成功」したという。
その技術的なポイントはどこにあるのか。矢守氏はまず「光を無駄なく照らす効率的な照射」をあげる。
今回の研究では、ミニトマトの茎を垂直に伸ばして1本のワイヤに誘引し、上部からLEDを照射する「I字栽培」(従来ある手法)に加え、茎を水平に曲げながらS字状に多段の棚に誘引して、各層の側面からLEDを照射する「S字栽培」を開発・採用した。この「S字栽培」がブレイクスルーの大きな要因になったという。
「通常、植物を栽培するときには、上にあるものほど光がよくあたり、下になるほどあたりにくくなります。しかし『S字栽培』にすると、上から下まで、どこの葉っぱや果実であってもLEDの光があたりやすくなります。これにより、植物は効率よく光を吸収して光合成を行えるようになったというわけです。」
もうひとつの技術的なポイントとして「(湿度や温度などの)環境を精緻にコントロールする仕組み」を取り入れたこともあげる。矢守氏によると、ミニトマトの葉は湿度が下がると気孔(二酸化炭素を取り込むための穴)が閉じ、光が十分あっても光合成を行えなくなる。そこでLED植物工場内の湿度を過度に低下させないよう制御し、一定範囲内で安定的に維持する環境制御を行ったという。
またLEDは、蛍光灯と比べると発熱量は少ないものの、熱が出ることに変わりはない。LEDによって植物の温度が高くなり過ぎないよう、ファンを回したり、スペースを空けたりして、適切な温度を維持できるよう工夫も凝らした。
こうしたLEDの照射方法や環境の制御が功を奏し、ミニトマトの品質は大幅に向上。温室(土耕)栽培と比べて「ミニトマトの糖度が15%、ビタミンCが7%、リコピンが5%増えた」と矢守氏は胸を張る。
なお、果実の品質向上は「I字栽培」でも見られたが、「S字栽培」の方が、糖酸比(甘味と酸味のバランス)が良いうえ栽培期間も短縮でき、「より付加価値の高いミニトマトを安定的に栽培できた」とのことだ。
では矢守氏らの研究は、どういった社会課題の解決につながるのだろう。まず大きなメリットとして考えられるのが「気候変動に強い農業」の実現だ。
ご存じの通り、ここ数年猛烈な暑さの夏が続いている。農作物の安定栽培が難しくなる中で、矢守氏のもとには農家からの相談が絶えないという。
「(昨今の猛烈な暑さにより)夏野菜の収穫に大きな影響が出ています。さらに夏が長引くことにより、秋に種まきや育苗する野菜の栽培にも影響が出ます。こうした中で、農家の皆さんは本当に苦しんでいるようで、私のもとにも相談にこられます。未来のビジョンとして、天候に左右されにくいLED植物工場で農作物を生産できるようにしたいという思いが高まっているようです」
ちなみに、LED植物工場での栽培は光熱費がかかるため、野外栽培で生産したものに比べ価格が上がる可能性がある。そこで矢守氏は、実際に農家が導入する際には、(太陽光とLEDの)両方を組み合わせたハイブリッド型を提唱している。
たとえば、秋季の種まきや苗の育成にも、LED植物工場を活用した苗生産は有効だ。さらに、露地栽培とは栽培時期をややずらして、LED植物工場内で野菜を生産することで、気象リスクを分散し、収穫時期の調整や安定供給につなげることができる。
「こうしたことを鑑み、全体の2~3割を天候に左右されないLED植物工場で栽培し、残りの7~8割を露地圃場で生産することで、コストと生産安定性のバランスをとることが可能となります。こうした生産体系により、価格や品質、味を維持しつつ、年間を通じた農作物の安定供給が実現できると考えられます」
このほかにも、LED植物工場は都市のビルや地下空間でも栽培できるため、「都市部での食糧自給や(地方からの)物流コストの削減」に貢献できるという。
「地方から農作物を都市部に輸送する際には大きなエネルギーが必要ですが、都市部で生産できるようになれば、輸送にかかるエネルギーも限りなく減らせ、環境にも良い影響が出る可能性も高いと考えています」
さらにもう一点「閉じた環境での(農産物の)生産技術」は、将来の「宇宙での食料生産に寄与する」可能性も高いと矢守氏は強調する。
「閉じた環境の限られたスペースで、いかに効率よく農作物を生産するかというLED植物工場の課題は、そのまま宇宙空間での食糧生産の課題に直結します。そのため将来的には、月や火星での生活を支えるような“宇宙農業”の実現にも、我々の技術が貢献できるのではないかと期待しています」
今回の研究成果を公表したところ、矢守氏のもとには、種苗会社や電気機器メーカー、物流会社など、さまざまな業界の企業からの問い合わせが増えているそうだ。
「皆さん植物工場ビジネスが気になっていたけれど、葉物野菜だけだとなかなか事業を軌道に乗せるのが難しく、新しい技術やアイデアを探していたところに、我々の『果菜類が栽培可能になった』との発表があり、大きなインパクトを与えたようです。特にベンチャー企業から『一緒に何かできませんか』という問い合わせが多数寄せられています」
現在矢守氏らは、企業や自治体と連携しながらLED植物工場のさらなる普及や実用化を目指しており、特に「都市部での小規模なLED植物工場の設立」や「(ソーラーパネルなど)再生可能エネルギーと組み合わせたエコ型植物工場の開発」に力を入れていきたいとのことだ。
今後の展望について、まずは今回の栽培技術を他の農作物にも転用していくという。「これまで私たちは、ミニトマト以外にも、大玉トマトや枝豆などでも栽培に成功しており、我々の技術は他の農作物にも転用可能だと考えています。この先はイチゴ、パプリカ、食用花(エディブルフラワー)など新しい作物にも積極的に挑戦していきたいと考えています」
さらにその先には、AIを活用しながら「農作物の付加価値(おいしさ・香り・栄養価、収穫量など)を自由自在にコントロールできるような栽培技術の確立を目指したい」と矢守氏は意気込む。
「LED植物工場は、光の強さや栽培環境を変えることで、農作物の収穫量、味や匂いなどを自由自在にコントロールできる可能性があります。今後は、環境制御の最適化データとAIと組み合わせるなどし、農作物の付加価値をより一層高められるような栽培技術を確立していきたいと考えています」
植物工場ビジネスにはすでに多くの企業が参入しているが、ここ数年は、栽培できるものが限られていることや、電気代の高騰もあり、勢いが減速しつつある一面もある。こうした中で、矢守氏らの研究が新たな起爆剤となるのか。引き続き注視したい。