日本ではAI(人工知能)は「未来の技術」だと思われているが、中国では「現在の技術」だ。中国の技術力が圧倒的に日本を引き離しているというよりも、一般的に活用されているサービス、販売されている製品に「AI搭載」をうたったものがゴロゴロしているためだ。もちろん、そのすべてがハイレベルの技術力を持つわけではない。タブレットに手足をつけただけの“なんちゃってロボット”でも、IBMの「ワトソン」など他社のAIサービスにネット接続できるだけでAIロボットを名乗っている―安易なものも少なくない。
これぞ「バズワード」という流行りっぷりではあるが、ためらいなく新技術を受け入れ、珍重するあたりが、中国社会全体の前向きさを示している。そしてその姿勢がAIの社会実装(新技術の社会での活用)を後押ししているのではないかと思える。
こんなことを考えたのは先日、米アマゾンドットコムのWerner Vogels 最高技術責任者(CTO)のインタビュー記事を読んだからだ。
この中で、同氏は「AIは一般の人々に『人間を脅かすもの』と認識されているのが実情」だと指摘し、AIという言葉を意図的に使わないようにしていると認めている。確かに日本メディアは「スマート・スピーカー」を「AIスピーカー」として紹介することが多いが、アマゾンドットコムやグーグルは自らAIという言葉をクローズアップすることはない。
一方、中国企業発売している「スマート・スピーカー」はアリババの「Tモールジニー」やシャオミ(小米)の「AI音箱」などいずれも「人工知能音箱」(AIスピーカー)なる製品名がついており、AI搭載であることを前面に押し出している。
中国の人々はAIに限らず新技術を歓迎するムードが強いように感じる。例えば、「プライバシー保護を乗り越える中国のセキュリティ施策」の記事の中で紹介したようなスマート監視カメラ(画像認識で個人特定が可能で、インターネットで管理センターと連結した監視カメラ)は日本で設置すればプライバシー面からの批判は避けられないが、中国ではむしろ「より安全な社会を実現する新技術」として称揚される傾向が強い。
もちろんすべての新技術が歓迎されているわけではない。遺伝子組み換え作物や原子力発電所など、健康に直接関わる問題では欧米以上の強い反発が起きている。例えば上海トランスラピッド、いわゆる上海リニアは浙江省杭州市にまで延伸する計画があったが、電磁波による健康被害を懸念する住民デモが起きたことから計画は中断された。遺伝子組み換え作物については研究は進められているが、食用での解禁はめどが立っていない。日本政府による尖閣諸島国有化を発端として2012年には中国各地で反日デモが開催されたが、その時に遺伝子組み換え作物反対の横断幕が登場したこともある。中国政府がデモを黙認したことを好機として、日頃の主張を展開したというわけだ。
繰り返すと、健康とは無関係な分野ではためらいなく新技術導入し、邁進していくことができ、それが中国社会にある種の「未来感」を生み出しているのではないか。その意味で、日本を訪問した杜宏Tモール(アリババの大手企業向けネットショッピングモール)ベビーマタニティー事業部長から聞いた話が印象的だった。
2016年、アリババは「ユニ・マーケティング」という新たなコンセプトを導入した。EC(電子商取引)からSNS、映画やゲームなどの娯楽などのさまざまなウェブサービスからリアル店舗までカバーするアリババグループの力を生かし、特定の消費者の行動を補足。あらゆる局面から集めた情報を生かし、消費者にとって効果のあるマーケティング、宣伝を展開するという内容だ。今年11月11日、独身の日セール当日に、アリババグループのクリス・タンCMOも海外プレス向けの記者会見で「ユニ・マーケティング」の力について熱弁を振るっていた。
しかし言葉で説明されてもなかなか具体的なイメージがわかない。そう言うと、杜部長は次のように具体的な説明をしてくれた。
「ある子どもがSNSで次のようなつぶやきをしたとしましょう。“映画を見たんだけど、その中に出てた黒い肉まんがすごいクールだったよ“、と。翌日、その子どもがニュースサイトを見ていると、黒い肉まんの広告が表示される。それがユニ・マーケティングです。」
消費者の「関心」に応じて広告をカスタマイズするのは、グーグルをはじめ世界のウェブ広告企業がチャレンジしている技術だ。ただしこの時に必ずついて回るのがプライバシーの問題。欧米や日本では個人が特定できない形での情報収集・利用が落としどころとなりつつあるが、アリババは逆に個々のユーザーを特定しうるIDを割り当てることで、一人一人に最適にカスタマイズされたマーケティングを行なっている。また個々の企業が独自に蓄積した消費者のデータを、他社に提供することで利益を得られるというシステムも構築が進められているという。
今、アリババは積極的な買収、出資を進めている。各種のウェブサービスから百貨店などオフラインの小売りサービスまでをアリババ経済圏に収めることで、すべての消費者の行動記録を手にしようとしているのだ。テンセントなどライバル企業も負けじと経済圏拡大に余念がない。こうして収集されたビッグデータから、嗜好や必要なものを割り出すために必要な技術、それがAIである。
この時、プライバシー問題はどのように配慮されているのか。杜部長は言う。「プライバシーはきわめて重要であり、保護が必要だ。しかしユーザーが求めている製品、サービスをレコメンドすることはプライバシーに反するものではないはずだ」
日本の価値観から「むやみなAI活用は監視社会、ディストピアにつながる」と批判することは簡単だ。だが、中国社会の活気、前進力が無邪気な技術信奉に支えられていることもまた事実だろう。ユニ・マーケティングの具体的な成果は一般公開されていないが、アリババと提携した企業には広告のクリック率の高さ、購入率の高さという形で可視化されている。それは企業にとって有益というだけではなく、消費者にとって有意義な広告だったという解釈もできる。
中国の社会で次々と実装されるこれらの仕組みを知ることは、私たち価値観から生まれた規範に沿った対応で、技術革新の時代を上手くやっていくことができるのかを考える契機になるだろう。