社会が豊かになって、教育水準が上がり晩婚化し、先進国の仲間入りをした国はどこも少子化に悩まされることになる。さまざまな国の政府が少子化対策を行っているが、決定的な対策はない。
少子化とは逆に、労働力人口が増え経済成長が著しい状態が「人口ボーナス」だ。この時期に教育への投資も増え教育水準が上がるので、人口ボーナスとその後の少子化はセットと言っていい。
今まさに少子化に直面しつつある中国では、経済成長を持続するため「人口ボーナス」に続いて、「開発者ボーナス」とでもいうべき状況を現出するための政策が進められている。
開発者ボーナスとは、つまりソフトウェア・ハードウェアの開発者、発明家や起業家をふくめて「新しいものを作り出す人が増えることで経済が成長する」ということだ。中国にIT技術者が何人いるのかについては諸説あるが、世界のIT技術者についての統計をまとめたヒューマンリソシアの資料(2020年3月)では227.2万人とある。14億の人口から見ると微々たるものだ。
Webブラウザーの「Netscape Navigator」などの開発者として知られるマーク・アンドリーセンが「ソフトウェアがすべての産業を食い尽くす」と語ったように、多くの産業にとってIT技術が中核となっている。広告で稼ぐグーグル、流通がメインビジネスのアマゾン、さらには金融業が中心の中国アリババ集団。業種は異なるが業務のコアはソフトウェアシステムの開発だ。
この先もさまざまなソフトウェアが、既存のビジネスを置き換えていくだろう。その過程においてもソフトウェアは不断の改善が必要となる。ムーアの法則によりコンピュータの性能が向上すると、ソフトウェアへの要求も変わってくるため、新しいソフトウェアやIoTハードウェア開発者の仕事は無限にあり、しかもその出来不出来がビジネスの結果を決める。開発者こそが産業の中心になりつつあるということだ。
1960年代の日本高度成長や、2000年代から今に至る中国の急成長を支えた要因のひとつは「人口ボーナス」だ。人口ボーナスとは、正確に言えば「労働力人口ボーナス」というべきだろう。働く人が増え、工場などの操業が盛んになれば、そうした人々や工場が必要とする周辺産業も増える。この時期は所得や売上が増えていくため、働く人や企業にサービスを提供する産業も伸びるので、社会全体が一気に豊かになる。
人口ボーナスの恩恵を最大化するには、単に人口が増えるだけでなく、工業化によって人口がそのまま労働力に転換できることが重要で、工業化以前の国では、人口だけ増えてもあまり意味がない。たとえばインドやアフリカ、ミャンマーやインドネシアなどは、工業化の遅れが人口ボーナスの開始を遅らせていると言われている。
一方で中国は、まさに人口ボーナスの恩恵を全身で受けてきた。1984年頃から加速した改革開放による「世界の工場」化による工業化。そして、それまで都市に人口を集中させないようにしてきた政策を段階的に解禁したことにより、全人口の伸びは鈍くなっても、農村から都市への人口移転などで都市部の労働力人口が伸び続け、ボーナス期が長く続いた。
しかしここ数年、それも終わりを迎えつつある。長らく続いた「一人っ子政策」と呼ばれる人口抑制政策は、2015年末に廃止が決定され、2021年には夫婦1組につき3人の子供を認めるまでになったが、労働力人口が減少に向かう流れはもう止められないだろう。一人っ子政策を取らなかった台湾では、より早く経済的に豊かになったが、少子化も早く始まっている。さらに早くから豊かになった日本がどうなっているかは説明不要だろう。人口ボーナスがもたらす社会の豊かさ、その後に来る教育水準の高さがもたらす晩婚化と経済成長の鈍化は、まだどこの国も解決できていない課題だ。
一方でソフトウェア中心の産業移転はまだ始まったばかりだ。中国ではアリババ集団やテンセントに代表される巨大IT企業が目立つものの、ソフトウェア開発者は人口に比してまだまだ少ない。先に紹介した調査ではアメリカが477.6万人、日本が109万人とあり、現在227万人に留まる中国は、アメリカの5倍近く、日本の10倍を超える人口を持つことを考えると、今後、開発者の数は急速に伸び、少なくとも今の5倍の1000万人を超えるであろうことは予想できる。
現時点の中国では従来型の下請け製造業もまだ重要な役割を果たしている。その一方でアリババやテンセントのようなソフトウェア企業も多く登場しているのはご存知のとおりだ。さらに、2020年から始まりつつあるオープンソース・ソフトウェアへの大胆な取り組みは、「ソフトウェアエンジニアになる・ソフトウェア産業で働く・起業する」選択肢を更に広げることになるだろう。
筆者を含めたチームが現在翻訳中の「中国オープンソース発展ブルーブック2021」にも、「中国は人口ボーナスから開発者ボーナスにまさに突入しつつあり、世界最大の開発者マーケットに向けて進んでいる」(中国正在从人口红利进入到开发者红利时代,很快将成为全球第一大开发者市场)という解説がある。
これまで筆者が何度かお伝えしている中国のオープンソース政策の狙いのひとつは、あきらかにこの「開発者ボーナス」だろう。
発明や創造をもたらすソフトウェア開発者は、エンジニアであり起業家であり投資家である。ポール・グレアムの名著『ハッカーと画家』にあるように、画家同様に創造的な人材であり、工員のように教育、訓練だけで生み出すのは難しい。とはいうものの、国の教育水準と開発者の数はある程度比例する。つまり画家に美術大学があるように、開発者にもコンピュータサイエンスの専門教育課程を持つ大学があり、教育と無縁だというわけではない。
開発者ボーナスを実現するための中国の中心戦略は、オープンソースの普及と教育へのオープンソースの導入だ。中国は今も5カ年計画による計画経済で公共投資を行っているが、「第14次5カ年計画(2021年〜2025年)」には、明確に「オープンソースのエコシステム全体の支援」「ライセンスの普及やオープンソース普及活動を行う財団への支援」など、エンジニアへの支援に留まらないオープンソースのエコシステム全体への支援が記載されている。
多くの優れたソフトウェアに自由に触れ、ソフトウェアを構成するソースコードを読み解き、改善を提案して受け入れられるまでを体験できるオープンソースは、これまでアメリカをソフトウェア大国たらしめてきた大きな要素である。
前述の「中国オープンソース発展ブルーブック2021」では、それを更に推し進め、「企業でのオープンソース導入や自社ソフトのオープンソース公開を奨励」「教育機関でのオープンソース導入を奨励」など、オープンソースの普及による社内外のエンジニアの連携を促進することが更に「開発者ボーナス」を促進する効果について語られている。
中国製のソフトウェアは、安定性などの品質や共同開発などの手法についてもまだ発展途上の状態が続いている。オープンソースはそれに対する解決策にもなりうる。
2015年から中国は「大衆創業、万衆創新」というキャンペーンを始めた。エリート主導、国営企業のトップダウン主導に偏っていた中国で、起業やベンチャーキャピタルなど、ボトムアップを含めた起業支援ビジネスに対しての規制緩和を行った。補助金や税金の減免などの優遇策を行ったこのキャンペーンは、中国を起業家大国にすることに成功した。そして成長を持続させるためと次なる戦略が、開発者の育成だ。
筆者は、中国オープンソースアライアンスの今のところは唯一の国際メンバーでもある。そうしたことから、開発者ボーナスを生む中国のオープンソース推進については今後も注目をし、その経過を追いかけていきたいと考えている。
おそらく今年、来年に始まる大規模なオープンソース支援策がどういう結果をもたらすのか、少子化については中国よりもさらに深刻な日本の産業界からも注目しておいても損はないだろう。