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4年後、誰もが高性能コンピューターに手が届くように〜「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」開発順調

「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」を開発する早稲田大学の戸川望教授 博士(工学)

「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」を開発する早稲田大学の戸川望教授 博士(工学)

 量子コンピューターは従来のスーパーコンピューターを上回る能力を持つ“夢のコンピューター”と言われている。(「手が届く”夢”のコンピューター『量子アニーリングマシン』とは」|DG Lab Haus記事)実用化にはさまざまな課題があるが2017年にカナダのD-Wave社が量子アニーリング方式のマシン「D-Wave 2000Q」を発売した。さらに同年、NTTが「コヒーレイトイジングマシン」を、そして2018年に富士通が「デジタルアニーラ」を発売している。

 量子コンピューターのなかで、量子アニーリングマシンを含めてイジングマシンと総称されるこれらのマシンは、膨大な選択肢から最適な組み合わせを選び出す「組み合わせ最適化問題」を解くことに特化した新しいコンピューターだ。

 金融や創薬、次世代モビリティなどさまざまな産業分野の研究開発を進めるにはより複雑、大規模な組み合わせ最適化問題を解く必要がある。ゆえに今後、こうした研究開発には欠かせないイジングマシンだが、実際にそれらの問題を解こうとするとき、その過程で避けて通れない課題が存在する。 

 イジングマシンで組み合わせ最適化問題を解くには、問題を「イジングモデル」と呼ばれる特殊なモデル(模型)にセッティングできるよう変換しなければならない。この作業は非常に難しく、(現状では)イジングマシンの研究者や開発者の知識やノウハウを結集して手作業で行われている。

 この変換作業を自動化できれば、イジングマシンの実用性は飛躍的に上がるだろう。早稲田大学教授の戸川望氏(大学院基幹理工学研究科 情報理工・情報通信専攻/基幹理工学部 情報通信学科)は自動化のための「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」(※)開発の中心メンバーのひとりだ。その戸川氏に、「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」の仕組みや開発の展望について聞いた。

戸川氏らが開発している「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」のイメージ図。クリーム色に塗られているのが開発範囲。

戸川氏らが開発している「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」のイメージ図。クリーム色に塗られているのが開発範囲。(図をクリックで拡大)

※国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が採択した研究開発プロジェクト。正式名称は「高効率・高速処理を可能とするAIチップ・次世代コンピューティングの技術開発/次世代コンピューティング技術の開発/イジングマシン共通ソフトウェア基盤の研究開発」。早稲田大学(代表事業者)、東京工業大学、情報・システム研究機構 国立情報学研究所、国立研究開発法人産業技術総合研究所、豊田通商、フィックスターズが参加。

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——まずは「イジングマシン」がどういうものか教えてください。

「イジングマシン」という言葉は耳慣れないかもしれませんが、これはいわゆる量子アニーリングマシンを含むもう少し広い概念の言葉だと思ってください。量子アニーリングマシンは、量子効果を使っているものですがNTTのコヒーレイトイジングマシンや富士通のデジタルアニーラは、量子効果を使うのではなく、これを模擬するような仕組みを構築し、同じような効果を得ています。こうしたマシンの総称として「イジングマシン」と呼んでいます。

 イジングマシンは組み合わせ最適化問題に特化したプラットフォームです。組み合わせ最適化問題の代表的なものは「巡回セールスマン問題」。これは、セールスマンがN個の都市を回るときに一番効率のいいルートを見つけるという問題ですが、こうした問題に答えるには、基本的には全ての選択肢を算出し比較するしかありません。これを従来のコンピューターで行うと天文学的な時間がかかってしまいます。ところが、イジングマシンは非常に短い時間(一瞬)で答えを得られます。

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 なぜ短い時間で答えを得られるのか。その理由のひとつはイジングマシンが内蔵する「イジングモデル(模型)」にあると戸川氏はいう。イジングモデルは、自転する「スピン」が格子状に並んだ計算システムだ。スピン同士は磁石のように相互作用しており、引かれ合うエネルギーが強いときは同じ向きに、反発するエネルギーが強いときは逆を向く。

 組み合わせ最適化問題を解くときには、このスピンに、問題に応じた(磁力などの)エネルギーをかけ、収束後のスピンの向きから答えを導き出していく。注目したいのは、エネルギーをかけてからスピンの向きが安定するまでの時間が極めて短いことだ。

 「イジングマシンは、従来のコンピューターのように膨大な数の演算を繰り返すのではなく、非常に短い時間(一瞬)で収束する物理現象を利用するため、答えを得るまでの時間を大幅に減らすことができるのです」(戸川氏)。

専門家以外でもイジングマシンが使えるように

——そんなイジングマシンをより使いやすくするという「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」とはどのようなものでしょう?

 今ご説明したイジングマシンと、現実にある課題との間には、大きな隔たりがあると思いませんか? 例えば、先ほどの「巡回セールスマン問題」をイジングマシンで解くためにセッティングしてくださいと言われても、一般の人にはまずできないですよね。そこで我々が開発しているのが、現実世界の課題と、イジングマシンとの乖離を埋める「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」です。

  戸川氏によると「イジングマシン共通ソフトウェア基盤」とは、現実世界の課題を解くためのアプリケーションとイジングマシンの間に「2つの変換工程を設けること」だ。ひとつは、使用するイジングマシンのハードウェアを意識しないでイジングモデルを自動で作る「論理イジングモデル」という工程。もうひとつが、論理イジングモデルを、ハードウェアを意識したものに自動変換する「物理イジングモデル」という工程だ。

「端的な例を挙げましょう。例えば、D-waveの量子アニーリングマシンにはスピンが2048個あります。それに対して、例えば巡回セールスマン問題をイジングモデルに落とし込んでみたら、1万個のスピンが必要だったとします。当然、1万個を何らかの形で分割していく必要があります。良いイジングモデルが作れないと良い回答は導き出せません。そこで、まずは1万個のスピンを使う理想的なイジングモデル(論理イジングモデル)を作り、その後に、各種ハードウェアに寄り添うよう、例えば1万個必要であれば、2千個×5回などに分割してあげます。そうすることで、物理的に実行可能なイジングモデル(物理イジングモデル)に落とし込みましょうというのが、私たちのアプローチです」(戸川氏)

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 イジングマシン共通ソフトウェア基盤が完成すると、ユーザーは解きたい問題内容やハードウェアを入力することで、スピンの数やスピンの結びつきの強さ設定などを教えてもうことができ、専門家でなくともイジングマシンを利用できるようになる可能性が高いという。

完成見込みは4年後

 イジングマシン共通ソフトウェア基盤はいつ頃できあがる予定なのだろうか。

「イジングマシン共通ソフトウェア基盤の研究開発」は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が採択した研究開発プロジェクトだ。戸川氏は、「事業期間が終わる2023年3月末までには完成する見込みです」と4年後の完成目標に向かって開発が進行中であることを教えてくれた。

 海外に目を向けても、汎用性のあるイジングマシンの共通ソフトウェア基盤を開発する取り組みは見当たらないという。世界に先駆ける、という意味でも、戸川氏らの研究開発には大きな期待がかかる。

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有限会社ガーデンシティ・プランニングにてライティングとディレクションを担当。ICT関連や街づくり関連をテーマにしたコンテンツ制作を中心に活動する。