最初にこのデータを見ていただきたい。
これは報告書『中国シェアリングエコノミー発展年度報告2019』(国家情報センター・シェアリングエコノミー研究センター、2019年2月。以下、『報告2019』と略記)に掲載された、中国のシェアリングエコノミーに関する統計だ。7500万人がシェアリングエコノミーで働き、7億6000万人がサービスを享受するという、すさまじい規模感だ。
一般社団法人シェアリングエコノミー協会によると、日本のシェアリングエコノミー市場の取引規模は1兆8874億円。統計の基準が異なるとはいえ、単純計算では中国のシェアリングエコノミーは日本の25倍にまで成長しているわけだ。
『報告2019』では中国のシェアリングエコノミーを交通、宿泊、知識技能、生活サービス、医療、オフィス、生産能力の7つに分類している。交通はウーバーなどのライドシェアやトラックドライバーのマッチング、シェアサイクルなど。宿泊は民泊。知識技能はクラウドソーシング。生活サービスはウーバーイーツなどの出前代行。オフィスはコワーキングスペースやレンタルスペースと代表的なサービスが思いつくが、分かりづらいのが医療と生産能力(製造業)だろうか。
医療分野での例としては、医師が空き時間を利用してオンライン相談に答える。また、診療施設やナースなどのスタッフを備えた場所を医師に貸し出すなどの事業がある。生産能力では発注する顧客と設計者、工場をマッチングするプラットフォームが主なサービスだ。
生産能力のシェアリングエコノミーで代表的なサービスである、アリババグループの「淘工場」では医療品、宝飾品、バッグ、日用品など1万5000の工場が検索可能で、顧客はネットショッピングのような操作性で商品の製造を依頼する工場を探すことができる。またアリババグループの持つデータを使って、「これからヒットするデザイン」などの予測を発表している点も興味深い。
さて、これほど多様なサービスをすべて「シェアリングエコノミー」という言葉でまとめてしまうと、そもそもシェアリングエコノミーとはなにか?どういう定義なのかが気になるところだ。『報告2019』は次のように定義している。
『シェアリングエコノミーとはインターネットなど現代情報技術を利用し、使用権のシェアを主要な特徴とした、大量かつ分散したリソースを統合し、多様化したニーズを満足させる経済活動の総和である。シェアリングエコノミーは情報革命が一定段階にまで発展した後に出現する新たな経済形態であり、各種の分散したリソースを統合し、多様化したニーズを正確に発見し、需要・供給の双方を速やかにマッチングするもっとも優れた資源配分方式である。』
(太字は筆者)
ますますもって頭がこんがらがりそうだが、ポイントは「使用権のシェア」と「需要と供給のマッチング」にある。シェアリングエコノミーを代表する企業はライドシェアのウーバーと民泊のAirbnbだが、いずれも車や住宅など自らの保有する資産をシェアするというモデルだった。しかしその後生まれたサービスには、必ずしも使用権のシェアにあてはまらないものも多い。むしろ需要と供給の速やかなマッチングという側面がクローズアップされている。
マッチングされるリソースには上述のとおり、さまざまなものがあるのだが、その中でも最大のものは出前代行に代表される労働力である。『報告2019』が示すシェアリングエコノミー7分野の分野別取引額は以下の通りだが、実は過半数は出前代行を主とする生活サービスが占めているのだ。今や出前代行の取引額は外食市場の売り上げの10%を占めるにいたっている。
総計:2兆9420億元(約46兆8000億円)、前年比41.6%増
長期雇用ではなく、ミュージシャンのギグ(1回かぎりの演奏)のように都度、仕事を請け負うモデルをギグエコノミーと言う。当初は弁護士やデザイナーなど専門技能を持つ人がひとつの会社に属さず、プロジェクト単位で仕事を受けることを意味していたが、現在では配車アプリのドライバーや出前代行の運び手など、単純労働力の動員を指すケースが増えている。自由で企業に依存しないというポジティブな意味合いから、不安定な雇用、安い賃金、社会保障の欠如などネガティブな意味合いへと変化したわけだ。
だが、先進国とは異なり、中国ではギグエコノミー(中国語では「零工経済」、仕事がきわめて細分化された形態の経済モデルという意味)に対する批判は少ない。『報告2019』でも、こうした新しい働き方は「貯水地」「安定器」であり、「柔軟な労働者」という就労の成長分野だと高く評価している。
こうした評価の違いは前提条件に由来している。先進国では、安定した仕事を失いギグエコノミーという不安的な境遇に追いやられたという経緯だが、中国は違う。さまざまな職を転々としていた非正規労働者、無業の遊民と言われるような人々は以前から多い。ライドシェアがある前から白タクがあり、出前代行ができる前からレストランの出前配達はあった。その日暮らしの人々の中に、モバイルインターネットをぶち込んだらギグエコノミーに変わったというのが中国の流れだ。
神戸大学の梶谷懐教授は次のように指摘する。
『昨今のアリババなどのIT企業により提供される取引仲介のプラットフォームは、それが中国の伝統的な商習慣にマッチしていたという理由もあり、すさまじい勢いで中国社会に普及し、人々の生活スタイルを急速かつ根本的に変えつつある。それらの膨大な顧客情報の集積を通じた仲介サービスの提供は、「仲介」や「評判」をベースにした「包」などの伝統中国の商習慣をテクノロジーによって現代的にアレンジしたものという側面をもっている。』
*包=ある仕事を第三者に丸投げすること、請負
梶谷懐「中国の非正規労働問題と「包工制」」石井知章編著『日中の非正規労働をめぐる現在』御茶の水書房、2019年。
昔ながらの非正規労働はマッチングプラットフォームに載せることによって、一気に活用の幅が広がった。そしてギグエコノミーの需要が高まるなか、人手不足が深刻化し、労働者に支払われる賃金は上昇傾向にある。
中国でイノベーションが進むシェアリングエコノミー、ギグエコノミーは、泥臭い昔ながらの中国の歴史を引き継いだもの。“その日暮らしの人々”は、モバイルインターネットの力で、“デジタルその日暮らしの人々”へとアップグレードしたというわけだ。
昔ながらの非正規労働がモバイルインターネットに包摂されたこと、それによるメリットはマッチングの効率化にとどまらない。ギグエコノミーにまつわるさまざまなデータが蓄積され、AIによる効率化へと繋がっている。
『報告2019』によると、出前代行大手の美団外売は配送員への仕事割り当てにAIを導入して、配送コストを20%引き下げたという。ライドシェア大手の滴滴は車両走行データをもとに適切な配置や注文の振り分け、到着時間の正確な予想などに役立てている。“デジタルその日暮らし”によって蓄積されたデータにより、次は“AIその日暮らし”へと進化が図られている。