待望の春に街の表情が明るくなった5月中旬、エストニアの首都・タリンで、世界から注目を集めるスタートアップの祭典『Latitude59』(北緯59度 タリンの緯度)が開催された。筆者にとっては2年連続となる同イベント。昨年は一般の来場者のひとりとして、今年はエストニアの企業の一員としての参加となった。当日は日本からも多くのビジネスマンが足を運び、チケットは売り切れ。2,500名にも及ぶ来場者の活気で溢れた会場が、エストニアの勢いを物語っていた。今回は、Latitude59の中でも特に筆者が注目したセッションについて、レポートしていきたい。
同国が誇る電子国民プログラム”e-Residency”のセッションは今年も注目を集めた。トークセッション“e-Residency: The Challenges of Borderless Entrepreneurship”では、実際にe-Resident(電子国民)としてグローバルで活躍する起業家たちが登壇。同プログラムのマネージングディレクターOtt Vater氏がモデレーターが務め、それぞれの原体験や抱えている課題などについて深掘りした。
e-Residencyは2014年にローンチされた電子国民プログラムで、e-Residencyカードを取得することでエストニアの行政サービスをオンラインで利用することができるようになる。具体的にはエストニア法人の設立や、電子署名などの利用が可能で、世界で約60,000人、日本からは約3,000人の電子国民がこれまで誕生した。
今回のセッションで最も盛り上がったテーマは、「今までのe-Residencyの体験を通して最も大変だったことは何か」という問い。「大変だったのはe-Residencyを取得した後」と登壇者たちは口々に答えた。米国出身で、韓国在住のソフトウェアエンジニアIan Wagner氏は「税制」の部分で戸惑ったという。というのも、米国の税制は属人主義を採用しているため、エストニア、韓国、アメリカの3カ国の税制に配慮しなければならなかったためだ。前例がなく、各国の税理士と相談しながら丁寧に対応した、と彼は語った。
また、トルコ出身のArzu Altinay氏は、あまりにも簡単に法人が登記でき、目の前に多様な選択肢があったため、「どのようにビジネスを拡大していくか」という点で非常に悩んだと話す。
確かにエストニアで起業をすることは、SNSアカウントを開設するぐらい手軽なことなのたが、その後の事業運営でつまずくことも少なくない。一方で、e-Residencyプログラム自体は政府機関の限られたリソースで運営されているため、全ての要望に答えることはできない。そういった課題を乗り越えるべく、現在同プログラムはさまざまな民間企業と連携し、マーケットプレイスを展開する中で、事業ごと、国ごとの課題の最適化に挑んでいるという。
プログラムの最後には、e-Residentによる非営利団体eERICAの設立も発表された。この組織は、e-Residencyの運用について悩みを抱えるe-Residentをサポートしたり、e-Residentコミュニティの代表として利用者の声を運営側に進言したりすることを想定して設立されたという。民間企業や、e-Resident自体を巻き込んだエコシステムを形成しながら発展を見せるe-Residencyの今後に注目が集まる。
エストニアの起業家がそれぞれの起業秘話を明かす“Super angel Founder Story”に登壇したのは、国境を超えて起業と人材をマッチングさせるサービス、Jobbaticalの創業者、Karoli Hindriks氏だ。「人の上に立つことは時としてとても孤独」。そう前置きした上で、彼女はスタートアップのマネジメントに必要ないくつかの心構えを示した。
ひとつ目の心構えは、「資金調達は慎重に」ということ。いつ資金調達をするか。これは全ての創業期のスタートアップが直面する課題の一つだが、Karoli氏は「創業18ヶ月以内の資金調達は危険」と答える。彼女によれば、創業6ヶ月以内に資金調達を行う企業が大半だが、その結果のほとんどは芳しくないというのだ。
また、「NOと言う達人になろう」という発言も興味深かった。起業家のもとには往々にして「今度お茶でもいかがですか?意見交換でもしませんか?」というお誘いの声が舞い込んでくる。そこで自分に問いかけるべきなのは、「その交流が自分のビジネスにどのように寄与するのか。時間の無駄になってはいないか。」ということだと彼女は言う。無作為に周囲のアイデアや提案に耳を傾ければ、時として自分が本来描いていたビジョンを見失いかねない。自分に必要な知見を見極めつつ、時には「NO」とはっきり言うことで、自分のビジネスに集中することができる、と秘訣を明らかにしてくれた。
最後にあげたのは、「選択と集中」。チーム内で新しいアイデアを出し合うことはとても簡単である一方で、どれだけ魅力的なアイデアであっても、それら全てを採用してしまえば組織の方向性は分散し、自分たちが本来すべきことを見失ってしまう。「時としてやるべきことを取捨選択し、集中して取り掛かることが重要です」と締めくくった彼女の表情が、その重要性を物語っていた。
2日目の終盤に開催されたのは、スタートアップエコシステムの調査とリポート、およびエコシステム開発のコンサルティングを手がけているStartup Genomeによるセッション ”The Global Startup Ecosystem Report 2019” 。事業開発マネージャーのAdam Bregu氏が、2019年5月にリリースされた同社のレポート(https://startupgenome.com/reports)をもとに、世界におけるスタートアップエコシステムの様相について明らかにした。
まず世界全体の様子を俯瞰すると、現在、世界中のスタートアップによって生み出される付加価値のうち、67%がアメリカで生み出されており、2019 Global Startup Ecosystem Rankingによれば、トップ30都市のうち、12を北米が占めているという。「未だスタートアップエコシステムの偏りは顕著であり、小規模なエコシステムが国境を超えてシリコンバレーやロンドンといった巨大なエコシステムに太刀打ちすることは難しい」とAdam氏は語る。
一方、エストニアに目を向けてみると、スタートアップエコシステムのライフサイクルのうち、最も初期段階に当たる活性化期(Activation)にあるという。未だスタートアップの経験や資源が蓄積されておらず、企業によるアウトプットと初期段階の資金調達に一層力を入れることが求められる段階だ。それを踏まえ、Adam氏は「小規模なエコシステムにおいては、地元の産業の強みを政治家や起業家が理解し、集中的に発展させることでエコシステムのパフォーマンスを向上させることができる」と強調する。
エストニア政府は国内におけるサイバーセキュリティ分野の活性化に注力しているほか、国際送金サービスを提供するTransferWiseがユニコーン企業としての地位を確立したことで、フィンテック分野の機運も高まっているとの分析だ。
また、 エストニアの強みとして、外国人の起業家が参入するための土壌が整備されている点があると同氏は続ける。電子行政のサービスやe-Residencyなどの取り組みによって育まれてきたこの環境は、他のエコシステムにはない強みであり、今でこそ経済規模は小さいものの、今後の成長に期待がかかると同氏はセッションを締めくくった。
今年のLatitude59では、メインステージであるBlue Stageではなく、あえてサブステージであるYellow StageやTerrace Hallを注目した。去年も参加したが、メインステージではサイバーセキュリティやブロックチェーンというキャッチーでマクロ的なテーマが多く“自分ごと化”がしづらいと感じたからだ。その甲斐もあり、今年はe-Residencyや起業家のストーリーといった身近なテーマで、スタートアップの祭典を楽しむことができた。プログラムの最後には、「Latitude59」のカナダへのグローバル展開も発表された。今後とも目が離せない。(写真・取材協力:細井響)