Libraの登場がもたらしたインパクト
2019年6月18日、Facebookを中心とする28社による非営利団体Libra協会が設立され、暗号資産(Webサイトでは「暗号通貨」)「Libra」と、サービスの運営・開発を行う規制対象子会社「Callibra」の設立、および2020年前半での運用開始を発表した。Libraの基本的なビジョンは、Financial Inclusion(金融包摂)にある。つまり、unbankedな人(銀行口座を持てないような人)に対しても、ブロックチェーン技術をベースに、金融サービスへのアクセスを提供するとしている。
一方で、同日に発表されたLibraのホワイトペーパーは、金融業界、および規制当局に大きな波紋を投げかけている。それは、Libraのエコシステムが、国境や国際的なコントロールを超える、グローバルの決済システム、およびより高度な金融システムの実現に繋がるものに見えるからだ。これ自体は素晴らしいもののように思えるが、一方でこれまで金融システムが守ってきた「規制の目標」を脅かす可能性も指摘されている。こうした姿勢を単純に、既存の(場合によっては保守的な)金融機関や国家と、新しいグローバル金融システムとの「新旧の摩擦や対立」のように取り上げられる議論も散見される。
しかし、本当に必要なのは、新しい技術やサービスが、「個人に便益を与え、同時に社会に便益を与えるもの」であるかどうか、またそのような状態にたどり着くために、どのような改善を誰が行うか、という建設的な議論であるはずだ。本稿では、より冷静な議論を行うための論点を示していきたい。
必要な論点の切り分け
Libraが発表された当初は、この協会に名を連ねた企業の名前の大きさもあり、ブロックチェーンを利用した新たな金融システムの本格登場のように考えられた。一方で、それほど時を置かずに、規制当局からはさまざまな懸念が示さるようになった。
Libraが提示している論点は多岐に渡るために、必要な論点を切り分ける必要がある。本稿では、
- Facebookのようなテックジャイアントの存在に関わる論点
- 金融システムとしての論点
- Libraのビジネスモデルにおける論点
に分けて議論することにしたい。
1.テックジャイアントにまつわる論点
Libraに対して政府や規制当局が大きな反応を見せている理由のひとつが、Libraの主要プレイヤーがテックジャイアントの一角であるFacebookである、ということだろう。筆者としては、同じ技術やビジネスモデルであるにも関わらず、主たるプレイヤーの名前によって異なる規制の議論を引き起こすとすれば、そのこと自体は健全ではないと考えている。つまり、Facebookであろうと、別の会社であろうと、このアイディアがグローバル金融に与える影響には差異がないからである。
とは言え、Facebookであることに起因をして議論が起こっているのは事実である。それは、ケンブリッジアナリティカの事件に象徴されるようにプライバシー保護の問題や、政治への介入のツールとして使われるようになったことなど、国家や市民を脅かす存在となったことや、広告モデルによるビジネスがプライバシーの侵害に結びついていることなど、同社が社会インフラとして影響力が大きくなっているにもかからわず、その担い手としての適格性に大きな疑義があることによる。
Facebookであるということから過剰な反応を受けているとすると、それは「テックジャイアントと国家の関係」という議論の中で整理されるべき話として、今回の議論とは分けるべきではないかと考えている。テックジャイアントの振る舞いや、税金の扱いなどは、すでにG20でも議論が始まっており、そちらの議論の中で個別に改善されていく必要がある。
2.金融システムとしての論点
Libraのホワイトペーパーが公表されてから、さまざまな分析がなされて、金融システムへのインパクトの議論が巻き起こっている。ホワイトペーパーや付随する技術文書の中には、まだまだ詳細が記されておらず、今後の検討に委ねられている部分も多いため、確定的なことは述べられないが、Libraに関する共通理解は概ね以下のようなものと考えらえる。
つまり、国に属さないグローバルな決済システムとして、分散合意を伴う台帳システムが用いられ、その台帳にはLibraという通貨単位で決済が記録されていく。台帳はLibraのコンソーシアムに参画する限定されたメンバーで共同管理される。台帳への書き込みはメンバー間のやりとりがネッティングされて行われるため、Bitcoinのようなパーミッションレスブロックチェーンよりは高速に処理が可能となる。Libraとしての法定通貨に対する価値(交換比率)を安定させるために、複数の法定通貨や国債等のバスケットを裏付け資産とする。また、スマートコントラクトを意識したプログラミング言語が規定されていて、単なる決済以上の機能を提供する基盤が存在する。
金融システムとして見たときの課題には、大きくは3つの論点がある。1つ目はフリーバンキングと呼ばれるもので、国家による管理や規制を受けずに、銀行機能と通貨発行権を持ち得るのかという点だ。この点について、過去のフリーバンキング排除の歴史を踏まえ、まずはフリーバンキングを許容するような社会環境変化や技術的発展が成し遂げられたのかを慎重に検討する必要があるだろう。また、規制当局側の視点で見れば、足元の社会的・技術的環境において過去のようにフリーバンキングを排除することができるのかといった現実的な問題も生じる可能性もある。2つ目の論点は、通貨バスケットによるステーブルコインが成立しうるのかという点だ。ステーブルコイン自体が、継続的にバスケットに対する交換比率を維持することができるのかは重要な論点である。また、こうした新しいタイプの通貨が成立しうる場合に広く金融政策やマクロ経済政策への影響が生じる可能性がある点にも留意が必要だろう。そして、3つ目は、国家をまたがる決済が、国家の管理外で行われるようになることに起因して発生するマネーロンダリング対策の問題だ。これは、後述のビジネスモデル上の問題だけでなく、プライバシーと国家による検閲の問題など広範な社会的含意のある論点であり、単に勧善懲悪的な問題ではないことに留意が必要となるだろう。
上記の論点は、まだLibraの詳細が示されていない以上、これから議論を深める必要があり、またLibra自身もこれから起こる規制の議論に合わせて仕様を修正する可能性がある。こうした懸念を抱くことは大事である。その一方でLibraのような形態について、金融包摂や国際決済の利便性向上などの利点を期待するなど、否定的ではない意見もある。今後は単に双方の意見を衝突させるのではなく、より根本的な「規制の目標(Regulatory Goals)」、つまり社会的な要請(Social Interests)の観点から、適切な形態になるように、異なるステークホルダーで議論を深めていくことが建設的だ。規制の目標は、教科書的には、市場の失敗の防止への対応、より具体的には主に金融システム安定の確保、消費者(投資家)保護、金融犯罪の防止の3つが掲げられることが多いが、単純に今の規制の解釈論に拘泥するのではなく、Libraがこれらの目標を達成できるか、達成できないとすると、規制、技術、ビジネスモデルなどさまざまな観点でどう改善すれば良いのかを議論すべきだ。仮に、Libraが規制の目標、つまり社会的な要請を達成することが困難であったとしても、規制当局、エンジニア、ビジネス、消費者などマルチステークホルダーでこの議論を行うことは、将来のイノベーションのための多大な知見を与えるはずだ。
3.Libraのビジネスモデルにおける論点
現状ではまだ十分な情報がないものの、Libraにはビジネスモデル上の懸念点がいくつか存在する。そのうちの2つを示す。
1つ目の懸念は、Libraが掲げているunbankedな市民の金融へのアクセスだ。これ自体は、Financial Inclusion(金融包摂)の文脈からは非常に重要なことだ。ビットコインやブロックチェーンを利用した新たな金融にも大きく期待されているところで、この目標自体は歓迎すべきことだ。一方で、LibraにおけるIdP(Identity Provider)の扱いは不明確だ。Facebook自体には、IdPの機能を担う、あるいは独占する大きなインセンティブがあるが、もしFacebookがIdPの機能を独占するとすれば、この金融システムの参加の権利を同社が左右することを意味する。つまり、Facebookが新たにunbankedな人を作り出すことができるかもしれない。近年SNSでも、通報制度などを含めてアカウント停止が多くなされるようになる中で、IdPの扱いは極めて重要だ。もし本当のFinancial Inclusionを実現したいのであれば、複数のIdPを切り替えられるようなAPIが実装される必要があり、またSelf Sovereign Identityの仕組みも必要だろう。一方で、広告収入をベースとするFacebookのビジネスモデル上、同社や株主がそれを許容するかは不明だ。Libraは、一定期間後にパーミッションレスブロックチェーンへの移行を表明しているが、その一定期間内にある種の独占が生まれないかどうかは、大きな論点だ。
また、そもそも、Libraのビジネスモデルで本当にUnbankedな人への金融システムへのアクセスを提供することができるのかと言った問題もあるだろう。例えば、途上国の人々がFacebookのサービスにアクセスできるような高度な端末を有しているのか、マイナー通貨でLibraを販売するような認定販売所が現れるのかといった点は実際に目標を達成するに当たっての大きな障害となる。
2つ目の懸念は、金融規制の目標にもあるが、マネーロンダリング対策などの金融インフラとして必要な機能を、誰がどのような実装し、運営するかという問題だ。もし、Known Your Customer(KYC)と呼ばれる顧客管理や、疑わしい取引の検知を含めたマネーロンダリング対策の実装と運営が、コンソーシアムの各会社の責任で行う形となるのであれば、それらの会社の運営費は莫大になり、持続的な運用を行うにはビジネス上成り立たない可能性が出てくる。すると、それらの会社はコンソーシアムを脱退する可能性があり、ビジネスモデル自体が成り立たない。Facebookにとっては、実は決済の手数料収入はなくてもよく、そういった決済システムの泥臭い部分をやらずに、自社のサイトのアクセス時間(=広告収入)を増やすことができるだけでもメリットがあるかもしれない。そういった、参加する会社それぞれのビジネスモデルと、インセンティブモデルの分析は必要だ。
新しい金融の形の議論に必要なこと
2019年6月24日に行われたThe New Context Conference 2019 Tokyoの基調講演で、ハーバード大学のLawrence Lessig教授は、データプライバシの文脈ではあるが、個人、社会、規制、そして技術との健全(Healthy)な関係を考えるフレームワークとして、「個人に便益をもたらすか」、「個人の便益を脅かすか」、「社会に便益を持たらすか」、「社会の便益を脅かすか」という見方から導き出される4つの象限を用いる考え方を示した。この考え方はデータプライバシの問題だけでなく、ブロックチェーンなどの新しい技術に基づく金融サービスのあり方を議論する時にも、極めて有効なフレームワークとして機能するだろう。
つまり、Libraについての規制の議論も、データの利活用に問題があるテックジャイアントが関わっているので重い規制をしなければいけない、あるいは金融システムに想像できない悪いインパクトをもたらすから重い規制をしなければいけない、という単純な議論ではなく、それが個人と社会の両方にどのような便益をもたらすか、という評価軸を用いて議論することが重要だ。残念ながら、現在のLibraをまつわる議論はそうなっていないし、そうした議論を行うに足る情報もLibra協会から十分には提示されていない。この評価軸を使えば、仮に現時点のLibraの構想が、個人の便益や社会の便益を脅かす要素を持っていたとしても、エンジニア、ビジネス、オペレーター、規制当局、アカデミア、市民など、このエコシステムに関わる全てのステークホルダーによる議論を通じた知恵の結集で、ある意味オープンイノベーションの形で、個人や社会の便益を増やす方向に持っていける。そしてそのような議論のスタイルこそ、Permissionless Innovationの時代の社会における規制と技術のあり方になる。6/8, 9に福岡で行われたG20財務大臣・中央銀行総裁会議においては、参加20ヶ国の合意のもと、コミュニケに以下のような文言が盛り込まれた。
「我々はまた、分散型金融技術、それが金融安定性や規制、ガバナンスにもたらす潜在的な影響、及び当局が広範なステークホルダーとの対話をどのように強化できるかについてのFSBの報告書を歓迎する。」
すでに金融当局は、歴史的な議論を経て、杓子定規に既存の規制を当てはめるのではなく、マルチステークホルダーによるオープンな新しいスタイルの規制の構築の方向性に進み始めている。Libraの件はそのようなマルチステークホルダー型ガバナンスの試金石となるのではないだろうか。
Libraは(現在のところ)運営主体がはっきりしており、故に規制する対象が具体的に想定できる。一方で、別の流れとして、ビットコインのように具体的な運営主体がはっきりしないパブリックブロックチェーン上で展開される、より自立分散的な金融のための技術も発展を続けている。これらは、個人や社会の便益を達成する観点や規制及びガバナンスの観点からみて今回のLibraとは全く性質を異にする部分もある。すでに、G20で議論されたように、こちらもマルチステークホルダーによる秩序の構築が必要である。
いずれにせよ、Bitcoin登場以降、Bitcoinや暗号資産の多くの議論は、それがお金としてどういう意味を持つのか、既存の規制の枠組みに照らし合わせた場合、お金なのか証券なのか、という、それが我々の社会をどう良くするのかという観点より狭い議論に終始していた。しかし、Libraの登場で、ブロックチェーンの議論は、「ビジネスモデルとして社会と個人にどういう便益を与えるか」という、より現実的なビジネスモデルの議論の段階に入ったと言える。議論がワン・ステップ進んだことは歓迎すべきことであり、国家とジャイアントテックの対立を深めるのではなく、さまざまなステークホルダーによるオープンな議論が促進されることを期待したい。