「ものづくり」の現場において、生産プロセスの最適化は重要課題のひとつだ。たとえば、鉄板の生産をイメージしてもらいたい。鉄の塊が次第に平らに伸ばされて、注文通りの厚みや幅に加工されたロール状の鉄板になっていく。ところが、何かの原因でそれぞれの工程で停滞や遅延などが発生すると、中間在庫が工場の一時保管場所からあふれかえってしまう。こうしたことは製造現場で起きてはならない。
そこで大手製造業ではシミュレータを用いて、事前に緻密な生産プロセス設計を行う。多少の変動が起きても停滞や遅延が生じないよう、パラメータ(各工程の平均作業時間など)を設定し、多くの組み合わせを探索・評価する。このパラメータ設定は、熟練の専門家の仕事となっており、これまでは経験と勘に頼ってきた。
近年、製造現場では多品種少量生産を求められ、生産プロセスはより複雑になっている。新たな生産プロセスを設計するときに考慮する要因は膨大になり、それらの組み合わせパターンは無限に近い。人による設定では「探索時間の増加」「想定漏れ(見落とし)の増加」は避けることが難しく、これが大きな課題となっている。
このような製造業における生産プロセスの課題解決に向け、日本電気株式会社(NEC)と産業技術総合研究所(産総研)は、両者が開発した「希少事象発見技術」を株式会社神戸製鋼所の生産シミュレータに活用する実証実験を2018年9月~2019年3月に実施した。
実証実験では、生産設備の処理速度が変動することにより、「起きてはまずいこと=リスク」を希少事象発見技術によって探す。その結果、専門家でも想定しにくい25のパターンが発見できたという。従来の人の手に頼った方法に比べて約10倍の効率化が実現でき、1週間かかっていた専門家の生産プロセス評価を1日程度に短縮できる見込みだ。
ところで実証実験に利用された希少事象発見技術とはどのような技術なのか。NEC-産総研 人工知能連携研究室プロジェクトマネージャー・NECデータサイエンス研究所 主任 木佐森(きさもり)慶一氏の話によると。希少事象発見技術とは「AI(人工知能)技術とシミュレーション技術を融合し、まれな不具合を効率的に発見する技術」のことだ。
多様な条件を検証するためシミュレーションを高速化、高度化する試みはこれまでも行われてきたが、総当たり的にシミュレーションをくり返していたのでは、時間もかかり、見落としも発生する。本技術ではAIがシミュレーション結果から不具合の程度と発生確率を学習する。この学習結果に基づいて、発生頻度が低いために不具合の検証が不十分になりがちな条件の周辺を集中的に探索する。ただ、集中しすぎることによって見落としが発生しないよう、「発生頻度に応じて意図的に不均一に探索するアルゴリズムを開発しました。その結果、まれな不具合の発生条件を効率的に絞り込むことが可能になり、短時間で不具合を発見することができる」ようになったという。
シミュレーションから得られたデータを利用することで、実際のデータが存在しなくとも、効率よくAIを稼働させることが可能になるのが本技術の注目すべきポイントだ。今回の実証実験においても、実際に製造工程を可動する前の段階で、シミュレーションを繰り返すことで、どういった場合にどんなリスクが発生するかをほとんどデータがない状態でも探索することができた。
「データがないときに、あるいは少ないときにもシミュレーションがそれを補って、意志決定を高度化したい。それがAIとシミュレーションを組み合わせようと思った最初のモチベーションです。」(木佐森氏)
今回の実証実験では生産プロセス最適化のために「あらかじめ想定された多様な条件下での不備の発生」を探索した。NECデータサイエンス研究所シニアマネージャー柏谷氏によると、この技術のさらなる応用分野としては「滅多に発生しない事故が発生してしまう条件の組み合わせ」を探索することなどが考えられるという。つまり発生件数が少ないのでデータも少ないが、多様な条件設定でシミュレーションを回すことで、同様の事故が発生するパターンを探しだし、それを事故の予想や予防に役立てるという活用法だ。
例えば構造設計の分野。橋梁、建物などの建造物は、ある周波数の振動によって起きる共振現象というものがあり、それによって建造物が壊れてしまう。どういった条件が重なると共振が起きるのか、橋梁ならば通過する人や車の数、風などの影響など膨大なシミュレーションを効率よく回せば、事故が発生する条件が具体的に見えてくる。またエンジン、ファンなどの流体構造設計の分野。羽根の形状や流体の流れ方により渦が発生し、燃焼効率の減少など性能低下を引き起こすことがある。そのような「まれな不具合」が起きる条件を導き出す。さらに計算機、通信機器などの電気回路設計。信号のタイミング変動による誤信号の発生により回路の誤操作がまれに起こり得る。そんな事象の察知にも使えそうだという。
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他でも希少事象発見技術を使った生産プロセスの効率化の取り組みを行っているのかを聞くと、「製造業の生産ラインを何とかしたいという取り組みは各社行っています。ただし、シミュレーションを用いた最適化という観点で“まれな不具合”を見つけるということに、技術的に取り組んでいるのはわれわれだけだと思います」と木佐森氏は話す。
AI活用には膨大なデータ取得が必須であり、わが国は立ち遅れていると言われている。しかし、「ものづくり」の現場において、少量のデータでAIを活用する具体的な道筋が見えてきたと言えるかもしれない。大げさかもしれないが、これは日本の製造業にとって福音ではないだろうか。