8月29日東京ビッグサイトで行われた「イノベーションジャパン2019」では多くの若い研究者やスタートアップが精力的に発表を行った。その中で、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)コーナーにおけるプレゼンテーションのトップバッターに立ったのは、68歳になる株式会社SEtech代表取締役関根弘一氏であった。関根氏は「画が出ないカメラ(SEカメラ : SE = Still image Erase)」「見えないカメラ(ピンホールカメラ)」「画にならないカメラ(便座カメラ)」の3点を提示し、「低ストレスでの見守りと健康の見守りを行い、高齢化社会への対応、医療費の削減に寄与したい」と発表した。この「低ストレス」が関根氏のキーワードだ。
関根氏の事務所がある湘南藤沢インキュベーションセンターを訪問し、詳しい話を聞いた。同氏は長年(株)東芝でイメージセンサー(光の強弱を電気信号に変換するセンサー)の開発を続け、多くの特許を取得してきた。しかし会社の中では傍流で、勤務も最先端ではない地方工場が長かったという。だが、「それがよかったのかもしれない、雑音の少ない場所で次の飯の種を考えざるをえない環境だったから」と振り返る。60歳で定年を迎え会社を去るが、その時は起業など考えもしなかった。ところが後輩の依頼で技術コンサルとして他の企業や施設、大学で話を聞くうちに、いろいろな発想がわいてきたという。
たとえば警備室で防犯カメラのモニターをずっと見つめる監視員がいる。何も動きのないモニター画面をずっと見つめているのは負担であり、電気代などのロスも大きい。「画が出なくていいんじゃないか。必要な時だけ画を出せば、人の負担も電気代も減らせる」
研究者魂に再び火がついた関根氏は、「画が出ないカメラ、センサー」で特許を取得する(第5604700号)。これは、カメラ、センサー内部で画像内の「動き」を検知。動きがない時には画を出さず(スリープ)、動きがあった時だけ必要枚数の静止画を送信するものだ。これによって、電気代、トラフィック(データ通信量)も抑えられ、何より監視する担当者の負担が減るという。防犯のみならず介護施設などでも活用が可能だ。この技術は米中韓欧でも特許登録を果たす。
関根氏は2015年SEtechを設立。SEカメラなどの研究開発についてNEDOの研究開発型ベンチャー支援事業に応募し、NEDO-SUI(Start Up Innovator)補助金を獲得する。「自分以外の採択者は大学や国立研究所、医師で、シニアというのは私だけでした」と関根さんは笑う。その後、第1回かながわシニア起業家ビジネスグランプリで県知事賞を獲得した関根氏は、湘南藤沢インキュベーション施設に入居。神奈川県や藤沢市の補助金も得てハードウェアの開発費用などをまかなってきたが、国際特許の手続きにはかなりの費用がかかり、やり繰りが大変だったと苦笑いする。
「大きな便り」を捨ててはいけない
関根氏は、団塊の世代が後期高齢者になることで生ずる高齢者のケアや、医療費が膨れ上がる問題、いわゆる「2025年問題」に大きな危機感を抱いており、こうした課題の解決に、サラリーマンの時に培った技術を応用し、役立てようとしている。
まず、高齢者のケアのための見守りだが、高齢者にとって四六時中カメラで監視されることはストレスになる。そこで考えたのは、「見えないカメラ」(特許第6051399号:米、欧で登録済)。
このカメラは、イメージセンサーを利用した1辺が1mm以下の超小型ピンホールカメラで、この大きさだとカメラがあること自体ほとんど気がつかない。つまり「見えないカメラ」なのだ。さらに、ピンホールを大きくすることによって、解像度は下がりピンボケとなると、細かな部分は見えなくなる。わざとピンボケにし、ハッキリと見えないことによってプライバシーに配慮した見守りが可能になる。この見えないカメラに使われるTSV(貫通電極)技術は、関根氏が東芝時代に “世界に先駆けてイメージセンサーで量産化に成功した技術”である。
医療費削減については、病の早期発見が必要で、そのための手段として便の解析が重要と考えた。しかし便の検査は、検査される側もする側も大変。便をカメラで撮影し解析する方法も考えられるが、お尻や便そのものを撮影するのは色々と問題がある。そこで関根氏は「画にならないカメラ」(特許第5861977号 :中、欧で登録済)も開発する。
関根氏の提案するシステムでは、「画にならないカメラ」のシステムを便器内に設置し、排便の時、便の光学的な数値データだけを取得し、異常を発見する。画像データは扱わない。また動きのないお尻のデータは取得しないようになっており、便器内で移動する物体(つまり「便」)からのみ情報取得する。「将来は、便データから健康状態をデイリーチェックできる仕組みにしていきたい。“大便は消化器からの手紙、大きな便り。読まずに流すのは勿体無い”」と関根氏の夢は拡がる。
上流処理で情報量を減らす意味
「私は東芝時代『画が出るセンサー』を開発してきました。しかし退職後は『画が出ないカメラ』『見えないカメラ』『画にならないカメラ』を開発しているわけです。時代に逆行していますよね」と関根氏は笑う。しかし、関根氏の技術は時代に逆行しているどころか、未来の課題解決につながる技術となる可能性がある。
高齢化や医療費削減といった2025年問題だけではなく、「トリリオン・センサー(Trillion Sensors)」時代の課題にもこれらのカメラで対応ができる。
トリリオンとは1兆のことだが、それだけの数のセンサーが近い将来世界中で利用されることになり、それが社会に変革をもたらすであろうことを、2012年にJ.Brysek氏が提唱した。予想では2023年頃にセンサーの数が1兆個に達するのではないかと言われている。このような状況が訪れた場合に危惧されるのは、センサーが集めたデータを処理する際に大量のエネルギーが必要になることや、そのデータを流通させるためには膨大な回線が必要になることだ。
これらの課題に対応するために、カメラやセンサーなどの端末に近い側でデータ処理を行う、エッジ処理の技術に注目が集まっている。全てのデータをクラウドに集約するのではなく、端末側でデータを処理するという発想だが、関根氏の開発するカメラは、必要なデータ以外は取得しないので、最初から処理するデータがスリム化されている。
「半導体、周辺部品や、AI等の解析ツールなどの性能アップに甘えないで、上流側で処理するセンサーで情報量を少なくすれば、下流の処理負荷が軽減され使用電力も大幅に減らせるのではないでしょうか」(関根氏)
高精細なデータ取得に邁進する時流とは逆行するかのように見える関根氏の研究だが、このアプローチが正解なのかもしれない。