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デジタルセラピューティクスが目指す未来と課題

 米国の著名投資家でプログラマーとしても「モザイク」などを開発したマーク・アンドリューセン(Marc Andreessen)氏が2011年に”software is eating the world”と言ったが、昨今そのソフトウェア化の波は医療産業に急激に押し寄せている。

パネルディスカッションの模様
パネルディスカッションの模様

 医療システムのIT化はもちろんのこと、AI(人工知能)画像解析による診断補助や高性能なコンピューターによる創薬支援など、テクノロジーが医療進化の速度を早め、各社がしのぎを削って製品を開発している。そんな中で、デジタル技術を用いた”新たな治療ソリューション”として注目されているのがデジタルセラピューティクス(デジタル治療、以下DTx)である。

 DTxとは、厳密には疾病の治療(支援)を行う医療行為を補助、または実施するソフトウェア等であり、薬機法上の許認可を得た治療ソリューションである。従来の医薬品・医療機器では管理や介入、効率化が困難であった疾患、患者等に対する効果が期待され、特に精神疾患や生活習慣病など慢性疾患に対して新たな治療法として期待が集まっている。

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 治療用アプリの開発者、医療従事者などが登壇し、DTxの現状と未来について議論するセミナー『日本でも実用化近づく「治療用アプリ」』が10月10日にクロスヘルス EXPO 2019(主催:日経BP)で開催された。

鈴木航太氏は自身も医師
鈴木航太氏は自身も医師

 パネリストとして登壇した精神科医であり、スタートアップでの事業にも携わっている鈴木航太氏は、薬物療法では解決しない疾病に対してDTx活用を期待している。例えば、日本では睡眠障害に対する睡眠薬は原則2種類までしか処方できないという限界があるという。不眠症を治療するDTxがあれば医師として選択肢が広がり、患者に価値の高い医療が提供できると期待を寄せた。

 日本においてADHD(注意欠陥・多動性障害)治療剤「インチュニブ®」を提供している塩野義製薬の里見佳典氏も、医薬品を提供するだけでは患者満足度が高まらないこともあると述べた。小児ADHDにおいては、薬に抵抗がある患者がいたり、治療には周囲のサポート(医者、家族、学校の先生など)が必要であったりするが、DTxやデジタル技術を導入することで治療の価値が向上することが期待できる。同社は米国ボストンにあるADHD向けのDTxを開発しているAkili Interactive Labsとライセンス契約を締結し、治療用アプリの日本での提供を目指している。

サスメドの市川太裕氏
サスメドの市川太裕氏

 自社で不眠症患者向けのDTxを開発するサスメド株式会社(東京都中央区)の市川太祐氏は、「不眠症の非薬物療法は現状、マンパワーに依存する。その裾野を広げるためにアプリを開発している。」と述べた。

 同社のアプリは、患者の入力データに基づき、マンパワー(医師と対面して治療)に依存しない介入を行うことで、薬に比べ少ない副作用で治療が可能となる予定である。

■エビデンスと丁寧な説明が必要

 DTxでは治療の過程で蓄積されるデータを活用して創薬やマーケーティングへの活用も期待される。医薬品業界において新たなモダリティ(治療手段)となる可能性を秘めているが、一方で解決しなければいけない課題も見えてきた。

 全く新しい治療法となるため、薬機法下の承認に加え、医者にも患者に対してもエビデンスに基づいたデータと丁寧な説明が求められる。医者の立場からすると、医療的な妥当性・安全性が担保されないと処方しにくいという。(鈴木氏)

 こうした危惧がある以上、DTxを医療現場に浸透させるには、論文による研究成果の発表や臨床試験の積み重ねが必要だ。

 患者にとっては、既存の医薬品に加え新たな治療オプションとなるが、選択肢が多くなりすぎ治療方針が複雑化することが懸念される。ユーザー(医療従事者・患者)にとってわかりやすく使いやすいユーザインターフェイス/ユーザーエクスペリエンスを提供する必要があり、こうした点ではIT企業が持つノウハウが活きると思われる。

 さらにDTxならではの課題として、国際標準規格等に即したサイバーセキュリティーや入力データの質の担保などもあげられる。

 今後、DTxをはじめPHR(Personal Health Record)など、デジタル技術を用い、患者中心にデータを管理することで価値の高い医療を受ける動きが主流になると思われる。現在のサイバー攻撃が対象とする個人情報といえばクレジットカード情報やメールアドレスなどが主であるが、今後はヘルスケアデータがハッカーに狙われる可能性も大いに考えられる。また入力データの質に関して、医療機関での計測ではなく、在宅での計測になることで、なりすまし排除や正しい計測法の定着が求められる。サスメドの市川氏によれば、同社ではパターン化したログデータを用いて正しい計測を促す技術を開発しているという。

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 ガードナー社が毎年公表しているハイプ・サイクルによると、新しいテクノロジーは登場後、黎明期に入り、過度な期待のピーク期を経て、幻滅期、啓蒙活動期、安定期を経て社会に実装されていく。2019年のハイプ・サイクルの中で、DTxは現在、過度な期待のピーク期に差し掛かりつつある。

 今後、幻滅期を経てうまく行けば啓蒙活動期へと移行するかもしれないが、テクノロジーの進化・応用だけが先に進み、ユーザー(医者も患者も)が、置いていかれるようなことになれば社会への実装は難しい。

 新たな産業が立ち上がろうとしている今、製薬企業、スタートアップ、医療従事者、IT会社、行政など関係者が連携して産業振興することが望まれる。

Written by
DG LabでBioHealth分野を担当。東京工業大学 生命理工学部卒。学生時代は、生態系に与える影響を最小限にし、かつ経済効率性を向上させるグリーンケミストリーの研究を行う。卒業後はインターネット広告業界で経験を積み、インドネシアでインターネット広告代理店を立ち上げ。2016年に東京に戻りBioHealth分野にてテクノロジー×ビジネスの取り組みに従事。2018年5月よりボストンに移りMIT Media Labにて医療情報管理システムの研究及びスタートアップ企業への投資も手がける。